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「新知見」に至らなかった話



            続・においの記憶(14)

        ☆におい余話・「新知見」に至らなかった話

 5月初旬のことである、ときどき本稿に登場いただいている後輩研究者のST君とNK君と3人で仙台の居酒屋で一杯やっているとき、ST君がこんなことを言った。
 「今から20年くらい前、仕事で盛岡から東北本線(現在の『いわて銀河鉄道』線・筆者注)の列車に乗って北上していたときのことである、夕方少し早い時間で、乗客はほとんどいなかった。青森県境に近くなったあたりの小さな駅に列車が停まった。何の気なしに乗降口を見ると50歳過ぎと思われる女性2人が乗ってきた。とたんに車内に何ともいえない異様ないやな臭いがただよってきた。その女性の発する臭いだ。どぶ沼の臭いというか下水の臭いというか言葉でうまく表現できない。女性を見ると、顔は真っ黒、風呂に入ったことがあるのかと思えるよう、かなり昔の農家の作業着のような着物を着ている。どこかの農家に前近代的な関係で雇われているような人なのではないかと何となく思ったのだが、どういう人なのか見当もつかず、それ以来ずっと気になっていた。それを最近の臭いにかかわる先生のブログ(私がその二ヶ月ばかり前に書いた東京の総武線の車内でのホームレスの人の悪臭の話のこと・筆者注)を読んでいて改めて思い出した。あの臭いは何だったのだろうか、あの女性たちはどういう人たちだったのだろうか、意見を聞きたい」
 その女性たちは私の書いたいわゆるホームレス(注1)と質的に違うようである。彼女らは結婚している女性のような感じだとST君だと言うからだ。しかし、今時そんな不潔な臭いのするような暮らしをしている人、風呂にも入らないもしくは入れない人が農山村にいるだろうか(身体の不自由になった独り暮らしの高齢者ならあり得るかもしれないが)。どうしても考えられない。
 そんな話になったら、同席していた岩手出身のNK君がこう言う。
 「それを聞いて思い出したことがある。自分の子どものころ(1970年代)、生まれ故郷の北上山地の中心部に『オグボンズ』と呼ばれている人がいた。布を縫い合わせた着物を着てたまに日中来るが、親たちは部屋にあげず、玄関先で、食べ物やお金を渡していた。
 それから他集落出身の同級生が授業の休み時間に『キャボンズが来た〜』と言って騒いでいたことがある。自分は見なかったがその同級生からどんな人かを聞いて『オグボンズ』のような人だなと理解していた。
 もしかするとSTさんの会った女性はその人たちと同じ類(たぐい)の人だったのではなかろうか」
 この二人の話を聞いて驚いた。ともかく「オグボンズ」、「キャボンズ」についてNK君に調べてもらおう、それからまた改めて考えようということにして、また別の話題を肴にしておいしく酒を飲み、その日は別れた。

 その後ST君からこんなメールがきた。
 「オグボンズは『奥坊主』、キャボンズは『茶坊主』で、『乞食坊主』の直接的表現を避けるため、坊主にかけて、そのような表現をしていたのではないかとも思えますが如何でしょうか。」
 これに対するNK君の見解はこうだった。
 「『ボンズ』は、特定の階層の方々を呼ぶ隠語ではないかと思います。いわゆる『乞食』と同じ扱いだったのかはわかりませんが、そういう特定の社会的集団があったことは確かなのかなと思います。
 ただし、なぜ『キャ』なのかはわかりません。そもそも『キャ』はテレビ等で『正しい標準語』に親しんだ私のような世代でなければ発音できず、年寄りは『キャ』は『チャ』と発音します。したがって、そもそもかつての大人に定着していたのは『チャボンズ』だったと思います」

 一方、私の方はまったく違ったことを考えていた。
 思いついたのは「山窩」だった。もしかすると二人のいう人たちは「山窩(さんか)」と呼ばれる山の民だったのではなかろうかと。しかし、山窩は漂白民であり、東北・北海道にはいないという話を聞いており、そうなると山窩ではないということになる。
 でも、改めて確かめようとパソコンで『ブリタニカ国際大百科事典小項目事典』の「山窩」を検索してみた。そしたら何と、山窩の別称のなかに「ポンス」という言葉があった。この『ポンス』は「オグボンズ」、「キャボンズ」の『ボンズ』ときわめて似ている。もしかすると「ボンズ」は「ポンス」の東北語(何でも濁音にしたがる)化したものではなかろうか。つまりNK君の言う「オグボンズ」、「キャボンズ」は、またST君の出会った女性は山窩ではなかったのか、山窩は東北にもいたのではなかろうか。そして「オグ」は「奥」、「キャ」は「木屋」で、居住する場所もしくは主な仕事(木にかかわる仕事)で名前がつけられ、もしかして定住していたのではなかろうか。そうだとすれば従来の定説をひっくり返す大発見になってしまうのだが。
 いずれにせよこれはNK君に調べてもらうしかない、ということでご両親と祖父御に聞いてもらった。

 一週間くらいしてNK君から、お父さんとお祖父さんに電話で聞いたが「残念ながら大発見というわけにはまいりませんでした」、という次のようなメールが届いた。
 「オグボンズは、隣のK村に住んでいた知恵遅れの方のあだ名だったようです。住んでいた家の名字(あるいは屋号)が『おおくぼ』で、そこの次三男(この地方ではそれを『おんず』と呼ぶ)なので、おおくぼのおんず→おおくぼおんず→オグボンズ、と変化したのではないかとのことでした。知能は低く、あちこち家々を訪ねて歩き、わけの分からないことをしゃべっていたようで、彼が家に来ると話をうまく受け流しながら(会話にならないので)何かを食べさせたり、ものをあげたりして帰ってもらっていたとのことでした。
 K村から私の実家のあるT集落まではかなりの距離があり、歩いて来るのは大変ですが、彼の母親がT集落に隣接するS集落の生まれで、K村に嫁ぎ、おぐぼんずを生んだが、その母が亡くなると、かれは母の実家に引き取られて住んでいたようです。それで、私の集落にも時々現れていたということのようです。知恵遅れの人を無視したり、無下にしないあたりは、『隠し念仏』(注2)の教えが効いているのかもしれません。
 キャボンズのことは、両親、祖父ともに知らないと言ってました。やはり昔の人に「キャ」の発音は無理です。私の小学校の同窓生に聞いてみないとわかりません。実在しないのかもしれません。
 なお、(山窩のような)近代社会から離れて暮らすような人を見たことがあるかと聞きましたが、そのような特別な存在の人たちは知らない、山に入って暮らすのは炭焼きくらいだった、農地改革以前はだんなさま(=大山林地主=地頭)以外みんな同じ奴隷のような立場の名子で、それより下はなかった、と言ってました。」

 このメールはST君にも送られたが、その後別の用事で二人で会ったとき彼はこう言っていた。
 「私が会った二人の女性もNK君の言うような知的障害者だったのかと思ったりもしたが、どうもそうではなかったような気がする。
 二人は50代前後、ともに身体は大きめで、服装は時代劇に出てくる江戸時代の着物という感じで、二人とも大きめの背負い籠のようなものを持っていた。それでその時は農作業の雇い人かなという印象を持った。いずれにせよ、ホームレスやかつての乞食のように家庭がない、家屋に住んでいないという雰囲気ではなかった。
 会話は普通にしていたが、周囲の人のことを気にしないで大きめの声でしゃべっていた。にもかかわらず、何をしゃべっているのか、言葉がわからない。聞き慣れているこの地域のいわゆる方言とも違っていた。だから話の内容は理解できなかった。
 列車に乗れるのだからまともな日常生活を送っているのだろうとは思うが、それにしても異様なすさまじい臭い、汚さ、ともかく尋常ではない。いっしょに乗っていた乗客はほんのわずかだったが、みんなそう感じたようだった。
 何でこういう人たちがいるのか、一体どういう人なのか、岩手県南生まれの妻に確認してみたが、県南ではそのような人たちは見たことがないという。
 それでずっと不思議に思ってきたし、今も気になってしかたがない、だから先生の山窩説はおもしろかったのだが、私たちの知らない何かがあるのではなかろうか。」

 この話を聞いて3~4日してからふとこんなことを考えた、二人が大きな背負い籠を持っていたことからすると、自家産の農林産物を販売もしくは交換のために背負い籠に入れてどこかに運び、その目的を達した帰りだったのではないか、雇人ではなかったのではないかと。どうだろうか。

 いずれにせよ、疑問は疑問として残ることになり、「新知見」を得るには至らなかった。私のブログにかかわることで2人に研究の時間を割いて申し訳ないことをしてしまった。
 しかし、と、また考えてしまう、ST君の見た人たちは何だったのだろうか、まだ私たちの未知のことがあるのではなかろうかと。もしもその異様さが貧困などの社会的な原因からきているのなら社会的にきちんと対応すべきだし、そうでないとすればその原因を探り、これからどのようにともに生きていくかをいっしょに考えていく必要があるのではなかろうか。

 さて、においに関してはまだまだ語ることがあるが、ちょっと長くなってしまったのでそれはまた別途各所で書くことにし、話題を変えることにしよう。

(註)
1.18年2月26日掲載・本稿第九部「☆身体の臭いの記憶」(7段落)参照
2.寺が介在せず、種々の秘密主義をもつ念仏信仰・民間信仰で、岩手県内で広く流布している。いつかNK君に詳しく教えてもらいたいと思っている。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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