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季節で異なる漬物小屋の臭い



             においの記憶(4)

         ☆季節で異なる漬物小屋の臭い

 先日敗戦直後の生家の屋敷地からの臭いについて書いたとき、漬物小屋については秋の半ばだったためにあまり臭わなかったはずとしてとくに触れなかった。しかし、漬物には強く臭うものもあり、また私の忘れられない記憶もあるので、ちょっと触れておきたい。

 生家の漬物小屋は、四畳半くらいの床板張りだった(土間ではなかった)。
 この漬物小屋とつながって隣に一坪くらいの土間の焚き物小屋(註1)があった。この小屋には自家用のために購入した木炭、炭団(たどん)、豆炭、練炭、亜炭、杉葉、柴などがおいてあった。なお、薪はこの小屋に入りきらないので、「籾戸」の西側の軒下にうず高く積み上げられていた。まさかりで割ったばかりの薪はいい匂いをただよわせていた。
 この漬物小屋・焚き物小屋の二間の建物は、戦時中に土台から屋根までまるごとそっくり家の前の畑に埋められ、防空壕としての役割を果たさせられた(註2)が、それほど骨組みが頑丈につくられた建物(耐雪のためと思うのだが)だった。その防空壕が完成してから半年もしないうちに敗戦、その間直接的な空爆はなし、役に立つことはほとんどなしで、またもとの場所に移され、漬物小屋として復活した。それから6年後の私の高一の時、漬物小屋は私の勉強部屋として使わせてもらうことになり、長年にわたる漬物の臭いのしみついたところで受験勉強をすることになった(註3)。そのために漬物小屋は一時牛小屋の隣の物置に引っ越したが、その3年後、目的達成したので勉強部屋はまたもとの漬物小屋にもどった。
 この漬物小屋は井戸小屋の脇にあり、漬物を小屋の桶から必要な分だけ取り出し、すぐに井戸の水で洗って家の中に持っていくので、台所で切るときとか食卓にのぼったとき以外家の中で漬物が臭うということはあまりなかったような気がする。

 この漬物小屋には大きな味噌桶が二つおいてあった。だから正確には漬物小屋兼味噌小屋ということになる。
 ただ、この味噌の中には何本かのきゅうり・ナス・大根などの味噌漬が入っており、味噌桶は味噌漬けの桶も兼ねていた。つまり漬物桶でもあったことになるので漬物小屋だと言ってもいいのだろうが、味噌漬けは目的としては副次的なもの、味噌桶はやはり漬物桶とは言えなかった。なお、この味噌漬けは長く漬けておかれて黒くしなびており、かなり塩っぱかった。私たち子どもはあまり食べなかったが、大人はよく食べていた。
 生家の味噌は自家製で米麴を使った米味噌であり、毎年つくって一年寝かせて食べていた。したがって白味噌、甘味噌だった(註4)。といっても、今の味噌と比べると辛味噌といえるほど塩辛かったのではなかろうか。塩っぱくすることで少ない味噌で味がつけられるように、またおかずが少なくともすむようにし、さらに重労働に対応できるように塩分を多く供給するようにしたのだと思われる。
 この味噌の臭い、私の能力では説明できないが、そんなにきついいやな臭いではなかった。白味噌だったこともあるのかもしれないが。
 きついのは味噌桶で、近くによると味噌とはちょっと違う鼻をつくような塩っ辛い臭いがした。桶の周囲の板の継ぎ目のところは何かが桶からにじんでできたような白い模様ができていたが、何十年も使っているうちに味噌の発酵菌のようなものが沁み込み、その臭いがしたのだろうか。かなり時を経てからのこと、使わなくなった古い味噌桶を秋の漬物用に使うとおいしく漬かる、母がこう言っていたが、それもこれと関係があるのではなかろうか。

 もう一つ、漬物でないもので小屋におかれているものに梅干しの大きな甕があった。甕に入っていてきっちり蓋をしているせいか、取り出すとき以外あまり臭わなかった。特にいい匂いだとは思わないが、梅雨の合間に天日干しをしているときにはきついけどいい匂いがしたものだった。とくに日なたの匂いのたっぷりこもった真っ赤なシソの葉の塩っぱくて酸っぱい匂い、本当に大好きだった(註5)。初夏の陽を浴びて真っ赤に染まっていく梅の色も好きだったが。

 さて、本来の漬物桶といえば、まず大根漬(山形の発音は「だいごんづげ」、共通語でいえば「たくあん漬」)の大きな桶がある。これもほぼ一年中でんと座っていた。
 このたくあんが大量に漬け込まれるのは晩秋であるが、山形では白菜漬、おみ漬、青菜(せいさい)漬、芭蕉菜(ばしょな)漬(註6)なども大量に漬け込まれ、晩秋の漬物小屋は大小の漬物桶でにぎやかになる。漬物による生鮮野菜の貯蔵保全は冬場の野菜不足、おかず不足を補う上で雪国では不可欠だったからである(山国ではこれに加えて山菜の塩蔵・乾物があるが、山のない生家の地域ではそれはなく、また海が遠いため水産物の塩蔵とか漬物もなかった)。
 当然漬物小屋はいろんな漬物の臭いがしてくるはずだが、たくあん以外それほど臭わない。
 おみ漬は臭いの発生源となる干し大根を使うが、いっしょに漬け込まれる青菜(せいさい)の辛い匂いで打ち消され、それほど臭わなくなるからである。また、白菜漬、青菜(せいさい)漬、芭蕉菜(ばしょな)漬は塩漬けなのでいやな臭いを発しない。しかも真冬なので、発酵・腐敗したり、外部に臭いがもれたりはしない。白菜漬を取り出すときなどは白菜の瑞々しい匂いで、青菜(せいさい)漬や芭蕉菜(ばしょな)漬、おみ漬けを桶から取り出すときは辛い菜っ葉のそれぞれの匂い(うまく説明できないが)で、かえって食欲がそそられる。真冬の寒い漬物小屋に行って薄く氷の張っている漬物桶から冷たい冷たい漬物を素手で取ってくる母や祖母には申し訳なかったが、青菜(せいさい)漬や芭蕉菜(ばしょな)漬、おみ漬けの冷たくて塩っばくて辛い漬物で、塩味がしみ込んでも甘い冷たい白菜漬けで、熱い白いご飯を食べるのはたまらなくうまかった(註7)。

 ちょっとここで気が付いたことがある。今、臭いと匂いの二つの言葉を使ったが、いうまでもなく一般によいにおいには「匂い」、悪いにおいには「臭い」という漢字が使われている。しかし、匂いか臭いか、つまりにおいがいいか悪いかの評価は人によって違うので、本来から言うと勝手に自分が決めるわけにはいかないものである。またいい悪いをはっきりと区別できない場合もある。それならその両者を含むにおいのすべて(人間の嗅覚が感じるものすべて)を総称する漢字を使えばいい。ところがそれに対応する漢字はない。
 一方、「臭い」という字は今まで私が使ってきたような「におい」と読むが、「くさい」とも読む。それは文の流れや文意によって判断できるが、場合によって混乱することもあろう。それもわずらわしい。
 そこで本稿では、あるものから漂ってきて嗅覚を刺激するものすべてを言うときは「におい」と平仮名で書くことにする。また、私個人がいいと感じるにおいは「匂い」、悪いと私が感じるあるいは一般的にそういわれているにおいは「臭い」、そのいずれともいえないものは「におい」と書くことにする。
 それから、「臭い」は本稿ではすべて「におい」と読み、「くさい」は漢字を使わず、平仮名で書くことにする。
 なお、特にいいと万人が認めている匂いは「香り」といわれているが、これはこれで使わせていただく。

 さて、話を戻そう。
 前々段落で述べたようにして冬を越し、春を迎えるころになると、白菜漬、おみ漬、青菜漬などはかなり減ってくる。そして暖かくなるにつれて桶に残っているこれらの漬物はその色が変わってきて少し酸味を帯びてくる(発酵してくる)。これはこれでうまい。しかし、さらに暖かくなってくると腐敗してくる。その腐敗寸前の漬物を「くぎなに(茎菜煮?)」(註8)にしたり、塩抜きして油で炒めたりして食べつくす。こうして空になった桶は洗って乾かした後に漬物小屋のすみに積み重ねるなどして片づけられる。漬物小屋は少しがらんとして何か静かになったような感じだ。
 でも、たくあんの桶だけはそのまま鎮座しており、ほぼ毎食のように出されるたくあんの少しずつ変わっていく色を感じながら、春の光で芽生えてきた瑞々しい野菜や山菜をおかずにして、春の到来を味わったものだった。

 初夏、さまざまな野菜が成長して食べられるようになる。その浅漬け、一夜漬けは、漬物小屋ではなく台所の小さな桶や甕で漬けられる。
 生家の主作物の一つであるキュウリやナスが食べられるようになると、その初物は神棚にあげて拝み、家長の祖父が食べるだけ、後はすべて売り物となる(高価だからである)。生産量が多くなると一部がぬか漬けにされて食卓に出る。これはうまい。でもそのぬか漬けの甕がどこにおいてあったのか、どんな臭いがしたのかまったく覚えていない。
 やがて最盛期を迎えると、漬物小屋のキュウリ漬、ナス漬の桶に何回も何回も大量に漬けられる。採ってきたばかりの新鮮なものを漬けるのだからたまらないうまさである。長く漬けているうちに塩っぱくなってくるが、これはこれでうまく、こっちの方が好きだというものもいる。真夏の暑いとき、お昼にこの塩っぱいナス漬かキュウリ漬をおかずに水ご飯(註9)を食べるのもいい。
 それから少しやせ細り塩っぱく黒ずんできたたくあんも食卓に出される。汗をかいた身体はこの塩っぱいたくあんも欲しがる。

 このキュウリ、ナスの季節が終るころから、漬物小屋の出入りが少なくなる。白菜等秋野菜の間引きしたものを一夜漬けや浅漬けにして食べるが、漬物小屋を利用するほどではないからである。そして漬物小屋はがらんとしてくる。味噌と梅干し、少々残っているたくあん以外の漬け物桶はからになって積み上げられているだけだ。
 そして秋遅く、白菜や大根、青菜などが桶に漬け込まれ、漬物小屋はまたにぎやかになる。

 このように、さまざまな漬物が時期を違えながら混然とおかれ、しかも何年間も漬物小屋として使われているので、ちょっと言葉にできない部屋にしみついた独特の臭いを発していた。ただし、時期により小屋の臭いは若干違った。漬物の質量が、中心となる漬物が違うからである、
 ただ、一年中通して味噌の独特の臭いはした。新しく味噌を仕込んだ時期だけはちょっと違ったにおい(麹のにおいではなかろうか)がしたが。
 そして、晩秋からはたくあん漬けの臭いが小屋を圧倒した。冬の厳寒のために臭いが発散したり、外に漏れ出したりすることはなかったし、夏にはしっかり塩っ辛くなっているのでそれほど臭わなくなっているが、漬け込む量が多かったので、やはり臭いはあった。そして蓋を開けて取り出すたびにその臭いがまわりに充満する。取り出すと漬物小屋のすぐ隣にある井戸小屋の井戸の水で洗い流すので臭いはなくなるが、やはり少々臭う。
 そのたくあんが食卓にほぼ毎食のように出されたものだった。

(註)
1.3回前の本稿掲載記事(下記)に書いた「生家の建物等の配置略図」の⑦がこれである。なお、この図では「薪炭置き場」と書いたが、「焚き物小屋」と私たちは呼んでいたことを思い出したのでこれからはこう呼ばせていただく。
  18年3月5日掲載・本稿第九部「☆その昔の農家の屋敷地からの臭い」
 それから、自家用のの焚き物≒燃料(稲わら、もみ殻を除く)については本稿の下記掲載記事などに書いているので、参照していただきたい。
  13年12月2日掲載・本稿第六部「☆薪ストーブ・薪割り・焚きつけ」(2~5段落)
  10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(7~9段落)、
  11年5月27日掲載・本稿第二部「☆農村と山村の結合の解体」(1段落)、
  12年7月11日掲載・本稿第四部「☆冬の寒さ対策の今昔」(2~3段落)
2.11年2月10日掲載・本稿第一部「☆空襲に遭った日」(1段落)参照
3.13年8月12日掲載・本稿第六部「☆冬と野菜」(4段落)参照
4.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(1段落)、
  15年8月17日掲載・本稿第七部「☆自家製の味噌」(3段落)参照
5.11年5月23日掲載・本稿第二部「☆自給生産の壊滅」(2段落)参照
6.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆山形内陸部の雑食性」(6段落)、
  11年9月30日掲載・本稿第三部「☆消えていく伝統料理、家庭料理」参照
7.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆山形内陸部の雑食性」(6段落)、
  11年9月30日掲載・本稿第三部「☆消えていく伝統料理、家庭料理」(4段落)参照
8.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆山形内陸部の雑食性」(7段落)参照
9.13年8月1日掲載・本稿第六部「☆お粥・水ご飯・混ぜご飯・雑炊」(4段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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