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戦後のポマードと現代の香水


            続・においの記憶(10)

          ☆戦後のポマードと現代の香水

 戦前から戦後にかけての髪型の変化については前にも述べている(註1)ところだが、戦前の農家の男の頭はみんな丸刈り(といってもかなりぼさぼさだったが)、女は肩の下十数㌢かかる程度の長い髪を後ろでまとめ、額を出していた。
 山形の町場の男女も大体同じだったが、お金持ちや給料取りの男性のなかには長髪の人がおり、若い女性のなかにはパーマネントをかけているものもいた。
 私たち子どもの場合は前にも書いたが男は丸刈り、女はおかっぱ頭だった。たまに坊ちゃん刈りをしているものがいたが、それは師範学校付属の幼稚園や小学校に通うような「上流階級」の子どもの一部だけ、私の小学校には一人もいなかった。
 しかし、戦争が激化する中で 男は子どもから年寄りまで、町でも村でも、みんな坊主頭となった。戦地で戦っている兵隊さんと同様の心構えを示すために長髪をやめようということかららしい。女は、前に述べたように電力節約のために「パーマネントはやめましょう」と強要され、額を出して髪を後ろでまとめる(三つ編みとか、髷を結ぶとか)ようになった。女の子は今まで通りおかっぱだったが。

 戦後、こうした頭髪に関する自粛や規制はなくなつた。
 一方、進駐してきたアメリカ兵はみんな髪を伸ばしていた。坊主頭はMP(憲兵隊)に収容されて働かされている囚人兵だけだった。戦後どっと入ってきたアメリカ映画を見ると男はみんな髪を伸ばしており、女性はパーマをかけていた。
 抑圧から解き放たれ、アメリカ文明にあこがれた若者はそれを真似し、男は髪を伸ばし、女はパーマネントをかけるようになった。
 戦後復興も進み、床屋さんやパーマ屋さんが徐々に息を吹き返し、生活も落ち着く中で、長髪とパーマは年配者にも徐々に波及していった。高校でも長髪が許可されるようになり(女子高生のパーマは許されなかったが)、戦後十年も過ぎたころには男の子の頭はみんな坊ちゃん刈りになった。

 でも、農村部ではなかなかそうはならなかった。とくに年配者には波及しなかった。これは農作業に腰を曲げた手作業が多いので短髪の方が働きやすかったこと、女性の場合には嫁は小遣いももらえず、嫁姑問題等もあって化粧したりパーマをかけたりすることができなかった時代だったこと、またパーマ屋(美容院)が農村部にほとんどなかったことからくるのだろう。
 それが大きく変わるのは1970年代以降だった。これは兼業化・機械化・車社会化・女性の自立化の進展等々からくるものと思われるが、やがて都市と農村の差はほとんどなくなった。しかし、なぜか大正生まれの世代は長髪やパーマにはしなかった。私の父も死ぬまで変えなかった。なぜだかよくわからない。私の生家の地域だけではなかったような気がするが、どうなのだろうか。

 話はまた戦後に戻るが、当時の長髪の男の髪型はほとんど七三分けのリーゼントスタイルだった。前髪を高くして七三に分け、後頭部に向けてポマードで髪を撫で付けた髪型である(この説明でいいのかわからないが、当時の日本映画を見ていただければわかるだろうし、横浜にいた三浦投手の髪型などはあれに近い)。なぜあの髪型に一律化されたのかよくわからないが、ともかくみんなそうだった。
 実は私、この髪型がきらいだった。というより、ポマードをべっとりテカテカに塗って髪の毛を光らせているのがきらいだった。しかもみんなほとんど同じ、これでは戦中丸刈りに統一されたのと同じではないか、なぜあんなことをしなければならないのか。欧米の映画を見ると男の髪型もいろいろなのにである。
 もう一つ、ポマードの臭いだ。同居していた叔父の頭髪から何か生臭く、脂臭い(うまく表現できないが)臭い、これは嫌いだった。
 戦後3~4年もしたらこの臭いが街中に氾濫するようになった。高校ではまだ長髪が少なかったので、教室がその臭いで満たされるということはなかったから助かったが、これは戦前かいだことのない臭いだった。だから私にとってはこのポマードの臭いも戦後のにおいだったことになる。しかしそれは不快な臭いだった。

 そんなことを考えていた私も、いつまでも丸刈りでいるわけにはいかなくなってきた。高校を卒業したら長髪にするというのが普通になってきていたからである。自分だけ丸刈りなどにしたら子どもか変わり者・戦中派・右翼などと間違われてしまう。それで大学に入ったのを契機に髪を伸ばし始めた。ある程度長くなって整髪が必要になり、床屋さんに行って普通並みに七三に分けてもらった。ところが、うまく分けられない。何しろ私の髪の毛は固く、ポマードをつけないと分けられないし、ぼさぼさになってしまうのである。それでわかった、日本人の剛毛がポマードを必要としているのだ、あのテカテカ・べっとり頭はここからも来ていたのではないだろうか。ということで私の髪型もやむを得ず七三・リーゼントとなった。そしてポマードと櫛を買って毎日髪をなでつけるしかなくなった。
 問題はそのポマードで枕がべっとりになることだ。さらに大きな問題はこのポマードの臭いだ。枕の件は個人的な問題だが、臭いは他人に不快感を与える。
 仙台に来て満員の電車やパスに乘ったとき、とくに梅雨などでその窓が密閉されているとき(エアコンなど当時なかったからましてや)、男の乗客の頭のポマードの臭いで気分が悪くなって吐きそうになったことが何度もあったが、今度は自分が加害者となるのである。これには困った。
 一年くらいして思いついた、思い切って長髪にしたらどうかと。髪が中途半端に短いから突っ立ってしまってポマードをつけて押さえつけなければならなくなる、長くすれば髪の毛はその重みで自然に下がってくる、そうするとポマードの必要性はなくなる。こう考えて長髪にした。ちょっとじゃまだったが、他人に迷惑をかけることはなくなつた。でも、祖父からは「アカ」みたいだといやな顔をされた(なぜか長髪は世間でいうところのアカがするものとみられていたようだ)。

 まともに勤めるようになってから、ヘアリキッドで髪を押さえることを床屋さんから学んだ。これで、かつてのような長髪にしなくとも済むようになった。また、髪の毛の保護のためにヘアトニックを買ってつけるようにとの床屋さんのアドバイスでつけるようになった。年をとると剛毛もそれほどでなくなるようで、やがてヘアリキッドもつけなくて済むようになった。ヘアトニックもつけなくなった。
 定年後完全な白髪になり、油っ気もなくなり、ぱさぱさ、ぼさぼさになるようになった。そしたら床屋さんがあるポマードをつけてくれるようになった。ちょっぴりつけるだけでしっとりとし、ぼさぼさ感はなくなる、しかも臭いはほとんどしない。床屋さんに聞くと普通の店では販売していないという。そこで床屋さんから分けてもらうようになった。そして洗髪した翌朝にのみそれを髪の毛にちょっぴり塗ることにしている。年をとるとどうしても汚くなる、それでみんなに不快感を与えたくないからだ。

 話はまた世の中のことに戻るが、1970年代ころからだったろうと思う、ヘアスタイル(という言葉も定着してきた)の多様化個性化(?)が進み、リーゼントスタイルもあまり見られなくなり、おかげさまでポマード公害は少なくなった(女性のヘアスタイルは1950年代後半のヘップバーンカットの流行をはじめさまざま変化、多様化するが、このことについては省略する)。
 しかし、今度は新たに男による香水公害におびやかされるようになってきた。

 今から十数年前のことである、ある大学のエレベーターに乗っていたら一人の中年の男性が乗りこんできた。途端に私は息が詰まってしまった、彼の身体からすさまじい臭いがただよってくるのである。オーデコロンというのだろうか。車内や歩行中のすれ違いのときにたまにそのような臭いをかぐときはあるが、狭い密室ですぐ近くでかぐとなると大変なものだ。いっしょに乗った時間は2~3分だったので何とか我慢できたが、これにはまいってしまった。ポマードの臭いの方がまだましだった。その男性はきっと汗臭さや体臭等で迷惑をかけないように、恥をかかないようにと考えてやっているのかもしれないが、かえって迷惑をかけ、恥をかいているのである。そのことに気が付いていないようだ。そういう男性が増えているのではなかろうか。香水の強い女性に困ったことはあったが、男性にも困らされる時代になったことに驚いた。世の中変わったものだ。

 ところで、私が香水のことをまともに認識したのはマリリンモンローの最初の訪日のとき(1954年)の新聞記事からだった。記者から寝るとき何を着るのかと聞かれ、彼女は「シャネルの五番よ」と答えたというのが大きな話題になったのである。そのうち、フランスなど欧米諸国で香水が発展した、それは体臭を消すためであるなどという話もきくようになった。
 そうしたことからすると、ヨーロッパの空港は香水のにおいがするのではなかろうか。ニンニクの臭いと空港の話をしていた時(註2)、そのことが話題になった。そしたら、たしかににおうがそれほどでもないとST君(山形在住の中堅農経研究者)は言う。そしてさらに次のように付け加えた、「香水の匂いがすさまじいのは東南アジアの空港だ、鼻が曲がりそうだった」と。
 何でなのだろうか。食べ物や香辛料などの独特のきつい臭いを消すため、体臭が強いのでそれを消すためにみんな香水をつけるからなのだろうか。食べ物や香辛料などのきつい臭いに慣れているので香水程度のにおいには鈍感になっているために、抵抗感がなくなっているからではないか。こんなことがみんなの話のなかに出たが、いまだにその理由はわからない。

 それはそれとして、戦前かいだ記憶のないさまざまな香水の匂いがどこへ行ってもかげるようになった。また、芳香剤のにおいがしょっちゅうかげるようになった。合成洗剤、柔軟剤、シャンプー、コンディッショナー等々、さまざまなところで芳香剤が使われるようになったからである。しかもその香りは強く、長続きもする。これは決して悪いことではない。おかげさまで昔よりもずって快適に過ごせるようになっている。
 しかし、と時々考えることがある、過ぎたるは及ばざるがごとしなのではなかろうかと。香りが強過ぎはしないだろうか。鼻を突くように強烈となると、いい匂いもいやな臭いとなってかえって不快感を与える。それどころか化学物質過敏症でアレルギー反応を引き起こす人などもいるのではなかろうか。そうなるとそれは「香害」ということになろう。みんなでもう少し考えるべきなのではなかろうか。
 まあそれはそれとして、ともかく髪型は統制されることもなく自由になり、女はもちろん男も香水をつけてそれぞれ自己表現ができる時代になったこと、これは民主主義の平和な時代になったことを示すものであり、戦後のポマードの臭いは、いやではあったけれども、平和と民主主義の時代の到来を告げるにおいの一つだったということになるのだろう。その平和と民主主義をこれからもまもっていきたいものだ。

(註)
1.13年7月1日掲載・本稿第六部「☆お歯黒、ちょん髷、髪型」(36段落)参照
2.18年4月16日掲載・本稿第九部「☆ニンニクの臭いの普及」(8段落~)参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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