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火鉢、こたつ、行火のにおい



            臭い・匂いの記憶(13)

          ☆火鉢、こたつ、行火のにおい

 ちょっと長くなって申し訳ないが、こんな暮らしもあったのかということで、もう少しだけ私の生家の昔の話を聞いていただきたい。
 前回述べたいろり・かまど以外で火を使うのは茶の間(=客間)の長火鉢である。これにはいつも炭火が熾きていた。といっても、夜寝るときや人のいないときは燃え尽きないように炭火に灰ならしで灰をかぶせておく。時間がたてば燠火(おきび)は灰になって小さくなってくる。そうするとその熾火に新しい炭をつぎ足す。そのときは「冬上夏下(とうじようかげ)」(註1)で、夏は火種の燠(おき)を新しい炭の下に、冬はその逆で炭の上に火種を置くと火つきがよいのだそうである。ちょっと時間が経つと新しい炭に火が付き、黒が赤色に少しずつ変わっていく。安い(=質の悪い)炭だとときどきぱちぱちと炭火がはじけて危ない。炭火の上で手を温めていたりすると火の粉が飛んできてアチッとなる。熾きている間は独特の炭火のにおいがするが、全面真っ赤になるとまったくにおわなくなる。
 その炭火の上の五徳にはいつも鉄瓶がかけてあり、お湯が沸いていた。沸騰してくると注ぎ口から白い湯気があがり、ときには胴と蓋の間から湯気が吹き出し、チンチンと音を立てるときがある。誰もいない静かな部屋でこの音を聞くと何か落ち着いたなつかしい感じに包まれる。この長火鉢の炭を熾す臭いが茶の間のにおいだった。
 なお、戦後のことだが、真冬になると、炭のかわりに練炭(木炭の粉を主原料にしてつくられたもの)が灰の中に入れられるようになった。練炭は火力が強く、長くもつので安上がりだったからである。しかし熾きるまでの間かなりにおうことと二酸化炭素中毒の危険性があることが問題となる。それを避けるために、屋外で七輪に炭火をおこし、その上に練炭をおいてかなり熾きたころに火鉢に移したものだった。

 客が来ると茶の間はお茶を入れる匂いがたちこめる。ただし夏は部屋が開けっ放しなので外の空気と同じになる。
 真冬の茶の間にはときどき甘酒のにおいがたちこめる。長火鉢にかけてゆっくり温めて祖母が私たちに飲ませてくれた。
 それから正月についた切り餅を焼くにおいだ。いろりで焼く場合もあるが、火鉢の火なら子どもでも焼けるので、おやつとしてよく焼いて食べた。五徳に載せた網渡しの上で焦げ始めるときの餅の匂い、とくに醤油をつけて焼いたときの醤油の焼けるにおい、食欲をそそるにおいだった。膨らんでパチンとはじけ、ぺっちゃんこになったり、焦げて真っ黒になって焦げのにおいがただよったり、子どもたちはいかに上手にうまく焼くかで奮闘したものだった。
 それで思い出した、するめもこの長火鉢で焼いておやつとして食べた。いろりでは火力が強すぎてじっくりと焼けないからだろう。網渡しの上にするめをおく。焼けていいにおいがしはじめると同時に、くるくるっとするめが丸まってくる。それを火箸でおさえながらじっくり焼き、焦げつく寸前に火箸でおろし、アチッアチッといいながら手でするめを割く。熱すぎて手を離したりしているとするめは固くなって割けなくなるし、何よりもまずくなる。何とか急いで割いて口に入れる。うまい、熱い、固い。かみしめればかみしめるほどうまい。だけどゆっくりそんなことをやっていたら固くて食べられなくなってしまう。
 こんなことを思い出していたら、急にするめを焼いて食べたくなってきた。もう何年食べていないだろうか。その昔、居酒屋でよく焼いてつまみにしてくれたものだが、この冬の晩酌のつまみにそうしてみようか。

 客間の長火鉢以外に瀬戸の丸火鉢が大小三つ、木製の角火鉢(=箱火鉢)が二つあるが、これは客がたくさん来て奥の間で接待するときなどにのみ使われる。当然真冬などはこんな暖房で足りるわけはない。でもその昔は寒いのが当たり前、客人はみんな着込んでいるので、手あぶりや煙管に火をつけるのに火鉢を使う程度で我慢したものだった。
 しかし、家族はそうはいかない。子どもや年寄りはとくにそうだ。そこで掘りこたつ(今よく見られる腰掛式ではない)がおかれ(春から秋にかけてはこたつ櫓は取り外され、畳がしかれる)、生家では二つの部屋におかれていた。畳半畳弱の真四角の炉に入れられている灰の中央に常時炭火がおかれており、用事がなければみんなこたつに入って過ごした。温かいこたつに入って食べる冷たい甘酸っぱいみかん、まさにそれは冬の味、こたつの味だった。また夜はそのこたつにみんなの布団を並べて敷き、足をこたつに入れて寝たものだった(註2)。
 床の間と仏壇のある奥の部屋に寝るものは行火が暖房となる。部屋は寒い、布団は冷たい、足元の行火があったかいだけ、手足が温まって寝つくまでが大変だった。
 このこたつ、行火はとくに臭いはしないが、その炭火に何かゴミが入ったとき、下掛けの布団や温めるためにやぐらにかけていた下着等が何かの拍子に落ちて下の炭火に触れたとき、焼け焦げの臭いが布団のなかから立ち上ってくる。そのうち煙まで出てくるようになる。これは炭や木が焼けるのと違って本当にいやな臭いである。放っておけば火事になる。大騒ぎになってその原因を探し出し、焼け焦げているものを取り出す。火を手でもみ消したり、家の外に出したり大騒ぎとなる。こうして気が付けばいいが、たまたま家人がいない場合、気が付くのが遅れた場合などは大火事になってしまう。そういう実例はかなり聞くので、それだけが心配だった。
 戦後は木炭の他に豆炭(石炭の粉を主原料にしてつくられたもの、火力は強く、長時間もち、やけどの危険も少なかった)も使ったが、当然のことながらこの豆炭のにおいは木炭や炭団、練炭と違っていた、言葉では表現できないが。

 こんなに炭火を焚いて二酸化炭素中毒は大丈夫かが問題となるが、今と違ってつくりは開放的、隙間もけっこうあり、それほど心配しなかった。それでも相対的に密閉度の高い茶の間で炭火を熾すときがちょっと心配、本当にたまにだが頭が痛くなる時があった。

 なお、奥の間には仏壇、その手前の部屋には神棚があるが、朝と晩、食事の前に家族全員かわるがわるお参りをする。祖父がお参りするときは燈明がともされ、仏壇には線香もつける。そして蝋燭と線香のにおいが家中にただようことになるのだが、お経をあげているうちに線香はある程度小さくなるので後で倒れて火事になったりする心配は少ない。この線香のにおい、なつかしいがあまり好きではない。不祝儀やお寺で嗅ぐものだからだろう。

 屋外は雪で覆われるために臭いはきわめて少なくなる。ぎっちりと閉められている家屋敷からにおいが外に漏れることも少ない。まさに無臭の世界だ。だから、家に帰ってきたときのいろりや火鉢の炭火のにおい、こたつに入ろうと足を入れたときにかけ布団の中からもれてくる温かいにおい、餅やするめを焼くにおい、雑煮や納豆汁(註3)のにおい、前に書いた学校の教室の亜炭ストーヴと弁当の焦げるにおい(註4)、これらが私にとっての冬のにおいということになるのだろう。

     ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

 本稿「随想・東北農業の七十五年」を書き始めてからもう12年、ブログで公表してから8年になる。そしてこの第九部も書いてから一年半近く経過し、書籍にするとA5版・900字×400㌻の一冊になってしまう。よくもまあ書いたものだし、また読んでいただいたものだと思うのだが、それはそれとして、これまでと同様にこのくらいで第九部を終わらせ、以下は第十部として書かせていただこうと思う。
 とは言っても、第九部の後半から書いている「においの記憶」の章はまだ終っていない。まったく個人的な些細な思い出話で、また前に書いたのと一部重複するところもある等々で申し訳ないのだが、もう少し思いつくまま書かせていただきたい。つまらなかろうと何であろうと、今書いておかないと、急がないとますます忘れてしまうだろうし、消えたものは戻らないからである。それで、その続編を「続・においの記憶」として第十部の最初で書かせていただき、その後にまた別のことを思いつくまま書いていこうと思っている(心身の状況が許す間はという限定つきになるが)。

(註)
1.子どものころの私はこう大人から教わったのだが、正式には「夏下冬上(かかとうじよう)」と言うのだそうである。いずれにせよこの言葉はもう死語になりつつあるのだろうが。
2.12年7月11日掲載・本稿第四部「☆冬の寒さ対策の今昔」(2~3段落参照
3.11年9月26日掲載・本稿第三部「☆山形内陸部の雑食性」(1段落)参照
4.11年4月18日掲載・本稿第二部「☆宮城・山形の亜炭、秋田の油田」(1段落)、
  18年4月2日掲載・本稿第九部「☆食卓に必ずあったたくあんと臭い」(8段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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