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老化と臭いの恐怖


            続・においの記憶(13)

            ☆老化と臭いの恐怖

 私の味覚はそれほど敏感ではない。昔からなのだが、うまいまずい、甘い辛いくらいしかいえず、好き嫌いがはっきりしているだけである(味が重要な問題の食を生産する農家の子孫としてはどうかと思うが)。しかし、衰えてはいないようである。ますます塩っばいのが好きになってきたが、これは昔に戻ってきたことを示すものかもしれない。
 ところが視覚は衰えている。若いころはかなりよかった。日本人に多い近眼でもなく、本当によく見えた。しかし、中年になってから乱視になり(学問的視角もそのころから乱れてきた、とは思っていないのだが)、やがてそれに老眼が加わり、眼鏡をかけるようになったのだが、最近はさらにだめになっている。しかもすぐ疲れる。家内は、パソコンに向かってばかりいるからではないか、目が死んだ魚のように赤いなどと悪口を言う。知り合いの眼科の医師にその話をしたら、「私の家内など私の目をまともに見てもくれない、そう言ってもらえるだけ幸せですよ」と笑いながら花粉症と疲れ目の点眼薬を出してくれた。彼に言わせると白内障も進行しつつあるとのこと(手術の必要はまだないそうだが)である。昨年の夏、東北楽天のナイターを見に行ったら白球の行方が見えず、暗くなって照明が点いたらようやく見えるようになったのはそのせいだったようである。目をつむると瞼がくっついて開けられなくなったが、涙腺の調子も悪くなったようだ(にもかかわらず何か悲しいことを見たり聞いたり思い出したりするとすぐに涙ぐんでしまうのはどうしてなのだろう)。ときどき飛蚊症で目にタイヤモンドのような光が見えたりもする(本物ならいいのだが)。新聞や書籍はますます見えにくくなっている。困ったものだ。
 触覚はまったく変わらずである(と思っているだけなのかもしれないが)。
 聴覚も変わっていない。比較的耳はいい方だと思っている(老化による注意力散漫で聞き落とすことはあるが)。ただ、最近カラオケで歌う機会が少なくなったので、音感が若干落ちているのではないかと心配である。これに対して家内の方は年々耳が遠くなっており(家内の家の血統のようである)、ときどき会話が通じずけんかになることもあり、またテレビの音を高くするのでちょっと困っている。補聴器を勧めても断固拒否、まああきらるよりほかないのだろう。
 嗅覚、これは前から鋭く、とくに悪臭などとなるとよく吐き気を催したりしたものだった。おかしなことにこの嗅覚が齢とともに鋭くなっている。どうしてなのかわからないのだが(十数年前にたばこをやめたことと関連しているのだろうか)。まあ、悪いことではないのでかまわないのだが、ちょっとした臭いでも気分が悪くなってしまうのが困るといえば困る。一方、家内の嗅覚は年齢なりに鈍くなっている。火に鍋をかけ忘れて焦げてもそれに気づくまで時間がかかるようになって困っている。それを認識するようになった家内は、私の鼻を利用して食べ物のにおいをかがせ、傷んで悪くなっていないかどうかを判断させる等々、私に犬の役割を果たさせている。
 それはそれでいいのだが、いくら嗅覚がいいといっても自分の身体の臭いは自分でよくわからない、これが問題である。

 これまで私は、汗臭いとかたばこ臭いとか言われたことはあるが、体臭があるとはだれからも言われたことがない。腋臭もなく、足の裏も臭わない。日本人は無臭民族(体臭の少ない民族)と言われていると聞いたことがあるが、私もその一人なのだろうと思ってきた。そして臭いで迷惑をかけることなくそのままこの世から去ることができるとばかり考えていた。しかしそうならない危険性もある、それに気が付いたのは50歳代半ばころだった。
 そのころ、宮城県内のある町のもう古くなった老人ホームの今後の施設整備方向に関する検討委員会の一員に委嘱された。高齢化問題の専門家ではないのだが、このホームが田園地帯にあるので農村社会や農業生産とのかかわりがあるということからなのだろう。そのときにそのホームの実地視察調査が行われた。私は初めてそういう施設を見たのだが、ある建物の廊下を歩いていたら、ものすごくいやな臭いがしてきた。有機的な臭いであり、人間の臭いであることは間違いないとは思うのだが、これまであまり嗅いだことがない臭いだった。聞くとここは寝たきり老人などを収容している特別養護棟だという。そして全体として建物が古くなっているので、建て替えが早急に必要だともいう。とするとこの臭いは建物が悪いだけ、緊急に最新式に新築する必要があると私は考えただけだった。
 それからどれくらいたってからだろう、新聞か何かで「加齢臭」という言葉を見た。老化を加齢と呼ぶようになったことは知っていたが、とするとこれは老人臭ということになる。それはどんな臭いなのだろう、と考えたとき、はっと気が付いた。そうだ、あのとき、つまり特養施設を見たときに嗅いだ臭いなのではないか。と思ったとたん、憂鬱になった。自分もあんな臭いを発生するようになるのだろうか。そして他人にいやな思いをさせるのだろうかと。
 老化、本当にいやである。加齢と名前を変えたって本質は何も変わらない。何とかならないものだろうか。

 やはり50歳代半ばのことなのだが、高校時代からの友人で皮膚科の医師をしているAH君(最近も本稿に喫煙のことで登場してもらっている)と飲んだ時、何の気なしに聞いたことがある、最近顔にしみ(老人性色素斑)がかなり目立つようになったのだが、簡単に治せないのかと。そしたら彼は言う、「直してやるよ、ただしその前に精神科に行ってこい、紹介状を書いてやる」と。なぜ精神科なのかわからないので聞いたら、「年をとったらしみが出るのは当たり前、それを気にするのはおまえの精神がおかしいからではないか、だからまずそこに行って鑑定してもらって来いというのだ」というのである。ちょっと頭にきたが、そう言われてみたらそうかもしれない。まだ若いつもりでいるからしみが気になるのだろう、自分はもう齢(とし)なのだ、それをきちんと認識する必要があるのである。そして、年寄りの顔に若干の不快感はあるだろうが、他人に直接的な迷惑はかけないのだからとあきらめるよりほかないのだろう。

 そう考えると、加齢臭も齢だからやむを得ないとあきらめるべきなのかもしれない。しかし、しみと加齢臭は他人への迷惑のかけ方が違う。何とか考えなければならない。
 いつのころだったか、汗をかいた小鼻の両脇を手で触ったりするといやな臭いが手にくっつくことを発見した。もしかしてこれが加齢臭、もうそれが始まったのかもしれない。家内は嗅覚が鈍りつつあるのでわからないが、もしかして他人ににおっているのかもしれない。こうした臭いがやがて加齢臭として全身から発するようになるのだろうか。
 そうなるとやはり香水をつけることも考えなければならないのかもしれない。でも香水と加齢臭のどっちが迷惑かもわからない。それはこれから考えることにして、当面は香水をつけている男性、とくに高齢者についてはたとえきつくて迷惑に思っても我慢することにしよう。

 もっと大きな問題がある、寝たきりになって他人にお尻の世話で、便の臭いで迷惑をかけることになってしまわないかということだ。
 実際に、3年前の2ヶ月にわたる入院のときに迷惑をかけてしまった。ようやく病気の原因がわかり、全身麻酔で治療開始、はっと気が付いたらベッドの上、しかもおむつをさせられている。しかし意識はもうろうとしている。だから便をしていること、おむつを取り替えてもらっていることはわかる。それで取り換えている看護師さんや家内に申し訳なくて「ごめんなさい、すみません」と半分うわごとのように自分が言っていることもわかる。でも夢うつつ、身体は自分の意志で動かせない、こうやって数時間過ごしたことがある。おかげさまでこれを契機に一挙に回復することになったのだが、こんな迷惑は二度と、ましてや寝たきりで長期間かけることなど、絶対にしたくない。
 そんなことを言っても赤ちゃんの頃おしめの世話になったではないか、もう一度そこに戻るだけ、年をとれば子どもに帰るもの、気にすることはないという人もいる。しかし、赤ちゃんのおしめ替え、私もやったけれども、これはそんなに気にならないが、大人は質量が違う、かわいさなどましてやない。そんないやな思いを他人はもちろん家族にも味わわせたくない。
 何とかうまく迷惑をかけずにあの世にいけないだろうか、「ぽっくり観音」にお参りに行ってお願いするしかないのか。
 こんなことを考えるようになった今日この頃、いやなものである。
 こんな年寄りの愚痴、書くべきではなかったかもしれないが、今日はちょうど「敬老の日」の振り替え休日、そんなことでご容赦願いたい。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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