Entries

日本の臭いの初印象



              臭い・匂いの記憶(3)

         ☆日本の臭いの初印象―敗戦直後の混住地域の場合―

 生家=農家の敷地から通りに漏れる悪臭について前回述べたが、周辺の農家も私の生家の場合とほとんど同じ、家畜の数や種類、敷地の広さや家屋の建て方、便所の位置の違い等で臭い方や程度が若干違うだけで、基本的には同じだった。
 また、前に述べたように生家の地域は都市近郊混住地帯で非農家がかなりあった(註1)が、そのなかにはもと農家の家屋に住んでいる世帯があり、そこも外便所だった。商家や地主の大きな屋敷もあったが、そこも外便所(ただし、農家の粗雑な木造と違って屋根は瓦葺・漆喰壁とかなり立派だった)、内便所だったのは高級サラリーマンの新築の家の2、3戸だけだった。
 だから風や湿気のせいで便所の臭いが道路にもれてくるのは、程度の差はあれ、避けられなかった。

 さらに、東西に屋敷が長く、しかも狭く、南の陽があまり当たらない家(多くは貧しい家だったが)の場合はいつもじめじめしており、むしむしする日などには屋敷からかび臭い、饐え臭い空気が道路までただよってくるときがあった。
 もっとひどいのは道路の両側にある「どぶ」の臭いだ。前にもちょっと触れたが(註2)、密集している家々の台所の下水がここに流れ込み、それが腐敗発酵して匂うのである。下水路といっても道ばたの両脇を掘り上げただけ、傾斜がほとんどなくてよどんでいるので垂れ流された下水が濃縮されて腐熟発酵していやな臭いを発する。といっても、私たちはその臭いは日常のもの、気にすれば気になるが、特に何も感じない。私たちの鼻はこんなものと思って慣れているので無臭と同じように、いや無臭であると感じていたのではなかろうか。しかし、何かの時にふとそれが気になるとたまらなくなり逃げ出してしまう。

 こうした農家や非農家のなかに米兵の訪ねた歯医者のFちゃんの家があったのだが、言葉だけでの説明ではわかりにくいと思うので、生家の周辺の略図を書いてみた。これを前節や前に書いたもの(註1)とあわせて1940年から45年ころの生家のあった地域をイメージしていただきたい。


           ←N

 さて、こうした農家・非農家の家屋敷からの便所の臭い、畜舎の臭い、道路の下水の臭い、これらは私たちの家の前の道路を通った例のアメリカ兵に臭っただろうか。
 もしも汲み取りとか敷き藁取り換えの時、下水掃除の時などにぶつかれば、あるいは風がなくて蒸し蒸しする日であれば、道路を通る人は間違いなく悪臭に悩まされたはずである(私たちでさえ許容範囲を超える時があった)。
 しかし、あの日はさわやかな秋の日、もしかすると気がつかなかったかもしれない。
 さらに、生家の道路を挟んだ向かい側・南側に畑が広がっているし、近くの寺社は高い木々の緑で覆われているので、そこからの澄んだ空気で希釈され、あるいは風で流されてしまうからでもある。
 でも、もしも嗅覚が敏感であれば、さわやかだったあの日でも便所の糞尿の臭いはアメリカ兵の印象に残ったのではなかろうか。
 といっても、彼らと当時の日本人の食べ物は大きく違うのだから糞尿の臭いも違うはず、ただよう悪臭が日本人の糞尿の臭いだと彼らはすぐわかっただろうか。そもそも彼らは獣に近い(私たちは戦中そう教わってきた)ので肉食中心のはず、それに対して日本人は草食中心、ましてや当時肉や魚は私たちはめったに食べられず、さらに付け加えれば甘いものもほとんど食べられなかっので、彼らの糞尿の臭いとはかなり違ったと思われるからである。しかもさきのダラ桶の臭いとも異なる。進駐してきたアメリカ兵たちはそれをどう感じたろうか。そんなことを近所の同級生Hちゃんと後で論議したものだったが、彼らがダラ桶+便所の臭い+家畜糞尿の臭いを日本の臭いと感じた可能性は十分に考えられる(港から山形の兵舎まで寄り道せずに来たならばの話だが)。

 それでは、市の中心部の住宅街はどうだったろうか。肥え溜めなどはもちろんなく、家々の便所は長屋や古い屋敷を除いて多くは内便所だったので、公園などにある公衆便所以外は農村集落ほど糞尿の臭いはしなかったはずである。といっても内便所の臭いは外に出るし、というより換気筒(註3)などで外に出るようにしてあるし、家々はせまいところに密集しているのて、風の吹き具合などで道路に臭ってくる場合もある。下水の臭いもする。下町にいけばなおのことだ。
 とすると、アメリカ兵のなかの嗅覚の敏感な何人かはやはり糞尿の臭いを感じたのではなかろうか。
 しかし、先にも述べたように彼らの来たのは秋の深まる時期だつた。しかもすぐに臭いを消す寒さ、雪がやってきた。
 となると、私のいうような「日本の臭いは糞尿の臭い」などと感じることはなかったのではないかとも思うのだが、どうだろうか。
 なお、空襲を受けた大都市部は便所も焼けたので垂れ流さざるを得ず、糞尿の臭いがしたと思うのだが、焼け跡の強烈な焼け焦げの臭いの充満で、それらは打ち消されていたのではなかろうか。

 ただし、アメリカ軍の占領が梅雨時に始まっていたら別だったろう。生暖かくじめじめとよどんだ空気に糞尿とどぶ、かびの臭いがただよっていたことだろうからだ。温暖湿潤気候からくる質量ともに多種多様の発酵・腐敗菌が存在しており、そのなかのいくつかを利用して日本人は生きてきたのだが、それらのなかのいずれかも臭っていたかもしれない。私たちは慣れているからそういうものだと思ってあまり感じないが、乾いた風土の国で育った人が初めて足を踏み入れたら強烈に感じたのではなかろうか。

 かなり時間が経過して日本の風土の特質について学んだときに、ふと思い出してこんなことを考えたのだが、イザベラバードの『日本奥地紀行』(註4)を読んだ時も改めてそんなことを感じたものだった。
 子どもの頃に持った疑問があることをきっかけにまたよみがえり、それを頭の中で検証してしまう、つまるつまらないは別として、おかしなものである。

 このアメリカ兵との出会いからもう70年あまり、日本人の衣食住は、そして農業・農村・農家は大きく変わったが、今、初めて日本を訪れた外国人は日本人のあるいは日本の独特の臭いというものを感じることはあるのだろうか。もし感じたとするならどんな臭いなのだろう。改めてこんな疑問がわいてきた。かつて留学していた中国や韓国の友人からいつか聞いてみたいと思っている。

(次回3月19日は、その昔の臭いの話から離れ、先日のピョンチャンオリンピックに関連して「北見、野付牛、常呂、カーリング」というテーマで書かせていただく)

(註)
1.17年5月22日掲載・本稿第九部「☆私の育った戦前の混住地域」参照
2.11年6月8日掲載・本稿第二部「☆まだ悪かった生活環境」(7段落)参照
3.12年7月18日掲載・本稿第四部「☆便所と風呂、外から内へ」(4段落)参照
4.イザベラ・バード著・高橋健吉訳『日本奥地紀行』、平凡社、2000年
  彼女がこの著書で梅雨時に書いたときの日本の印象と、その時期を過ぎた後に山形に入って書いたときの印象があまりにも大きく違うのだが、それは風土・季節と関連しているのではなかろうか、このように前に私が書いたのだが、それとかかわりがあるので上記(註)2の本稿記事の(8段落)を参照していただきたい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

03 | 2018/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

最新記事

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR