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季節の行事のにおい



            続・においの記憶(4)

           ☆季節の行事のにおい

 本稿の第一部で私たちの幼いころの季節の行事について述べているが(註)、ここではそれをにおいとのかかわりで述べてみる。
《正月》
 餅つきのために大きな釜でふかしたもち米の匂い、普通の米を炊いたときの匂いとはまた違い、これはこれで独特のいい匂いがする。 餅をつく前にその一部を茶碗に盛ってもらい、それをおにぎりにし、塩をまぶして熱々のうちに食べる、そのときのもち米の匂いは本当にいい(なお、もちつき機でふかした場合もほぼ同じ、今もそれを楽しんでいる)。
 大きなゆで釜からふけあがったもち米を臼に移してひろげると家の中にそのいいにおいがひろがる。きねをふるって餅をついていいるうち、そのにおいは消える。やがて餅となり、今度はそのにおいがしてくる(ふかしたもち米のようににおわないが)。
 私の好きな山形風雑煮、あのにおいもいい。小豆餅、納豆餅、そのにおいも含めて私は好きなのだが、納豆の臭いがきらいだという人がいる。しかし私にはまったく臭わない。でも、そういわれてみてよくよく嗅いでみるとそれなりのにおいはする。いい匂いだとは思わないが悪い臭いだとも思わない。小さいころから食べ慣れているために鈍感になっているのだろうか。
《小正月》
 繭玉つくりがあるが、匂いとのかかわりでいうと、何日間か下げて乾燥した繭玉=団子を春先に油で揚げたり、バクダン屋さんに頼んでバクダン(ポン菓子)にしてもらったりするときの香ばしい匂い、食べてはもちろんだが、本当に好きである。もう一度あの匂いをかぎたい、食べたいものだ。
《節分・耳開け》
 祖母が台所で豆をフライパンで炒る、これは本当にいい匂いであり、家の中にひろがるとついつい食べたくなって子どもたちが集まってくる。しかし口の中に入れると固くてなかなか噛めず、冷めたらなおのこと、決してうまいものではない。匂いと食味の格差はきわめて大きく、子どもたちはがっかりである。でも年の数だけは食べる(節分のときだが)。翌年また匂いを嗅ぐとついつい食べたくなってしまう、そして後悔、その繰り返しだったが、この匂いに対応した食感で食べてみたいと思ったものだった。
《ひな祭り》
 お雛様にあげる海苔巻きといなり寿司、油分の不足しているあのころ、醤油で煮付けた油揚げの臭いをかぎながらたっぷり食べられ、これまた遠足とか特別の時のおにぎりの時くらいしかめったに食べられない海苔のおにぎり、海苔の香りと甘い酢飯のにおいをかぎながら食べられるのが楽しみだった。
 なお、寿司とは海苔巻きと稲荷寿司のことを言うものだと私は中学のころまで思っていた。戦中戦後の混乱期ましてや内陸部では江戸前の生寿司など一般庶民はお目にかかれなかった時期に子ども時代を過ごしたからなのだろう。
《端午の節句》
 旧暦でやるのでまわりはもう鮮やかな緑、菖蒲とよもぎを束ねて玄関の屋根の上にあげ、夜は菖蒲湯に入るが、そのにおいは鼻にツンとくるほどきつい。しかし、清潔な身の清められるような匂いがして、元気が出るような気がする。好きだった。また、これは本格的な夏が来ることを知らせる匂いでもあった。
 柏餅の柏の葉は色もにおいもとくにいいとは思わないが、餅のなかに包まれているあんこが魅力だった。ちまきを包む笹の葉の鮮やかな緑、そしてそのにおいも好き、中の蒸したご飯はその笹の葉の緑のにおいを吸い込んでいて大好きだった。
《七夕》
 生家の裏の菩提寺の竹やぶからもらってくる細竹の葉のすがすがしい匂い、終わった後にその竹をかついで近くの川に流しに行った時の早朝の涼しい風のにおい、枯れ始めた竹の葉のにおい、川のにおいが忘れられない。
《八幡様の祭り》
 ごま塩のかかったおふかし(お赤飯のことを私たちの地域ではこう言った)、自分たちが食べるばかりでなく、祭りに招いた親戚や知人等に重箱に入れて持たせ、あるいは私たちが運ぶので、家の中はおふかしのにおいでいっぱいとなる。私にとっては小豆の匂いとごそごそした食感さえなければもっといいのになどと思いながら小豆を取り除き、ごま塩と甘みのあるもち米のご飯の絶妙な取り合わせを楽しんで食べたものだった。
 子どもたちが小遣いをもらって神社の境内にずらりと並んだ露店から買ってくる綿あめの甘い匂い、どんどん焼きや玉こんにゃくの醤油の匂い等が一年ぶりで家の中に流れる。夜の露店を青白く照らすアセチレン灯のガスの強烈な臭いと燃えるときのシューッという音、これこそ子どもにとっての非日常、胸がわくわくしたものだった。
《冬至》
 「ゆず湯に入ると風邪を引かない」と祖母が湯船にゆずを2~3個浮かべてくれる。普通のみかんよりきついにおい、風邪の予防に効きそう、清潔な感じもして好きだった。ただ、遅く入ると匂いはなくなっており、ゆずはぶよぶよになっていて気持ち悪かったが。
 冬至カボチャ、特別うまいとも思わなかったが、甘味不足時代の子どものころ、カボチャとあんこの甘いにおいが身も心も温めたものだった。

 おてんとさまのにおいからはじまって夏のにおいに話を進め、今回は季節の行事の話をしたが、そうなると春、秋、冬のにおいも書かなければならなくなる。しかし俳句と違って本稿は季節にとらわれる必要もとくにない。それでこれからは季節を離れて筆の走るまま(いや指の動くままか)に書かせていただく。

(註)11年1月26日掲載・本稿第一部「☆季節の行事、祭り」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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