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情報・経済格差と授業進展度



          私の体験した敗戦前後の小中学校教育(8)

         ☆情報・経済格差と授業進展度―都市と農山村―

 前に述べたように、小学四年のとき私たちも強制的に疎開させられることになり、私は生家から約12㌔離れた旧山寺村A集落にある母の実家に縁故疎開することになり、5月末ころ山寺小学校に転校した(註1)。しかし、学校はA集落から子どもの足で約1時間かかる、それに子どもの数も多い。そんなことからだろう、集落に分教場がおかれ、一年から四年までの生徒はそこに通うことになっていた。それで四年生の私もそこで勉強することになった。
 一学年一クラスで男女共学だったが、生徒の数は多かった。私のような疎開学童がいたからもあろうが、山形での一クラスの人数より間違いなく多かった。私のいた山形の小学校の教室よりも広い教室の後ろぎりぎりまで、前は先生の机のすぐ前まで机が並べられていた。これには驚いた(註2)。
 さらに驚いたのは、A分教場の授業がかなり後れていたことだ。二部授業や疎開騒ぎで私たち山形の学校の授業はかなり後れていたのにかかわらず、もっと遅れていたのである。
 言葉は山形市内と若干は違うが、ほとんど同じだ。たとえば、「行こう」は山形では「あべ」、A集落では「んじゃ」というが、このような違いがいくつかある程度である。そうなると、山形とA集落の差は言葉のせいではない。クラスの生徒数の差でもなさそうだ、多いことは多いがこれも山形とそれほどの差ではない。
 それではなぜ違うのだろうか。それは都市と農村の情報量の差から来るのではなかろうか。

 山形市には本屋がある・本が簡単に手に入る、図書館や映画館がある、新聞社・放送局がある、雑貨屋や文房具屋、おもちゃ屋、一銭こ屋(駄菓子屋)などが、数や規模の大小はあれ、存在する。汽車はあるし、バスやタクシーもある。情報の発信源は多く、その伝わる速度も速い。もちろん、そのすべてを利活用できるわけではないし、しょっちゅう利用できるわけでもない。あることを知っているだけ、見たことのあるだけのものもある。しかし、どんなものかの情報、知識はある。
 これに対して農村部にはそうしたものがない。しかも今と違って交通手段が発達していないために山形に行ってそうしたものを見たり、利用したりすることはきわめて難しい。ましてや子どもはそうだ。どうしても情報、知識は山形市の子どもよりは少ないことになる。

 同じことが山形という農山村に取り囲まれた地方小都市と東京という中央の大都市との間でもいえる。
 東京には山形にないものがたくさんある。子どもたちの好きな動物園や遊園地、公園や遊具があるし、博物館、美術館、デパート、ビルディング、エレベーター、電車、交通信号等々、教科書に出てこないものまでたくさんある。東京の子どもたちはそれらがどんなものか実物を知っており、実物を知らなくともそれを見たあるいは聞いたことのある友だちからいろんな知識が入ってくる。さらに子どもたちの親の職業も多様なので、そこからもさまざまな情報が入ってくる。
 そうした多様な豊富な知識や情報があれば、教科書や授業の内容の速やかな理解はより容易である。
 そうはいっても、東京の子は農業や農村、自然に関する知識や情報がないではないか、こう言われるかもしれない。たしかにそうした側面はある。しかし、かつての東京の子は今と違って農業や自然をよく知っていた。国鉄山手線の環のすぐ外には当時田畑が広がっており、武蔵野の林野があり、農業をいとなむ村々、家々があり、生鮮野菜のほとんどはそうした郊外から直接来たものだったから、最低限の知識は持っていたのである。そしてそれで十分だった。教科書には農業・農村のことがあまり取り上げられていないからである。

 しかもそうした情報は東京では早く入る。発信源の多くが東京であり、当時の交通・通信・印刷技術が未発達だからである。たとえば新聞で言うと、農村部では午後とか翌日にしか配達されないところもある。ラジオにはそんな時間的格差はないではないかと言われても大都市との経済的格差からして農村では買うこともできない。新聞でさえとれない家が多かったほどなのだ(電話は農村部ではもちろん都市部でもまだ少なかったが)。本などもちろんなかなか買ってもらえない。

 当時の東京=中央と地方、都市と農村の間での知識を得る手段、能力を高める手段、情報量の地域的差異、その結果としての子どもたちの得ている情報、知識の量の差異が子どもたちの教科書や授業の理解力の差異となって現れ、それが授業の進展度合いの差異となって現れるのではなかろうか。
 しかも、農村の現実と教科書に書いてあることの隔絶がある。理解は容易ではない。そうなると、理解しているいないは別として、どこまでわかっているかは別として、知識として詰め込むしかない。当然村の子どもの平均的な学力は都市部からすると劣ることになる。

 それだけではない。都市部と農村部との家庭環境=当時の生産・生活条件の違いもある。
 農村部の圧倒的多数をしめる農家の場合、都市のいわゆるサラリーマン家庭のように母親が家にいて予習復習させる、宿題を忘れずさせるなどという環境にない。家族総ぐるみで朝早くから夜遅くまで田畑で林野で働いているからだ。予習復習どころか農繁期に学校を休ませて働かせざるを得ない家庭すらあった。そこまでではなくとも、学校から帰ったら、日曜や夏休み等になったら農作業や山仕事、家事の手伝いをさせられた。子どもも必要不可欠な労働力だったのである(註3)。そして農家の子どもには学問はいらない、かえってじゃまだとまで言われていた(註4)。このように家で勉強するなどという環境にはなかったのである。
 農村部の当時の交通事情による通学時間の長さも問題だ。往復2時間もかかるようでは家に帰って勉強などできるわけはない。
 こうした経済的社会的な地域格差も農村部の授業の遅れの一因となったのではなかろうか。

 もう一つ、忘れてならないのは経済的地域格差による教員の質的量的格差の問題である。
 かつての師範学校(現在の大学・教育学部)卒業のつまり正規の教員資格を持つ教員が不便な農村地域にはなかなか就職してくれないため、あるいは財政基盤の弱い農村地域の町村がその財政負担を抑えるために、代用教員が多く採用されたということである。代用教員とは、旧制の中学校や高等女学校などを出ただけの正式な教員資格を持たない教員のことだが、その能力・資質は別にして、やはり教育方法をはじめとする基本的・専門的な教育、また幅広い教育を受けていないために、どうしても上手に十分に教えることができず、授業が遅れてしまう、こんなこともあったのではなかろうか。

 つまり授業の遅れは、中央と地方の格差、都市と農山村との格差からきたものだったのである。そしてそれは子どもたちの学力格差となって現れることになる。
 こう考えるのだが、これはまったくの素人考え、果たしてどうなのだろうか。

 そんなことを考えていたころからもう半世紀、都市も農村も変わり、子どもの教育のあり方も変わり、子どもを取り巻く社会的経済的環境は大きく変わった。
 まず、言葉の問題については、地方でも農山村でもラジオ・テレビ等で赤ん坊のころから共通語を直接耳で聞くことができるようになり、新聞・書籍等も相対的に容易に手に入るようになって共通語を目で見ることができるようになってきた。もちろんその程度で共通語ですらすら話すことなど簡単にできないけれども、以前よりは共通語の読解力、理解力がついた。
 同時に、そうしたマスメディアを通じてさまざまな情報が入ってくることで情報格差もなくなってきた。車社会化もその縮小に大きく寄与した。
 他方で、高度成長下で急速に進展した農業の機械化・化学化・省力化、家事の電化等は子どもの労働力を農林業に必要不可欠なものとはしなくなった。それで、農林家の子どもたちも都会の子どもたちのように学校から帰ってきたら自由に遊び、学ぶことができるようになってきた。そして、できれば子どもに勉強をさせてやりたいと思う親の気持ちの実現が可能になってきたのである(註5)。
 こうしたなかで、子どもたちが高校に入るのは当たり前、都市部・農村部を問わず全国どこからでも大学に入れるようになった。まさに格差が是正されてきたのである。

 しかし、最近は家庭の経済状況によって進学が左右されている、子どもの学力に格差が生じていることが問題となってきた。塾に通えるなど経済的余裕のある家の子どもは希望の学校に入れて、お金のない家の子どもは能力、意欲があってもそれを発揮できる学校に進むことができない世の中になりつつあるようである。しかも、それは「自己責任」であるとして問題にしようともしない風潮が蔓延しつつある。
 世の中どうも逆戻りしているようだ。

 夜の10時頃、東京の電車に乗ると、疲れきったサラリーマンが椅子にぐったりと座って寝ている。他方で、入り口の近くでは3~4人の男の子が目をギラギラ輝かせておしゃべりしている。塾からの帰りのようである。何か異様な感じがする。
 学校が終わってからまた塾で勉強、何時間机に座っているのだろう。大人になってからばかりでなく子どものころから長時間労働、こんなことでいいのだろうか。友だちと群れて遊ぶ時間はどうなっているのだろう。何かおかしいと思うのだが、今は塾で勉強しないといい高校、大学に入れない時代なのだそうだ。
 地方の、農村部の小さな町や村には塾などもちろんない。大きな都市に行けば塾があるが、塾通いなど簡単にできない。バスや列車は走らなくなっており、家族の送迎なども容易ではないからだ。子どもの教育のためには都市に移住するしかない。それで地方の、農山村の過疎化が進む。地域格差はますます激しくなるばかりである。
 都市部でも経済的な問題で進学できないどころか食事すらとれない子どもが増えているという。格差は日本全体で広がっている。

 しかし、こうした状況を放置するどころか推進している政治を変えようとする動きはなかなかひろまらない。世論調査などで見ると、本来もっとも革新的であるはずの若い人たちがこうした政治を推進している保守政党を支持し、保守的と言われてきた高齢者が革新を支持している、それがよくわからない。これでは世の中よくなるわけはない。それどころかこれからますます悪くなっていくだろう。

 金持ちの子どもしか医者やお役人になれない時代、貧乏人の気持ちのわからない、金儲けしか考えない医者や政治家、財界人、大資本・アメリカの意向を「忖度」して出世することしか考えないお役人がはびこる時代になってしまうのだろうか。
 いやな世の中になってきたものだ。何とかならないものか、ついついため息が出てしまう。また愚痴になってしまったが、話をその昔に戻そう。
 (次回は11月5日掲載とさせていただく)

(註)
1.11年2月9日掲載・本稿第一部「☆国民学校、そして疎開」(6~7段落)参照
2.11年2月10日掲載・本稿第一部「☆空襲に遭った日」(2段落)参照
3.10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(1~2段落)参照
4.10年12月25日掲載・本稿第一部「☆いえの相続」(2~3段落)、
  11年2月4日掲載・ 同 上 「☆のらくろ・活動写真・石盤」(1段落)、
  11年4月5日掲載・ 同 上 「☆教育の機会均等の進展参照」参照
5.11年12月5日掲載・本稿第三部「☆農作業を手伝わない農家の子ども」参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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