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仙台空襲と「ミサイル警戒警報」



            続・においの記憶(13)

         ★仙台空襲と「ミサイル警戒警報」

 空襲の話が出たので、そしてそれを体験した昭和の時代が終ってもう30年にもなり、空襲のことも忘れ去られようとしている時代になっているので、本題のにおいとは直接的なかかわりはないが、もう少し空襲に関連する話をさせてもらいたい。

 仙台市から南に30㌔くらいの田舎町に住んでいた小学生のころの家内は、仙台空襲の夜に寝ているところを空襲だと起こされて近くのお寺の庭に避難し(田舎の小さな町なので防空壕も掘っておらず、そこが空襲のときのその地域の避難場所になっていたらしい)、真っ赤な炎が高く立ち上る仙台の街(そのときはどこが燃えているのかわからなかった、あまりにも炎が近くに見えたので隣村にある陸軍の火薬庫が燃えているのではないかと大人は話していたとのことだが)の光を、近所の子どもたちと百日紅の木の枝に登っていっしょに遊びながら、見ていた。後でそれが仙台空襲だった等々いろいろ事実がわかるようになったのだが、今でもそのときのことを思い出すと被災した人たちに申し訳ない気持ちになるという(注1)。戦後3~4年して仙台の親戚を訪ねたとき、丸焼けで見晴らしのよかった街を初めて見て言葉も出なかった、今でもあの光景が忘れられないとよく私に話す。
 山形市に住んでいた私は農村部にある母の実家に疎開させられており、グラマン戦闘機による機銃掃射の爆撃をうけた(注2)が、爆撃機B29の焼夷弾による空襲の体験はなかった。仙台空襲の話もあったことを知っている程度だった。
 家内も私もまともに仙台空襲の話を聞いたのは戦後10年を過ぎてからだった。

 仙台空襲を体験した人たちからよくこんな話を聞いた、実際に空襲を受けたときは防空演習(消火訓練)などほとんど役に立たなかった、バケツリレーで、火消し棒(竹竿に荒縄をしばりつけたもの)で、あの焼夷弾による火を消すなどできるわけはなかったと。
 警戒警報・空襲警報、これもあまり役に立たなかったと言う。飛行機の音が聞こえてから空襲警報のサイレンが鳴る(敗戦前はいつもそうだった)のでは逃げる暇はないし、ラジオの警報もどこが爆撃を受けるのか、どのような爆撃なのか、どっちの方角に逃げたらいいのか教えてくれなかったからである。
 そもそも逃げる訓練などしなかった。踏みとどまって消火に当たれ、逃げるものは非国民だとまでお国は言っていたのだから。
 いざとなれば防空壕に避難しろと言われたが、そこに入ったために蒸し焼きにされて亡くなった人もかなりおり、これもあまり役に立たなかったともいう。
 当たり前だろうと思う、日本の軍部の考えていた爆弾と実際に空襲で使われた焼夷弾ましてや集束焼夷弾とは質がまるっきり違い、投下された範囲、時間と量は、現実を直視できない、いや直視しようとしなかつた日本軍部の想像を絶するものだったからである。

 この仙台空襲から70年以上過ぎた昨年夏のある日の朝、政府は東北などの12の道県の住民に「ミサイル警戒警報」を発して驚かせた。Jアラートなどを通じ、北朝鮮の弾道ミサイルが発射されたので、地下に避難するなどの行動をとれという警報を流したのである。なぜか私はその警報を聞かなかったのだが、その日私の家を訪問すべく仙台のホテルに泊まっていた教え子の卒業生夫婦がその警報の音の大きさで飛び上がるほど驚いたという。
 「警戒警報」、この名前を聞いたとき私は、戦時中の防空演習、警戒警報・空襲警報のサイレン、防空壕への避難を思い出し、その復活かと、ものすごくいやな気持になった。

 政府は「X国からのミサイル」を想定した訓練=防空演習を推奨しているとのことである。しかし、その訓練は あの警報は本当に役に立つのだろうか。
 警報を受けた住民は何を警戒すればいいのだろうか。落ちてくるミサイルや破片は見えないし、飛行機のように音もしないし、落ちたらもう逃げようはない。
 屋内に避難したからと言って助かる保障もない。屋内にいたら「窓から離れるか、窓のない部屋に移動する」ように、「すばやく窓とカーテンを閉めて身を伏せたり、窓のない部屋に入ってしゃがんだ姿勢で頭部を守ったりする」ようにというが、ガラス窓やカーテンを閉めてあの高空から猛スピードで落ちてくるミサイルやその破片による被害を防げるのか。地下や頑丈な建物に逃げろというが、地下鉄や地下室、鉄筋コンクリートの建物が近くになければどうするのか、もう一度庭に防空壕を掘ってそこに逃げろというのか。庭のない家はどうするのか。防空壕はかつてのような木造で大丈夫なのか。
 身を伏せたり、窓のない部屋に入ってしゃがんだ姿勢で頭部を守れともいう。私たちは小学校の頃毎日のように「伏せ」の訓練をさせられた(註3)が、焼夷弾の絨毯爆撃のような仙台空襲のときにその姿勢で助かったという話は聞いていない。
 ましてや戦時中=今から四分の三世紀も前のプロペラ飛行機による爆撃とミサイルとはその高度や質量においてまるっきり違うもの、そうした「防空演習」で本当に対応できるのか、助かるのか、検証したことはあるのだろうか。
 政府からそうした説明は聞いていないし、科学的な証拠を見せてもらってもいない。だから単に危機感をあおっているとしか思えない。
 北朝鮮・ミサイル問題で国民を脅し、「警報」のけたたましい音で驚かせ、時代錯誤的な「防空演習」をさせて恐怖感を抱かせ、アメリカの産軍複合体の言うままの高額な値段でイージス・アショアを買って秋田に配備したり、「未亡人製造機」と言われている欠陥機オスプレイを全国の基地に配備する等々で軍備をさらに強化し、憲法を変えてアメリカといっしょに北をやっつけることができるように、海外で戦えるようにしようと国民をあおっているとしか思えないのである。

 ミサイル警戒警報など流すなら、今全国に配備されつつあるオスプレイが各地の上空を飛び回った時に「オスプレイ警戒情報」を流して住民を避難させた方がずっと実用的、効果的だと思うのだが。

 自然災害に関する緊急情報を伝えるべく開発整備されたJアラート=全国瞬時警報システムがやがて戦争のための、政府の支配維持のための軍事・治安警報システムに変わり、また戦争に巻き込まれていくような気がして本当に怖い。そして、私たちの体験した戦争とそれをあおった愛国心のことが遠い遠い時代の話となっている今の若い世代が、そうした政府の扇動にのって日本を戦争のできる国にしていくのが怖い。考えると胸が苦しくなってくる。
 これが「杞憂」(天=ミサイルが崩れ落ちてくることを心配する)であればいいし、年寄りの妄想で終ればいいと切に願っているのだが。

(注)
1.11年2月10日掲載・本稿第一部☆空襲に遭った日」(6段落)参照
2.       同     上         (2、5段落)参照
3.11年2月9日掲載・本稿第一部「☆国民学校、そして疎開」(2段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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