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敗戦直後の身体の臭いの記憶




              においの記憶(1)

        ☆身体の臭いの記憶―敗戦直後のこと―

 1945(昭20)年の10月初め、アメリカ占領軍が私たちの小学校を兵舎として接収(註1)して10日くらい過ぎた頃ではなかったろうか、私たちが家の前の道路で遊んでいたら学校=兵舎の方からアメリカ兵が2人歩いてきた。そして私たちのわきを通る。アメリカ兵はすでに見てはいたが、こんなに目の前で見るのは初めて、何事かと遊びをやめてみんなで見ていると、生家の4軒隣にある小さな歯医者の家(註2)の前で立ち止まり、何かしゃべっている。そして家の中に入って行った。みんな驚いた。とくにいっしょに遊んでいた歯医者の娘のFちゃんと息子のOちゃんは何かされるのではないかと青くなった。みんなでこっそり近づき、玄関のところからのぞいてみた。2人は縁側に座ってFちゃんの両親と何かしゃべっている。当時のことだからもちろん英語はほとんど通じないのだが。米兵はシャツか服のようなものを数着畳の上に置き、そのわきに大小の缶詰(暗い緑色をしていた、初めて見たが、それは米軍専用の缶詰であることを後で知った)を数個おいて手真似で何か一生懸命説明している。
 いつまでものぞいているわけにいかないので、何だろうと不思議がりながらも前の遊びの続きをしていた。
 10分くらい経ったのではなかろうか、彼らは家から出てきて兵舎=私たちの小学校に帰って行った。
 Fちゃんは早速家に帰って何事だったのか聞いてきた。彼らは洗濯してくれと言っているらしい。そしてそのお礼に缶詰をやるとも言っているようだとのことである。「歯科医院」と書いてある看板を見て洗濯屋ではないかと思ったらしい。でも洗濯屋ではないとうまく説明できないし、断わるわけにもいかないので、洗濯して返すより他ないだろうということで引き受けたと言う。

 3~4日くらいしてアメリカ兵が服を取りにきてかなり喜んだという。その後また来て洗濯石鹸を持ってきてくれ、何着か頼んで行った。しかたがないのでまた引き受けたという。
 その後数回来たようだが、その兵士が転属になったからなのか、クリーニング屋が兵舎内にできたからなのかわからないが、頼みに来なくなったとのことだった。

 話は戻るが、目の前を通るそのアメリカ兵の身体のでかさ、肉付きのよさ(当時の日本人はみんな小さかった、食糧難でやせ細ってもいた)、お尻のでかさ(私たち子どものちょうど目の高さぐらいだったからまともにそれを感じた)に圧倒されながら彼らを見ているとき、ふと気が付いたことがある。
 彼らから酸っぱいような、甘いような、何か饐えたような、何とも変な臭いがするのである。うまく言葉では表せないが、生まれて初めて嗅いだ臭いだった。体臭なのか、食事の残り香だったのか、軍服の臭いも入っていたのかわからない。
 彼らだけではなかった。その後町の中ですれちがったりした他のアメリカ兵も同じ臭いがした(もちろん全部が全部ではなかったし、そのうち慣れてとくに何も感じなくなったが)。

 なぜあんな臭いがするのだろうか。
 そもそもアメリカ人にそなわった臭いなのだろうか(当時はその言葉を知らなかったが、いわゆる体臭なのか) 。
 それとも食べ物によってつくられた臭いなのか。彼らはガムやチョコレートなど甘いものを食べている、肉を食べている、だから甘酸っぱく臭うのだろうか(当時の日本人は甘いものや肉など食べることができなかった、だから私たちはその臭いを感じるのだろうか)。
 もしかするとその両者の複合なのかもしれない。
 もしも人間に臭いがあるとするなら、人種により食べ物により臭いが違うとするなら、日本人はどんな臭いがするのだろうか。

 そんなことは考えたこともなかった。汗の臭いとか足=靴下の匂いとか腋臭とかは知っていたが、よくよく嗅げば臭うだけ、日本人の体臭などというのは考えたことはなかった。しかし、私たちは毎日嗅いで慣れているから臭いを感じないだけで、日本人にもあるのかもしれない。そしてその臭い、日本人の体臭をアメリカ兵は感じたのではなかろうか。
 私たちは日常その臭いを嗅いでいるからあまり感じないが、初めてしかも多くの日本人に接したとき、彼らはその臭いを強烈に感じたのではなかろうか。
 それではそれがどんな臭いだったのだろうか。

 そんな疑問を感じたのは小学四年生のとき、いまだにそれを覚えているのだが、その後はとくに考えることもなく過ごしてきた。日本人は体臭の少ない民族と言われていることを後で知ったが、そのときに改めてアメリカ兵の臭いを思い出したくらいだった。
 それでも、何かの拍子にあのとき感じた疑問、アメリカ兵が初めて日本に来た時、戦後の日本人の臭いをどう感じただろうかを考えることがあった。
 もしも彼らが感じたとするならば、私たち日本人も自分の臭いを感じていいはずである。しかし、私はとくに感じなかった。他の人からも口臭とか腋臭は聞いたことがあるが、日本人の体臭という話を聞いたことがない。しかし、その臭いが日常となると無臭と同じ、感じなくなっているだけ、きっと日本人にも強烈な臭いがあったのではなかろうか。
 そんな疑問をしばらくぶりに思い出させたことがあった。

 今から20年くらい前ではなかったろうか。東京出張で総武線に乗っていた時、ある駅を過ぎたら突然すさまじい悪臭がしてきた。何とも表現できない有機的な嫌な臭いである。何の臭いだろうと見まわしてみたら、前の方にいた乗客の何人かがごそごそと移動し始めた。その辺を見てみるとそこにホームレスらしい人が立っている。彼が発生源のようだ。長期間にわたって身体や衣服に染み付いた汗や埃の腐敗臭のようである。たまらなくなって彼の近くから移動する客で車内はざわついたが、彼が次の次の駅で降りたので騒ぎはおさまった。
 そのときはっと気が付いた、戦後の私たちはあれを薄めたような臭いがしていたのではなかろうかと。

 何しろ戦後のあの時期は衣服はなかなか手に入れられなかった。何日も何日も同じ服を着ていた。
 少ない衣服でも洗濯をしてかわるがわる着ていればいいではないかと言われても、石鹸などろくに手に入らない時代、町場では水道が断水ばかりしている時代、しかも当時は手洗いの時代、そんなに簡単に洗濯などできるわけはなかった。

 さらに、日本人の大好きなお風呂で身体を洗うこともなかなかできなかった。お風呂がある家など少ないし、あっても薪炭がなかなか手に入らないので毎日お風呂などというわけにはいかない。町場では水道代もかかる。銭湯にいけばいいが、燃料不足、水道料金の高さなどから入浴料金は高く、毎日入りに行くなどできるわけがない。せっかくお風呂に入っても石鹸で身体を洗うことも難しい。石鹸がないからだ。公衆浴場に石鹸をもっていったらいかに盗まれないかを考えなければならなかった時代だった。

 井戸水や川の水が使える農山村でも同じだった。いや、戦前などは都市以上にひどかった。貧しさ、過重労働は都市勤労者以上、土埃にまみれる仕事も多く、衣服はぼろのつぎはぎ(註3)、石鹸など買えるわけもなし、月に2、3日しか風呂に入れないなどという家もあったほどだった(註4)からである。
 もちろん、人家が密集しておらず、人間は少なく、山野田畑のさわやかな匂いが充満しているために、いくら忙しくとも野良仕事の後には汗と埃にまみれた身体を拭き清めることはしているために、人間の汚れの臭いは若干薄められていたかもしれないが。

 高温多湿の風土のわが国のこと、汗はかくし、衣服は汚れる、しかし今言ったことで身体は洗えないし衣服は着っ放し、そうなると当時の私たちの身体から衣服や肌にしみついている汗や垢の臭いがしたのではなかろうか。
 私たちはそれに慣れてしまっているのでとくに何とも感じなかったのだが、敗戦後日本に来たアメリカ兵はそれを日本人の臭いと勘違いしなかっただろうか。
 子ども心に疑問に思ったことに対する私の解答はそんなところに落ち着いたのだが、はたしてどうだったのだろうか。

(註)
1.11年2月17日掲載・本稿第一部「☆小学校の接収と二部授業」(1段落)参照
2.本稿の下記掲載記事に記載している④の家がそうである。
  17年5月22日掲載・本稿第九部「☆私の育った戦前の混住地域」(5段落)
3.11年1月20日掲載・本稿第一部「☆つぎはぎだらけの衣服」(2段落)、
  11年1月21日掲載・本稿第一部「☆機能的かつ貧困の象徴だった野良着」(5段落)参照
4.10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(4~6段落)、
  11年6月8日.掲載・本稿第二部「☆まだ悪かった生活環境」(6段落)
  13年3月11日掲載・本稿第五部「☆雑穀作から酪農へ、そして今は」(7段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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