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夏の夜のにおい



            続・においの記憶(3)

            ☆夏の夜のにおい

 山形内陸の夏は暑い。前にも述べたが、かつては日本の最高気温の記録を持っていた。
 しかし、夜は涼しい。朝方などは寒いくらいで、掛け布団も必要となる。
 この一息つく夜、困りものは蚊だ。でも、それには蚊帳があった。
 さきほど述べたトマトもぎ等の収穫や荷造り等々の農作業が終り、夕食をとつて一休み、入浴をして、布団を敷く。この布団敷きは私たち子どもの仕事だった。敷き終わると蚊帳を吊る。小さい時は四方の隅にある蚊帳の吊り手を柱にひっかけるだけの背の高さがないので大人にやってもらうが、蚊帳を広げたときのいい匂い、繊維(麻)のにおいなのか、緑色の染料のにおいなのかわからないが、清潔な感じがして大好きだった。この匂いで睡眠が邪魔されることもなく、かえって睡眠が促進される。蚊が来ない、刺されないという安心感もあるのかもしれないが。遊びや手伝いで疲れている、涼しくなっているということもあろう、ぐっすり眠れたものだった。
 蚊帳を押し入れから出して初めてそのなかで寝る日、そのにおいをかいで改めてもう夏なのだ、楽しい夏休みが近いと実感し、ホタルを捕まえて蚊帳の中に放そうとかいろいろ考えながら楽しい眠りについたことを思い出す。
 この蚊帳を仕舞う日、これは夏の終わりを示すもの、蚊帳を吊ったりする面倒がなくなるのでほっとする一方、秋の始まりを感じて寂しくなったものだった。それをまた、こおろぎの鳴き声が実感させる。
 蚊帳の匂い、まさにこれは真夏の夜の匂いだった。もう何十年この匂いをかいでいないだろう。これなしで暮らせるようになった便利さを感じながら、寂しさも感じてしまう、年寄りは困ったものである。

 蚊といえば、そしてにおいといえば、もう一つ、蚊取り線香がある。
 夏の夕方、緑色の渦巻状の蚊取り線香に火をつける。青い薄い煙が最初は真っすぐ一本になって、途中からゆらゆら揺れながら立ち上る。同時に刺激的な臭いがしてくる。これも真夏の夜のにおいである。白くなった灰が落ちないでそのままの形で残るのがいつポトッと落ちるか見るのもおもしろい。
 ところで、子どもの頃この煙で蚊が死んだのを見た記憶がない。そもそもそういうものなのだろう、単に蚊のいやがる臭い、寄ってこないようにするためのものだろうと思っていたのだが、1960年代になって使ってみたら蚊は実際に落ちて死ぬことを発見した。戦時中の食糧増産で原料の除虫菊の生産が減ったために質の悪い(混ぜ物の入った?)蚊取り線香しかなかったためなのか、ともかく子どものころはあまり頼りにしていなかった。だが、60年代以降今にいたるまで夏の必需品として使っている。いずれにせよこの蚊取り線香もやはり私にとっての真夏の夜の匂いである。

 なお、この蚊取り線香が戦争で手に入らなくなったころ、干したよもぎで蚊燻(いぶ)しをすると蚊が来なくなるということで生家でやった記憶がある。隣組(=戦中政府の指令で作らされた町内会などの下に設けられた最末端の地域組織)からの通知でやってみたのか、昔やっていたのでもう一度やってみようということからだったのか思い出せないが、乾燥して茶色になってごそごそしたヨモギの茎葉(触ると手が痛かった覚えがある、同じ干し草でも干したヨモギの臭いはかなりきつく、これはおてんとさまの匂いとは言えず、真夏の太陽のにおいと言った方がいいかもしれない、草にも太陽との相性があるのだろうか)に火をつけたらすさまじい煙と臭い、目は痛くなる、鼻は痛くなる、これで蚊は来なくなるかもしれないが、人間様もたまったものではない、ということで一回でやめたような記憶がある。
 そんなことで、闘う武器のない人間は蚊帳のなかに避難し、夜中だけでも安らかに過ごすしかなかった。その蚊帳の中に一匹でも蚊が入りこんでしまったら大変、だから蚊帳の出入りのときには蚊が入り込まないように幼い子どもでも神経を使ったもの、身を縮めて一瞬のうちに出入りするように気を付けたものだった。

 街灯もろくになく、家々の電灯も少ない時代の夏の夜、近くの一銭店屋(駄菓子屋)から買ってきた花火に火を点けるために擦ったマッチの軸の燐の燃えるにおい、花火のまぶしい光で顔を照らしながらかいだ火薬のにおい、顔が着物が明るくなったり暗くなったりするなかでかいだ線香花火の燃えるにおい、これも真夏の夜のにおいだった。

 お盆の時だったと思うのだが、子どもたちが夜集まり、歌を歌いながら家々をまわってお菓子をもらい歩く行事(註1)があった。そのときに暗い夜道を照らすために持って歩く提灯や「カンテラ」の灯り(平たい缶詰の空き缶の底に手で持つための細長い板もしくは棒を釘で打ち付け、空き缶のなかに飛び出してきたその釘の先に蝋燭を立て、火をつけて灯りとした)の蝋燭の融けるにおいと空き缶が熱せられて発する灼けた金属のにおい、この微妙なバランスのにおい=真夏の夜の冒険のにおいがなつかしい。

 夏休み、母といっしょに母の実家に泊りに行く。純農村地帯なので蝉取り、川遊び等々、遊ぶところはいっぱい、遊び疲れて夕方を迎える。そして食事の前に私の好きなお風呂となるが、母の実家の風呂はあまり好きではなかった。お湯が変に臭うのである。家の前を流れている小川の水を沸かしたお湯だからだと気が付いたのは小学校に入ってからではなかったろうか。
 前にも書いたが、母の実家の地域は扇状地の中間地帯、地下水位が非常に低く、水脈を探して井戸を掘り、水をくみ上げるのは容易ではなく、井戸は集落の中心部に一ヶ所あるだけだった。飲み水はそこから汲んでくるのだが、何しろ数十㍍離れているので風呂の水を汲んで沸かすなどというのは容易ではない(註2)。そこで飲料水は井戸水、風呂の水は家の前の小川の水ということになる。小川は急流、本当にきれいで無臭なのだが、流れてくるうちに川魚やヤゴなどの糞や死骸、枯れた草葉が溶け込む等々でいろんな有機物、無機物を水が含有するようになる、それが温まると臭ってくるのだろうか、悪臭がするのである。それではどんな臭いかと言われると説明できない。何か似ている臭いはないかと考えるのだが、思いつかない。いやな臭いではあるが、我慢できないほどではない。汗はかいているし、入るよりほかない。母の実家に行くのは大好きだったが、真っ暗で怖い夜の外便所とこのお風呂の臭いだけが苦手だった。
 母の実家に泊まるのは夏に多く、また長期間滞在した疎開は夏だったので、やはりこのお風呂の臭いは私にとって真夏の夜のにおいだった。

 また疑問になってきた、そもそもこのにおいをテーマにして書くのは間違いだったのではなかろうかと。
 ほとんどあらゆるものににおいがあるし、それぞれ思い出もあり、書いたらきりがないからだ。しかもその多種多様のにおいを言葉で表現できず、知っておられる方はいいとしても、ご理解をいただくのはきわめて難しい。自分の表現能力のなさのせいなのだろうが、いらいらしてくる。視・聴・嗅・味・触覚、みんな難しいのだが、嗅覚の表現がもっとも難しいのではなかろうか。たとえば視覚であれば色とか形とかの基準(赤とか白とか、四角とか丸とか)があるので、それを述べて類推してもらうことが何とかできるのだが、嗅覚にはそれがなく、類似しているものをさがして表現するのも難しい。嗅いだことのないものもたくさんある。いい匂いとか悪い臭いとか、きついとか淡いとかくらいしかいえない。これではご理解いただくのが難しい。だったらやめるべきだろう、などと何度も思いながら、ここまで書いてしまった。
 だからといってもしもこれで打ち切れば、他ににおいの思い出はないのかと思われてしまうかもしれないし(自意識過剰かもしれないが)、何か中途半端な気もする。残し伝えてもいいのではないかと思うこともやはりある。また、これまで書いたことでもにおいという視点から改めて見直してみることもあっていいのではなかろうか。そんなことからもう少しだけ思いつくまま書かせてもらうことにする。

 と、ここまで草稿を書き上げたとき、前々回(18年6月11日掲載)の『☆おてんとさまの匂い』の記事の末尾のコメントのところにshusaku itoさんから「干し草のにおい」に関するコメントのメールがちょうど届いた。読ませていただいたら、私の書くのもすべて無駄ではなさそうである。やはりもう少し続けさせてもらおう。

(今月末から来月初めにかけて所用で前に一時期住んでいた北海道に行ってくるので、次回は7月3日〈火〉とし、若干短かめの文を掲載させていただく)。

(註)
1.11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り(3段落)、
  17年2月13日掲載・本稿第八部「★子どもたちの餅・菓子もらい行事」(8段落)参照
2.10年12月13日掲載・本稿第一部「☆家事の手伝い」(4段落)参照


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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