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食卓に必ずあったたくあんと臭い



              においの記憶(5)

          ☆食卓に必ずあったたくあんと臭い

 かなり前に本稿で秋の漬物漬けの労働が大変だったという話をした(註1)が、秋も深まった頃、どこの家(非農家も)の軒先にも縄で結んで吊るした大根が何十本もぶら下げられ、見事な景色を形成していた。生家では菁菜(せいさい)と並んで籾戸や小屋の軒先を埋めつくすくらいぶら下げられていたものだった。おみ漬け用、干し大根用もあるが、大半はたくあん(私の生家の地域では「だいごんづげ」と言っていたが)用だった。
 なお、あの瑞々しい大根が干されてしなびてくるうちにいやな臭い=たくあんの臭いがしてくる。それでも秋のさわやかな日、寒い日には、よほど近づかない限り臭わなかった。
 1 週間から10日くらい(だったと思う)干してほどよくしなびたころの晩秋のある日、その吊るした大根をおろし、大きな桶に塩と米糠(ぬか)で漬け込んだ(真っ赤な唐辛子や柿の皮も入れていた記憶がある)。

 どのくらいしてからだろうか、初雪の降るころだったような気がするが、初めて漬物桶から出して食べるたくあん、これはまだ塩味がそれほど沁みておらず、辛味も残っているが、大好きだった。やがて塩味がなじんでくるのと同時にたくあんの甘みも出てくる。このころがたくあんの本当のうまみが出てくる時期なのだろう。春になってくると少しずつ塩味が濃くなり、同時にしなびてくる。夏には黒ずんて来て甘みはほとんどない。しかし、夏の暑い日など、食欲のないとき、おかずの少ない時などはご飯を進めさせる。こうして秋を迎えるが、そろそろたくあんがなくなり、新しくたくあんを漬ける時期となる。それでも若干残っていると、塩出しをして油で炒めておかずにしたりもする。ともかく最後の最後まで食べつくす。
 こうしてなくなったところに、新しいたくあんが大量に漬け込まれ、たくあんは再び漬物小屋の主となる。

 たくあんは毎日毎日、いやほぼ毎食、農家の食卓にのぼった。とくに貧乏な農家にとっては不可欠のおかずだった。たくあんだけでもご飯が食べられる、塩っ辛いからそれで間に合わせられるので、他のおかずは節約できるからである。

 食事の最中だけでなく、食後も不可欠だった。ご飯を食べ終わった後、大人はご飯茶碗に鉄瓶からお湯を注ぎ、そこにたくあんを二切れ入れ、それを箸でつまんで茶碗にくっついているご飯粒などを落としながら、またそのたくあん(塩味の薄くなってきた)をぽりぽりとかじりながら、ゆっくりお湯を飲む。これが毎日の食卓の大人の習慣だった。
 それが終わってからゆっくりお茶を飲む場合もあるが、忙しい時期にはお茶を飲まずにすぐに農作業にとりかかったものだった。

 このたくあん入り白湯飲みの習慣についての地域での笑い話を祖父が教えてくれたことがある(註2)。
 「あるところに馬鹿婿がいた。ある日その馬鹿婿が嫁さんに聞いた、
  『なぜお湯に「だいごんづげ(=たくあん)」を入れて飲むのか』。
 嫁さんはめんどうくさいのでこう答えた、
  『お湯が熱いとなかなか飲めないので、冷たい「だいごんづげ」を入れて冷ますのだ』。
 ある晩のこと、風呂に入りに行ったその馬鹿婿が嫁さんにこう叫ぶ、
  『「だいごんづげ」を2本持ってこい』。
 嫁さんは不思議に思いながらも持って行った。そして何をするのかと聞いた、そしたらこう答えた、
  『お風呂が熱すぎるので「だいごんづげ」でお湯をかきまわして冷ますのだ』。」
 それを聞いた私たち子どもは大笑いしたのだが、こんな話が地域にあるくらいだから、この習慣は私の生家ばかりでなく、周辺の農家のほとんどがそうしていたのなのだろう。
 生家のある地域からちょっと離れている母の実家でもそうだった。ちょっと違ったのは、お湯とたくあんで茶碗とお椀をきれいにし、そのたくあんを食べ、お湯をすべて飲み干した後各自の布巾で自分の茶碗とお椀を拭き、それをそのまま布巾に包んで戸棚に入れ、次の食事のときにはそれにそのままご飯を盛り、お椀におつゆを入れて食べることだ。なぜそんなことをするのか不思議だったのだが、これは前に述べたようにこの地域は飲料水の少ない地域なので、茶碗等を洗う水を節約するためだった(註3)。
 生家の場合は井戸があり、飲料水や炊事用の水に不自由しなかったので、お湯を飲む、たくあんを入れる目的はそこになかった。
 もしかして、お湯とたくあんで茶碗を少しでもきれいにしてその後での母や祖母の茶碗洗い、後片付けを手助けするためでもあったのかもしれない。
 もう一つ考えられるのは、たくあんがお茶の葉の代用品だったのではないかということである。もちろん、ご飯を食べ終わった後に囲炉裏のまわりでゆっくりお茶を飲むこともある。しかし、忙しい時にはそんなことはしていられない。またお茶の葉も当時の貧しい農家の暮らしではけっこう高価である。そこで白湯をたくあんで味付けしてお茶代わりにし、また湯の中に沈んでいるたくあんをそのお茶請けとしたのではなかろうか。

 それはそれとして、この熱い白湯にたくあん、これはけっこういける。
 でも、今の売り物のたくあんではあのときの味は出ない。もう一度ご飯を食べ終わった後の茶碗に昔の塩っぱいたくあんを入れてかきまわしながら、塩味・たくあんの味のちょっと沁み出た熱い熱いお湯を飲んでみたい、そして塩味の少し抜けたたくあんをかじって食べてみたいものだ。

 たくあんは家庭の食卓用としてばかりでなく、接客用・「お茶請け」としても必需品だった。その昔の農家はお茶請けに必ずと言っていいほどたくあんを出した。
 生家でも客には漬物をお茶請けに出した。かつてはお菓子などを買ってお茶請けに出す金などなし、漬物が最高のおもてなしだったのである。学生寮にいたとき友人を連れて生家に行くと、よくお茶請けのたくあんなどの漬物のお代わりを要求していた。彼らにとってもたくあんは、漬物は、家庭の味・ふるさとの味だったのである。
 そのころ(1950年代半ば)、こうした寮の友人たちに食べさせたいと思って生家のたくあん3~4本を新聞紙(当時のことだ、ポリ袋などはない)にくるんで風呂敷に包み、仙山線の列車に乗った。そしてそれを網棚の上にあげた。
 やがて列車が出発、そのうち何か変な臭いがし始めた。おならの臭いか便所の臭いのようでもある。他の乗客がどこから臭うのだろうと見まわし始めた。ともかく嗅いだことはある。よくよくその発生源をさぐってみたら、何と私の頭の上の網棚の風呂敷包みからではないか。私の持ち込んだたくあんがすさましく臭っているのである。困ってしまったがどうすることもできない。自分の持ち物のせいではなさそうに知らん顔をし、どこから臭うのだろうというような顔をするより他ない。乗客が少なかったからまだよかったが、こうした苦痛の2 時間半(当時はそれくらい時間がかかった)を耐え忍び、仙台駅ではみんなが降りてからこっそりと網棚からおろし、一番最後に下車した。
 そうなのである、忘れていた、たくあんは臭うものだった。

 そういえば、小学校のころ、真冬になると教室の亜炭ストーヴの上にみんな弁当を重ねて温めたものだったが、一番下の弁当が熱さで焦げたりするとおかずのたくあんの臭いが教室中にただよい、それどころが教室の外にも漏れ出して他の教室までも臭うことがあった(註4)。いい臭いだとは思わなかったけれど、お昼休みが近いことを教えてくれるもの、ストーブの温かさが教室全部にいきわたるころでもあり、みんな何かほっとし、心まで温かくなったものだった。
 それを忘れていた。仙山線の車内でしばらくぶりに改めて臭いを認識したのだが、たくあんは毎日お目にかかるもの、食べるものだったので、その臭いなどはとくに感じたことはなかった。けっこう強烈な臭いであるにもかかわらずである。

 たくあんにするために大根を干すといやな臭いがしてくる。辛み成分が分解して硫黄化合物に変わるからなのだそうだ。それを糠に漬けるのだから、今度は発酵の臭いが加わることになる。それでいやな臭いになるのだそうだが、イザベラバードは「スカンクに次ぐひどい臭い」(註5)と表現している。たしかにおならの臭いに近い。彼女にとってたくあんは日本の臭いだったのだろうか。
 それでもやはりたくあんはうまい。もちろん、私は今でも好きである。それで秋になると家内が漬けるが、年によりうまくできるときとだめなときがある(その年の天候に関係がありそうだが、技術の問題なのだろう)。最近は齢のせいもあって、漬けなくなってしまった。
 たまに近所の奥さんが自分で漬けたたくあんを持ってきてくれる。これは昔の味に近くてうまい。だからあっという間になくなってしまう。でももっと欲しいというわけにもいかず、やむを得ず店で買うことになるが、おいしいたくあんにはなかなかぶつからない。変に味付けをしているからなのか、漬け方を変えているからなのか、よくわからない。
 もう一度、祖母の漬けたあのころのたくあんを食べてみたいものである。あの世に行ってから漬けてもらおうかと思っている。

 季節の野菜の漬物とたくあんの入った深皿を並べて(=緑と黄色の彩りを添えて)お茶が出てくる、私の現役時代、調査などで農家のお宅におじゃまするとき、このお茶請けをいただくのが楽しみだった。今はどうなっているだろうか。過疎化・高齢化が進む中でたくあんを漬ける家が少なくなり、お茶請けはアメリカ産小麦を原料にしたお菓子に変わっているのではなかろうか。
 都会のましてや若い人たちのたくあん離れが心配だ。食の「洋風化」なるものがその最大の要因なのだろうが、日本の食文化の一面を代表していたたくあんをなくしてもらいたくないものだ。
 でも、たくあんの臭いは日本の臭いなどともあまり言われたくはない。あの臭いを少なくしてしかもかつての農家の味を残したたくあんを日本の伝統として維持していく(塩味は昔よりちょっと少なめにしてもいいが)、そんなことができないものだろうか。

(註)
1.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆山形内陸部の雑食性」(6段落)、
  11年9月30日掲載・本稿第三部「☆消えていく伝統料理、家庭料理」(4段落)参照
2.もしかすると本稿のどこかでこの話を書いているかもしれない。もしも重複していたら、これも年齢のせいとお許し願いたい。
3.10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(4段落)参照
4.11年4月18日掲載・本稿第二部「☆宮城・山形の亜炭、秋田の油田」(1段落)参照
5.イザベラ・バード著・高橋健吉訳『日本奥地紀行』、平凡社、2000年。申し訳ないが、その何ページにたくあんのことが書いてあったか思い出せない。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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