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薄れゆく記憶、思い出す意義



            続々・わびしい日々是好日(10)

           ☆薄れゆく記憶、思い出す意義

 忘れていく。あれだけ鮮明だった記憶が薄れていく。99年から06年までの網走時代=農大勤務時代、そのわずか10年前の思い出でさえである。たとえば網走の秋の畑を彩った菜の花の名前、先日思い出そうとしたらすぐに出てこない。たまたま以前本稿に書いたはずなのでそれを見ればわかるだろう、そう思って見直してみたら、そうだった、「キガラシ」(註1)だった。こんなありさまである。
 十数年前までの東北大での研究者時代、私の20代後半から60歳過ぎまでの記憶、そのときに実施した各地の農村調査の記憶もなくなっていく。
 ましてや70年も前の子どもの頃のこと、かつては鮮明な記憶として残っていたのに、ぼんやりと薄れていく。
 しかも当時のことだから、思い出すきっかけとなる写真などほとんどない。一般の個人がカメラなど持てる時代でなかったのだから当然である。
 生家のことでいえば、家屋の遠景と籾戸の写真はあるが、外風呂、外便所、井戸小屋、漬物小屋、牛小屋、鶏小屋、藁ぶきだった大きな作業小屋等々の写真がない。
 家や近隣の正月行事から始まる各種行事、子どもの遊びの写真もない。
 幼いころの生家の田畑、農作業、その周辺の写真などもちろんない。生家のある地域から南にひろがっていた田畑の風景、曲がりくねって流れる小川、そのわきに生えているネコヤナギの木、遠くに見える線路と煙を出して走る汽車、田畑のなかを走る細いあぜ道を歩きながら、田畑で働きながら、遊びながら見た周辺の山々、遠くに点々と散在する集落等々の四季折々の景色を撮った写真もない、
 にもかかわらず、それらの景観一つ一つの記憶がぼんやりと薄れていく。やがて消えてしまうのだろう。
 そうした記憶を呼び戻してくれるような、もう一度思い出させてくれる材料になるようなものもなくなっている。子どものころ読んだ本、おもちゃ、綿入れ、寝間着、こたつ、いろり等々、とくに幼いころのものがそうだ。小中高のころのものも戦中戦後の混乱や生家の火災、屋敷の建て替えや整理でもうほとんどなくなっている。父が若いころから70歳近くまで毎年記帳していた何十冊もの農業日誌、これも行方不明だ。これがあったらどんなものをつくり、どんなものをどういう時期にどういう作付け体系で栽培したか、どのような作業をどのような資材で行い、どれだけどこに販売したのか等々、山形市民に野菜を供給する都市農業と東京など大都市にトマトや白菜などの野菜と米を輸送する遠隔地農業の実態、その都市開発による崩壊過程がわかるはずなのだが、これがどこにいったかわからないのである。それがあったらもっともっといろいろなことが書けるのだが、本当に残念である(註2)。私も若干は記憶しているが、その記憶もゆがみ、薄れ、消えていっている。

 しかし、時は流れても自然は今も昔も変わらないはずである。それを見ればいろいろと思い出せるかもしれない。
 ところがその自然も変わっている。たとえば母の実家に行くのにとことこ歩いた道路からいつも眺めた山、その半分が削り取られてしまい、昔の面影がなくなってしまったなどはその典型だ。土木工事・土砂採取のために山の形容が変わり、一山消えてしまったところさえある。「愚公山を移す」、この言葉の意味も理解されない時代になったのである。
 河川改修等で川の形が変わる、橋が新しくかけられる、新しい道路ができて昔からの道路はなくなる等々で、昔の記憶をたどって歩くなど難しくなったところもある。
 私の生家のところのように都市開発で農地がなくなって市街地となり、かつてドジョウや小鮒の住んでいた小川や田んぼがなくなり、豊かな土壌を誇った畑はなくなり、かつての生家の田畑は農道は水路はどこにあったのかわからなくなっている。
 この変化の良し悪しはここでは問わない。いずれにせよこうしたあまりの急激な変化に私はもうついていけなくなっている、そしてかつての記憶が消えつつあることを嘆くしかなくなっている。
 といいながら、子どものころ若いころ行った農山村地域のかつての家々が過疎化でなくなっているなどという変化にはついつい強い不満をもらしてしまう。

 いつごろからだったろうか、山村調査などに行くと、かつて歌った「幾年故郷 来てみれば………荒れたる我家に 住む人絶えてなく」(註3)という情景をあちこちで見るようになった。廃校の跡、荒れた家々をいくつ見たことだろう。ここに集落があったということすらわからなくなった地域もあった。
 当然それは周囲の自然に影響を及ぼす。田畑は雑木林に変わり、かつての雑木林は暗い深い林になり、牧野はかつてそこにあったことがわからないほどに荒れ果て、林野の景色が大きく変わっていたところもあった。
 といっても、そうなる前に一度か二度しか行っていない私には正確に昔の姿を思い出すことなどできるわけはない。地域から移住していった人たちの思い出も時を経るにつれて薄れていっているだろう。

 自然災害で大きく変わったところもある。津波の被害を受けたところなどその典型だ。かつて何度もおじゃました国鉄の駅、駅前の商店街が津波で流され、復興したとしてもまったく変わって、もうどこがどこだかわからない。
 それどころか原発事故でいまだに立ち入ることすらできないところもある。テレビ映像などで常磐線沿線を見ると、かつての緑の田畑は除染廃棄物等の「中間」貯蔵施設(結局は「最終」にさせられるだろうが)として山積みの黒いビニール袋に覆われ、かつての姿を思い起こすことすらできない。
 私の脳裏にうっすらと残っていた当時のかつての駅前の風景、駅から眺めた家々のたたずまいや林野の映像がますますぼやけていく。
 寂しい、悲しい。

 それでも、そのかわりに新たな記憶が知識が積み重ねられるなら何とかがまんできる。しかしもう農村調査研究の機会もないし、能力もなくなっているし、頭脳の容量も性能も劣化している。たとえ積み重ねてももうすぐ私の肉体と同時にそれは消滅してしまう。

 そこでまた考える、今新たな記憶を積み重ねるよりもかつての記憶を何とかよみがえらせ、記録しようとする方がいいのではないかと。どんなつまらないことでもかつてのことを書き残しておこう。もう一度経験することはできないことだし、それどころか経験してはならないこともある。
 私の記憶を掘り起こすだけでなく、私の同世代、先輩世代や戦後世代の知り合い等々からも教えてもらって記録しておこう。そんなことを思いながらこれまで本稿を執筆し、ブログに掲載してきたのだが、もう少しそれを続けてみようかと思っている。

 それは次のようなことからもきている。
 前に述べたように、これまでの私は何かに追われ、また何かを追い求める日々を過ごしてきた。そのために絶えずいらいらしていた。もう心身ともにへとへとに疲れた(仕事柄とくに心の疲れの方が多いような気がするが)。しかし、仕事をやめたので今は追われることはなくなつた。研究をやめることにしたので追うこともなくなった。いらいらすることはなくなった、いやなくなっているはずだった。
 しかしあるもんだ。研究をやめたとは言え、やはり農業農政には強い関心があるからである。これだけはやめようと思ってもやめられない。農家の息子として生まれ、農村部で育ち、農学の教育研究に携わって一世紀近くを過ごしてきたのだから、これだけはどうしようもない。いうまでもないが、農業農政は政治経済、国際国内関係と密接な関連をもっているので、そうしたことにも関心を持つということになる。
 さらにもう一つ、私が高齢者になっている、老後を送っていることだ。そのために老後にかかわる問題、年金、福祉、医療、介護等々にも関心を持たざるを得なくなってきた。
 それだけではない。戦前への逆行ともいえる最近の政治の動き、これも看過できない。
 そうなのである、世捨て人で、のんびりと生きていくというわけにもいかないのである。どうしても世の中を見ないわけにはいかない。
 しかし、そうすると、精神衛生上きわめてよくない。どうにかならないものかといらいらさせられる。困ったものだ。

 だからといって、この年寄りが能力もなくなっているのにしゃしゃり出ていろいろやったりすれば、私たちより下の世代とくに若者に迷惑をかける。いったん身を引いたら、余計な口出しをしてはならない。先日述べたように昔の農家の家長もそうだったではないか(註4)。目の上のたんこぶなどになってはならない。やはりおとなしくしているべきである。
 でも、どうしても言いたくなる。その一部をたまに本稿に書き、ブログで公表して若干でも欲求不満をいらいらを和らげる、この程度ならじゃまにならないだろう。世の中のことで頭にきて血圧が急上昇し、脳卒中で倒れてみんなに迷惑をかけるよりいいではないか。
 そんなこともあるし、やはりもう少し本稿を続けさせてもらおう、こんなことを今考えている。

(註)
1.11年5月18日掲載・本稿第二部「☆消えた麦畑、菜の花畑」(3段落)参照
2.生家を継いでいる末弟が最近教員を定年退職したのを契機に籾戸の中を整理したところ、大正末期に曽祖父が農業・家計に関して記帳した分厚い帳面を発見したと言う。いつかそれを整理して当時の生産生活に関する資料として公表してみたいとも考えている。
3.日本の唱歌・アメリカ歌曲、 作詞:犬童球渓、作曲:W.S.Hays、1907年

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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