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戦後混乱期の農村(2)

  

            ☆抑圧からの開放感

 農村は、兵役や徴用、戦地・旧植民地や戦災を受けた都市などから帰ってきた若者であふれた。軍国主義の抑圧から解放された若者たちは、そのはけ口を歌や踊りに向けた。
 『影を慕いて』などの戦時中禁止されていた戦前の流行歌、『東京の花売り娘』などの戦後の流行歌がラジオから流れ、また大人がずさんだ。軍歌や小学唱歌、ラジオ歌謡くらいしか耳にしたことのなかった私たち子どもにとってそれらの歌はきわめて新鮮だった。
 この流行歌やそれに合わせて踊るやくざ踊りなどを披露する演芸大会が、いずこの村や町でも開催された。神社の祭りでは戦前まではなかったこうした演芸大会が境内で開かれ、それでもたりずに青年団等が主催して素人演芸会を開いたりした。また、盆踊りが復活し、かつて盆踊りをしなかった場所でも開かれ、近くの何ヶ所かの唄と囃子の音がお盆の夜空に競合するくらい響いた。
 私の生家の近くにある八幡様のお祭りの時に若者たちが『花笠音頭』を踊って町の中を歩いた。これも伝統にはなかったものだった。祖父などは「何であんな土方踊りなど踊るんだ」とかなり不満だったようだ。なぜそんなことをいうのかわからなかったが、後でわかった。花笠音頭はそもそも尾花沢市の郊外に灌漑用のダムをつくるときの土突き作業の調子を合わせるための作業歌であり、酒を飲んだりしたときにそれに振りをつけて踊ったのが発祥なのである。だから祖父たちに言わせれば土方踊りなのである。それが今、夏の祭りとして山形で開かれている花笠祭りとなっているのだが。
 このように若者は年寄りのいうこともきかず、新しいことをやろうとした。それもあって、祭りや盆踊りは戦前とは質を異にする異様な賑やかさだった。伝統行事の復活と言うより新たな行事の開始といってもよかった。そしてそれは若者にとって「民主主義」の実践だった。

 「民主主義」と言われても一般庶民にはよくわからない。「封建制」をなくすことが民主主義らしい。そして封建制とは古いもの、伝統的なものをいうようだ。そこで古いものは封建的で悪いものだ、迷信に基づくものだ、それをなくすのが民主主義だという風潮が蔓延した。そして伝統的なものをバカにするようになった。こうしたなかで、戦争で途絶えた伝統行事のなかに復活しないで終わってしまったものがかなりあった。
 さらに、戦中の裏返しで、こんなことをしたら占領軍にまずいのではないか、にらまれるのではないかという占領軍への遠慮で年寄りはもちろん行政まで自主規制して切り捨てられた伝統的行事もあった。
 それに拍車をかけたのが、引き揚げ、疎開、勤労動員などでの全国各地の人の出入り、異文化の流入であった。地域としてまとまってかつての行事を引き継ぐことのできなかったところもあったのである。
 こうしたさまざまなことが重なって、伝統行事の復活のしかたは地域により、内容によりかなり異なることとなった。私のふるさとのようなむらとまちの接点の地域では二度と戻らなかったものが多かった。家のなかの行事でも戦中、戦後のさまざまな不幸、混乱のなかでその伝統が消えていった。逆に、人的交流が比較的少なく、外からの政治的文化的圧力の少なかった山間地などには多くが残った。

 小中学校を過ごした戦中戦後は出版事情が悪く、本などと言うものはほとんど手に入らなかった。たとえ本があったとしても当時の農家の経済事情では買うこともできなかった。
 こうしたなかで、農村雑誌として全国に普及していた『家の光』は手に入る唯一の本であり、それは活字に飢えていた私の欲求を満たしてくれた。まさに『家の光』は、私にとって文化であった。やさしく聡明そうな農村女性の姿を描いた淡い彩りの表紙を見るとすぐに手を取り、すみからすみまでむさぼるように読んだものだった。
 後は新聞である。これもすみからすみまで読んだ。そのなかで連載小説のおもしろさがわかってきた。とくにおもしろかったのは、私が中学一年の一九四八年ころから連載された獅子文六の『てんやわんや』であった。これまで想像したこともなかった四国独立運動の話が出てきたり、山奥の美人と都会の美人が出てきたり、戦後の混乱に揺れる地方の人々がともかく明るく描かれていた。これまで読んだことのない類の小説だった。
 中学三年(一九五〇年)の夏、突然父が石坂洋次郎の小説を映画化した『山のかなたに』を見てこいと映画料金をくれた。ショックだった。これまた今まで見たこともない映画だった。戦後の混乱、学校のなかでの不当な上下関係の打破、団結こそ力、明るい男女関係、そして恋愛、それらがユーモアを散りばめながら描かれていたのである。石坂洋次郎といえば『青い山脈』で有名だが、それはこの一年前に映画化されていた(でもこれを見たのはかなり後だった)。
 獅子文六は四国という南国、石坂洋次郎は東北という北国、それぞれの地方を舞台に、これまでにない小説、何か明るい未来を展望させるような小説を書いていた。
 『家の光』の連載小説には、題名は忘れたが、当時ユーモア小説作家として有名だった佐々木邦によって、山形県庄内地方の農村の恋愛が、戦後の解放された明るい雰囲気を反映して、ユーモアたっぷりに書かれていた(註)。家の抑圧、地主制の抑圧から解放された明るい農村の未来を象徴するかのようであった。

 しかし現実には、日々のくらしはまだまだ苦しかったし、古いしきたりもたくさん残っていた。
 低い公定価格で米を始めとする農産物は供出させられる。それでは食えないからと隠しておくと警察といっしょに米軍のジープがきて強制的に供出させられる。さらに政府は農家に対する所得税課税を強化し、その税収を基礎に工業部門の発展を図ろうとした。しかも農村は外地からの引き揚げ者や都市の食えない人口を迎え入れ、戦前よりも出て行く先がなくなった次三男を抱えていた。それを食わせていくために一粒でもよけい米や麦をとらなければならない。人がいればいるほどなおさら働かなければならなかった。かくして戦後といえども貧困と過重労働に変わりはなく、食えない人口=「過剰人口」は戦前以上に農村に滞留し、大きな社会問題にもなっていた。その解決策として政府が推進したのが開拓入植であり、南米移住だった。

(註)『家の光』の元編集局長SYさんに聞いたら、それは一九五三年から連載された『おばこワルツ』だろうとのことだった。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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