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戦後混乱期の農村(4)

  

           ☆半玉の中学生

 いえのために身を売る、食えないから身を売る、こんなことは戦後の民主化の中でなくなったはずである。しかし、現実にはそれに近いことがまだ残っていたのではないか。そう私は思う。

 中学二年(一九四九年)の春頃から同級生の女の子の一人が突然学校に来なくなった。評判がたった。母子家庭でかなり貧乏な暮らしをしており、どこかに売られたらしいと。国語の教科書を読むのがとっても上手で、気の強そうな色の黒い小さな女の子だった。
 中三になった頃、彼女が突然また学校に出てくるようになった。時々休みはするけれど、ともかく来るようになったのである。席は私のちょうど斜め前だったから、よく目に付いたのだが、たまに首筋にお白粉を真っ白に塗って学校に来ることがある。私たち子どもにとってはショックだった。そのうち友だちからうわさがひろまってくる。山形の花街に売られ、芸者になったのだと。
 実際に彼女は半玉(註)として料亭に出ていた。それを聞いた先生方が芸者置屋に行って学校にだけは通わせるようにとかなり交渉した(のだろうと思う、後で聞いても答えてはくれなかったが)。その結果学校には出てくるようになった。しかしときどき夜遅くなって風呂にもいけないときがある。それで顔の化粧だけ落として学校に来る。そのために彼女の首のまわりに水お白粉がそのまま残ることになるのである。当然彼女は同級生からどんな風に見られているかは肌で感じていただろう。後ろからそれを見られていろいろ噂されるのはどんなにいやだったろう。もちろん私どもはまともに悪口を言ったりいじめたりはしなかった。でもそれに慣れるまではやはり好奇心でじろじろ見、いろいろ陰口を言っていた。とくに他のクラスのものがそうだった。しかし、きかん気の彼女は、それを顔にださずに、学校に出てきた。私は、何か大人を見るような、想像できない世界の人を見ているような、何となくくすぐったい思いをして彼女の襟足のお白粉を眺めていた。
 卒業式近くなってまた彼女は学校に来なくなった。でもともかく卒業だけはできたようだ。これが身売りだったのかどうかわからない。しかしともかく中学生が花街の座敷に出させられていたのである。
 それから二年くらいしてからである。叔父から突然聞かれた。お前の中学の同級生にこういう名字の女の子がいただろうと。宴席で芸者と飲んだとき、何かのきっかけで叔父の酒井という名字の話しになり、そこから私のところまで行き着いたらしい。叔父はびっくりしたし、彼女も驚いたらしいが、私にとってはさらにショックだった。彼女は芸者になっていたのである。
 その後、彼女は山形一の芸者として有名になった。大学生になったばかりのころ、偶然芸者姿の彼女と町ですれ違った。おたがいに驚きながら声をかけあった。彼女の山形弁はそれはそれは洗練されていてきれいだった。山形弁は野蛮な汚い言葉だと思っていたが、こんなにすっきりしたきれいな言葉だったのかと見直したほどだった。言葉が続かなかった。言葉から身のこなし、姿形、あまりにも大人で、同級生とはいえ子ども同然の私は言葉につまってしまった。一~二分しゃべって別れた。雪の積もっていた日だった。
 その出会いなどは彼女はおそらく覚えていないだろう。しかし私にとっては忘れられない。いつかは言いたいと思っていた私の気持ち、それを言えなかったことが口惜しかったからだ。中学校の時彼女がどんな思いをしていたのか、それに何の手助けもできなかった自分の申し訳ない気持ち、それを伝えられなかった。そして今の彼女がいかにすてきな女性になっているかを伝えることもできなかった。気後れして何も言えなかったのである。
 それから何年かしてまた噂を聞いた。金持ちの二号として落籍されたらしいと。

 いま述べた例は特別だと思うが、子守奉公や女中奉公などはまだ残っていた。大きな商人や高給取りなどは中学校を出たばかりの女の子を子守りや女中として雇った。母の実家では、夫婦二人で先生をし、祖父母は農業をしていたので、中学校を卒業したばかりの女子を子守りとして雇っていた。もちろん身売りではなかったが、前渡し金を親に渡しての雇用だったから、それで子どもを縛ると言う点では同じだった。こうした職安を通さない古い形態の雇用は、中小商店、職人、大きい農家の年雇にもあった。私の家でも近在の農家の子女を年雇いとして雇用した。これについては第二部で述べることにするが、こうした状況は高度経済成長の始まるころから少しずつ変わってくることになる。

(註)はんぎょく、芸者とともに座敷に出る芸者見習い中の少女のこと。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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