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家の中のいい匂い



            続・においの記憶(5)

            ☆家の中のいい匂い

《青畳》
 本章の最初の節で述べた干し草以上にいい匂いなのが青畳だ。新しい畳の、あるいは何年かに一度表替えをした後の畳表の淡い青緑色のイグサの発する芳香、これはたまらない。しかし、日にちがたつにつれ畳の色は黄色くなり、いい匂いはうすれていく。これが寂しい。できたら毎年畳替え、と言いたいところだが、貧乏人は悲しいもの、現在のわが家は数年に一度、来年あたり交換の時期のはず、それを楽しみにしている。
 もう一つ、この畳替えの楽しみは職人さんが家の庭で作業をするのを見ることだった。太い針をあの分厚い畳に間違いなく裏まで刺す時の手ぎわのよさ、太い包丁で畳表を切るときの見事さとサクサクという音等々、あきずに見ていたものだった。しかし、今は車で作業場に畳を運んでいって機械で仕上げ、それを家に持ってくるというだけになって見られなくなった。それが寂しい。
 それよりも何よりも畳を使う家が少なくなっていることが寂しい。今の畳表は中国産が多く、いい匂いもあまりしないとのこと、これも畳離れをもたらしているのだろうか。畳の生活のよさを、日本のイグサをもう一度見直してもらいたいものだ。

《桐箪笥、樟脳・ナフタリン》
 この青畳に映えるのが生母が嫁入り道具の一つとして持ってきた総桐の箪笥だった。木目がそのまま浮き立っているこの箪笥の桐のにおいが好きだった。私の幼いころだから、つまり母が嫁入りして年月がそれほど経っていないころだからまだ新しく、ましてや匂ったのだろう。
 その箪笥の引き出しを開けると着物がぎっしり詰まっているが、今度はまったく違う匂いがする。樟脳の匂いである。当時の一銭銅貨よりも小さめで半透明の白色をした樟脳、本当にきれいで、ちょっと刺激的だがいい匂いがする。といってもこれは殺虫剤、なめたり食べたりしてはならないときつく大人から言われているのだが、それでも樟脳のさわやかな香りのついた着物は好きだった。
 なお、この樟脳は遊びでもなじみの深いものだった。前にも述べたように、戦前の私たちの子ども時代、水に浮かぶセルロイド製の本当に小さい船を売りに来る人がいたが、その船は後ろに樟脳をつけるとひとりで動くのである(註1)。その船を買ってたらいの水に浮かべて遊ぶのだが、やがて樟脳が溶けてなくなる。すると母か祖母に頼んで樟脳をちょっぴりもらい、それを後ろにつけて動かそうとするのだが、なかなかうまくできない。そのうち船は壊れ(何しろちゃちなつくり)てくる。来年もう一度来るのを待ち、そのときはもっとうまく樟脳をつけよう、そして長く遊ぼうなどと決心したものだった。結局は翌年も同じ結果になるのだったが。
 この樟脳がナフタリンに代わったのは戦後かなり早い時期だったような気がする。ナフタリンは樟脳よりも安くて効き目があるということで変わってしまったのだろう。クスノキを原料とする防虫剤が石油を原料とする化学物質の安価な防虫剤に変わる、戦後の「化学化・石油化」がこうした分野でも進んだのである。
 このナフタリンの臭いは樟脳と似ていた。ちょっときついくらいの程度だった。だから私などは最初樟脳の商品名をかっこよく洋風・カタカナにしただけなのだろうとさえ思っていた。
 戦後時間が経過するにつれて着物を着る女性が少なくなった。それでも、桐の箪笥を生母から引き継いだ私の義母(生母の妹、つまり私の叔母に当たる)(註2)が遠出するときに着るのは着物だった。めったに着なくなったこともあろう、着物にはしっかりナフタリンの臭いが沁み込み、なかなかとれなかった。かつては山形から仙台の私たちのところに来るまで約3時間、それでも着物についたにおいは消えず、かなりにおった。だから私の子どもたちは今でも笑いながら言う、「ナフタリンはおばあちゃんのにおいだった」と。
 今は無臭の防虫剤もあるようだし、合成繊維の衣服が多くなったことから昔のようにナフタリンの臭いがしなくなったが、ときどき樟脳のにおいが無性になつかしくなるときがある。

《石鹸とお母さん》
 1960年代に流行った歌の『おかあさん』(註3)、私の好きな歌の一つである。
  「おかあさん なあに
   おかあさんて いいにおい
   せんたくしていた においでしょ
   しゃぼんのあわの においでしょ」
 でもこの歌は、私の娘や息子の時代以降のお母さんに対する歌、つまり香料入りの洗濯石鹸が使われるようになった時代、電気洗濯機時代のお母さんを唄った歌であり、私や家内にとって洗濯や石鹸の匂いは母の匂いではない。かつての洗濯石鹸からはいいにおいがしなかったからである。
 私たちの子どものころ、つまり手で衣服を洗う時代の家庭用の石鹸は化粧石鹸、洗濯石鹸ともに固形石鹸だった。そして、角張った大きめの直方体で、あまりいいにおいのしないつまり香料の入っていないのが洗濯石鹸であり、やや小柄の丸みを帯びたスマートな形の直方体でいい匂いのするのが化粧石鹸(戦時中の配給時代は匂いなどなく、形も悪く、質も悪かったが)であると私たちは理解していた。といっても私たちはそれを化粧石鹸とは呼ばず、「カオウ石鹸」と呼んでいた。幼いころの私はそれを「顔石鹸」、顔を洗うのに使うからそう呼ぶのだろうと思っていたのだが、やがてそれは花王石鹸のことであり、その広告看板がどこでも見られ、実際にそれを買って使っていたからそう呼んでいたのではないかと思っている。
 それを化粧石鹸というようになったのは私の場合戦後だった。なぜそう変わったのか覚えていないが、花王石鹸は商品名であり、他の会社の製品もあることをきちんと認識するようになったからではなかろうか。
 それからシャボンという言葉、これもよく使った。幼い頃は石鹸という言葉よりもシャボンを普通に使っていたと記憶している。そのシャボンが戦時中に敵性語とされ、石鹸に置き換えられ、それが戦後そのまま使われるようになったのではなかろうか。それでもこの「おかあさん」の歌がつくられ、流行ったころはまだシャボンという言葉が生きていたようである。今はシャボン玉のシャボン以外ほとんど聞いたことがない。石鹸からシャボン玉をつくる(これはけっこう大変なのだが)ことなど今の子どもたちは知らないのではなかろうか。
 それはそれとして、もしもこの歌の「しゃぼん」が化粧石鹸であるなら、その泡はにおうのでつまり化粧石鹸には香料が入っているのでおかあさんのにおいになる可能性は十分にある。しかしその前の歌詞の「せんたくしていた」ということからすると、この場合の「しゃぼん」は洗濯石鹸と考えることもできる。
 ということは、この歌が作られたころの洗濯石鹸には香料が入るようになっていたことを示すことになる。
 もう一つ、電気洗濯機が普及し始めたことを示すものとも考えられる。洗濯機で使われるのは粉石鹸であり、香料入りの合成洗剤だったからである。
 この両方が考えられるのだが、いずれにせよこの歌が理解できて、シャボンの匂いを母の匂いと感じるのは、洗濯石鹸にも香料が使われ、電気洗濯機が使われるようになった平和な豊かな時代に子ども時代を過ごした世代からであるということになろう。そしてこの歌は、固形の無香料の洗濯石鹸・たらい・洗濯板、この洗濯トリオからの女性の解放(註4)、それを可能にした戦後の民主主義、平和の時代の到来を示すものだった、だからまたこの歌が大流行したのではなかろうか。
 それはそれとして、洗濯用の合成洗剤の匂い、いい匂いであることは認めるが、いつまでも服に残るのもあり、他人もその臭いに気付いてしまうほど強烈なものもあり、身体に毒なのではないかと疑いたくなるものさえある。どうなのだろうか。
 ここまで書いてきてふと思った。私にとって生母のにおいって何なのだろうかと。
 思いつかない。なぜなのだろうか。満一歳になったばかりのときに妹が生まれたのを契機に母から離され、祖父母といっしょに寝るようになったからなのだろうか。いつも忙しく田畑で働いていて私といっしょに過ごす時間があまりなかったからだろうか。私が満十歳になったばかりのとき、電気洗濯機などなかったときに母が死んでしまったからなのだろうか。それとも忘れてしまったのだろうか。
 そう思ったら何かものすごく悲しくなった。なぜか生母がかわいそうになって、本当にしばらくぶりで目頭が熱くなった。死んでから70年、私が80歳も過ぎているのにである。

《赤ん坊、おしめ、汗知らず》
 子どものころのにおいで印象に残っているものはと聞かれたらもう一つ、「赤ん坊のにおい」と答える。弟妹が多く、子守りをさせられた(註5)からだろう。でもそれは私ばかりではないのではなかろうか。当時はみんな兄弟が多く、私のように子守りをしている子も多かったからである。
 赤ん坊をだっこするとおっぱいのいい匂いがする。といってもおっぱいそれ自体はにおわないのだが、やはりあれはおっぱいの匂いというしかない。これは大好きだった。
 その逆にいやだったのはおしめ(共通語ではおむつのようだが、私たちの地域ではこう呼んでいた)のおしっこ、うんちのにおいだ。おんぶしているとき、弟妹が突然私の背中でがんばりはじめ、音が聞こえ、臭ってくる、うんちである。でも、遊びに夢中になっているとそれに気が付かない場合もある、そのときは気が付いた友だちが教えてくれる。それでも気が付かないでいると、やがて弟妹が泣き出す。赤ん坊でもやはり気持ちが悪いのだろう、それでわかる。
 これに対して小便の場合、したのかどうかわからない。たまに背中があったかくなったり、ぬれたりするが、そのときにはもちろんわかる。おむつがずれていたり、二回目のおしっこだったりするとおむつから外に漏れて背中のシャツが濡れてしまうのである。赤ん坊自身がおしっこを教える場合がある。お尻が蒸れて気持ち悪くなったり湿疹ができていたりするとぐずったり泣いたりするのである。
 そのときには家に帰って祖母におしめを取り換えてもらう。今の紙おむつと違って当時は自家製のおしめ、そのさせ方、替え方は小学校低学年などにはけっこう難しくできないからだ。この替えるときはもちろんいやな臭いがする。しかし大人とは格段の差、がまんができる臭いである。
 後始末が終り、お湯か水でお尻をきれいに拭き取った後、丸い大きな紙製の缶の蓋を開け、一番上に載っているパフ(布製でやわらかく、触ると気持ちがいい)を取り、その下に入っている白い粉をそれにつけ、赤ん坊のお尻に軽くたたきながらつける。お尻は真っ白になる。同時にいい匂いがしてくる。「汗知らず」(今はベビーパウダーと呼ぶのだろうか)である。これであせもやただれを防ぐのだとのこと、湿ったおしりがさっぱりするからだろう、赤ん坊は気持ちよさそうである。
 夏のお風呂上りなどにもこれをつける。私たちも小学校に入ってからもつけたものだった、汗疹(あせも)予防のためである(戦争激化で汗知らずはやがて手に入らなくなったが)。さっぱりしていい匂い、大好きだった。香水などほとんどつけない時代だからましてやだったのだろうが。
 なお、この汗知らずは床屋さんの匂いでもあった。今も床屋さんが最後につけてくれるが、本当になつかしい。
 子どもが生まれ、孫が生まれたときは赤ん坊、おしめ、汗知らずの匂いをかいでなつかしくうれしく思ったもの、次はひ孫のとき、と期待しているのだが、どうなることやら。

(註)
1.13年6月3日掲載・本稿第五部「☆想像力を駆使した遊び」(2段落)参照
2.この経緯については本稿の下記掲載記事で述べているので参照してもらいたいが、本稿では特に必要としないかぎり生母と義母を区別せずに「母」と書いているのでご了解願いたい。また、どうしても区別する必要がある場合には生母と継母とした方がわかりやすいかもしれないが、私は継母という言葉はあまり好きでない(その理由については後に別項で述べるつもりでいる)ので義母もしくは2度目の母という言葉を使わせてもらう。
  10年12月23日掲載・本稿第一部「☆女性参政権を行使できなかった母」、
  10年12月24日掲載・本稿第一部「☆男の涙」(1~3段落)
3.作詞:田中ナナ、作曲:中田喜直、発表年次不明
4.もう一つ、この歌の二番の歌詞「おりょうりしていたにおいでしょ たまごやきのにおいでしょ」は子どもたちの好きな卵焼きをして食べさせられる時代になってきたことも示すものだった。
5.10年12月14日掲載・本稿第一部「☆子守り―幼い妹の死―」(1~2段落)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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