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村のどぶろく



            戦後昭和の酒と村・街そして私(3)

                ☆村のどぶろく

 農村部では酒を飲むために町場のような苦労をすることはなかった。酒の原料となる米を生産しているからである。もちろんその米の大半は供出させられるが、自家用の飯米があるので、そのほんの一部を原料にしてその昔つくっていた濁酒(どぶろく)をつくればいい。原料は自分の家で生産できる、現に生産しているものだし、自家労働=無償労働だからきわめて安上がりである。
 しかし問題もあった。気象条件、米質、作り方、作ってからの時間、保存方法等々によって味が違ったり、失敗したりすることである。時期により、場所により味が違ったりすることもある。時間をおけばすぐに酸っぱくなるし、腐敗もしてくる。
 それよりももっと大きな問題は、こうした酒造りは酒税法違反だということだ。日清日露戦争の戦費をかせぐために酒にかける税金を引き上げるさいに政府は濁酒(どぶろく)を含むすべての自家用酒造を禁止したのである。したがって自分の家で勝手につくればそれは法律上認められない酒、いわゆる密造酒であり、見つかれば罰金・懲役が科せられる。
 でもつくらないわけにはいかなかった。

 私の生家でも、祖母がどぶろくをつくった。ただしそれは祖父や父が飲むためではない。お付き合いのためだった。たとえば、農作業の手伝いや手間替え、日雇いに来てくれた近所の人に出す夕食のさいに酒=どぶろくを出さないわけにはいかない。御礼の気持ちを示すために、これからも快く来てもらうために酒を飲ませる必要があるからである。また客が来た時のご接待にも必要だ。村の神社の祭礼など地域や家の行事に招いた客にもごちそうしなければならない。
 これはどこの農家も同じ、酒好きの家長がいればなおのこと、だからほとんどの家でこっそりつくり始めた。そして技術を高めていった。

 私が覚えているのは、どぶろくを仕込んだ高さ30~50㌢の甕に木の蓋をして甕全体を厚い布で覆い、それをひもでぐるぐる縛り、さらに綿入れ半纏の古着でそれを覆い、冬はこたつの中に入れて温め、夏はそれをこたつではなく「えずこ(=赤ん坊を入れておくのに使ったワラ製のかご)」のなかに入れてまわりに古着等を入れて外気温に左右されないようにしていた祖母の姿である。実際に仕込んでいるところは見たことがない。できあがると、甕を外に出し、台所の北側の米櫃をおいてあるところの裏に隠しておいた。そして飲むときには祖母が小さな柄杓で湯飲み茶碗もしくはコップに注いで祖父や客に出して呑ませていた。

 もちろんそれは自家用であり、闇に流すつまりよそに売るなどという農家はほとんどいなかったのだが、税務署としては放置しておくわけにはいかない。そして税務署の職員がつくっていないか、隠していないかを調べに来る(酒税・酒は大蔵省管轄なのでその取り締まりは税務署が行うことになっている)。そして見つければ没収し、摘発して罰金等の罰を科する。
 したがっていかに見つからないようにつくるか、いかに隠すかが大事な課題となる。そして税務署が摘発に来たとなると急いで押し入れや布団の間、床下、穴倉(農産物の冬場の貯蔵庫)、天井裏、積み藁や薪の中、風呂桶の中、作業小屋、家畜小屋、林の中、雪の中等々、ともかく見つからないようなところに隠す。
 一方、税務署はいかに見つけるかに懸命になる。そして隠されたりしないように急襲する。まさに税務署と農家の知恵くらべだった。
 そこから生まれたいろんな笑い話があった。そのうちの一つが前に書いた岩手県の山村の役場を中心とした村行政を先頭とする村ぐるみでのどぶろく隠しの話であり(注1)、私の生家や私の実体験の話だった(注2)のだが、その他にもこんな話を聞いたことがあった。

 宮城県北の平坦地帯のある村の若者仲間数人が集落のはずれのところにある肥溜めのわきを通ったときのことである。そこから肥えの臭いといっしょにそれとまったく違ったにおいがする。何かと思って行ってよくよく見てみると、肥溜めの後ろに稲わらが積んであり、そこの中からにおってくる。そこでわらをかき分けてみたら、中にどぶろくの入った大きな甕が隠してあった。まさかこんなところに隠すわけはないと税務署も見ないだろうと思って摘発にきたときに近くの農家が隠し、そのままにしておいたのだろう。うまいことを考えたものである。と感心はしたもののそれはそれ、あまりのいい匂いに若者たちはそのへんの大きな葉っぱをコップにして飲み始めた。かなりできあがり、真っ赤な顔をしていい気持ちで家に帰った。
 当然家族からどうしたと聞かれる、そこで彼らは、狐に騙されて肥溜めの肥えをどぶろくとして飲まされたようだと答えた。当然そのうそは簡単にばれ、親にさんざん叱られたと言う。

 突然税務署に急襲されたある山麓地帯の集落では、どぶろくを隠す暇がなく、やむを得ずみんなが屋敷の裏を流れている小川に捨てた。その川の水は飲めるくらいきれいなのだが、何十戸から捨てられる濁酒で真っ白になった。
 その下流の集落では、川の水の色を見て近くに税務署が摘発にきているとわかり、すぐにどぶろくを隠した。同時に、流れてくるどぶろくがもったいないとみんなで川岸に集まり、川の白い水を飲んで宴会をした。
 そのまた下流では、川で遊んでいた子どもたちが流れてくる白い(かなり薄まっていたが)水のにおいをかいでみんなふらふらになり、顔を真っ赤にして家に帰って家族から驚かれた。

 こんな笑い話、つくり話としか思えないような話が口伝えに伝えられ、みんな笑いの材料にしたものだった。本来どぶろくづくりは農産加工、自給生産の一つであって何ら罪ではない、にもかかわらず軍事費稼ぎのために禁止されたもの、それに対する抵抗、権力への抵抗の話だからどことなく明るく、面白いのではなかろうか。
 こういう話、さまざまな知恵比べの話、いろいろ聞いたはずなのだが、忘れてしまった。まだ子どもでそうした話をそれほど知らなかったわれわれ世代ですらそろそろ数が減ってきている時代、今そうした濁酒話は急激に各地で消えつつあるのではなかろうか。完全に忘れ去られないうちに、知っている人がまだいるうちに何とか記録し、全国的に集め、新しい民話として、むらの知恵話として後世に遺していく必要があると思うのだが。
 もしもそういう話を知っておられる方があればぜひ記録しておくか、誰かに話しておくかしていただきたいものである。できればこのブログのコメントに投稿して私にもまた本稿の読者にも教えていただければ幸いである(注3)。

(注)
1.11年1月6日掲載・本稿第一部「☆入会林野」(6段落)参照。
2.11年3月30日掲載・本稿第一部「☆どぶろくから酒、ビールへ」参照。
3.また後で「どぶろく民話」のいくつかを紹介する。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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