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麦・雑穀どぶろく、山ぶどう酒




            戦後昭和の酒と村・街そして私(4)

           ☆山村の麦・雑穀どぶろく、山ぶどう酒

 濁酒(どぶろく)、いうまでもなく米を原料としてつくるのだが、米の穫れない山間高冷地帯などではどうしたのだろうか。麦や雑穀しかつくれない地域では酒は買うしかなかったのだろうか。しかし、米は雑穀等に比べて相対的に高価であり、米を買ってどぶろくをつくるなどというわけにはいかない。
 それでは飲まなかったのだろうか。しかし、猿でさえ果物で酒をつくって飲むなどと言う話もあるのだから、人間様はましてや酒をつくらないわけはない。酒の原料となり得る麦・稗・粟・黍等の穀類をつくっているのだからなおのことである。
 そうなのである、やはりつくっていた。たとえば、かつて米をつくれなかった岩手県の北上山地では麦や雑穀でどぶろくをつくっていた。私の後輩である研究者NK君の故郷の葛巻町ではどぶろくのことを「どんべ」と呼ぶのだそうだが、まず、「麦どんべ」と呼んでいた大麦を原料とするどぶろく(注1)をつくっていた。これはうまかったという。それはそうだろう、何しろビールの親戚なのだから。私も若いころ調査に行った川井村(葛巻の隣村・現宮古市)の農家でごちそうになったことがあったが(注2)、癖がなくて飲みやすく、ついぐいぐいといきそうになったものだった。
 それから「粟どんべ」があった。これはうまいけれどかなりきつかったらしい。
 さらに「稗どんべ」である。稗ごはんが余ったらそれに糀(こうじ)を入れてどぶろくにしたという(注3)。
 酒飲みと言うのは意地汚いものだ、何でも酒にしようとする習性があるようだ。だから今言った以外の雑穀を原料につくったどぶろくもあったと思うのだが、聞き洩らしているかもしれない。
 なお、私はこのうちの「麦どぶろく」しか飲んだことはない。それもあの一度きり、ぜひもう一度飲んでみたい。また「粟どぶろく」、「稗どぶろく」、これも味わってみたいものだ。もうつくる人もいないだろうが、この技術を消してはならないのではなかろうか。それを掘り起こし、地域特産品として売り出すことも考えてはどうだろうか。こうして地域の伝統を伝承していく必要があろう。ただ税務署とのかかわりが問題となるが。

 もう一つ、山の人たちがつくった酒に山葡萄(ぶどう)酒があった。
 葛巻町の場合を例として前に述べたが、「山でもいできた実を潰して重しをすると柔らかくなって汁が出てくる、それを絞って瓶に入れる、そのさい密封すると発酵して爆発するのでワラで蓋をし、できたぶどう酒は水で割って砂糖を入れて飲んだ」(注4)とのことである。

 私の祖母もたまに山ぶどう酒をつくった(注5)。
 秋になると、山村集落の農家の人がきのこやあけびなどの秋の山菜とともに山ぶどうも背中に背負って売りに来たものだったが、祖母がよく山ぶどうを買ってぶどう液やぶどう酒をつくったのである。また、近所や親戚の家からのいただきものの山ぶどうでもつくっていた。
 どのようにしてつくったか私は知らないし、飲んだこともないが、祖母のつくった「ぶどう液」は飲んだことがある。黒色に近い赤紫色の液体が入った四合瓶もしくは一升瓶から湯飲みかコップに注いだ液体を水で薄め、栄養になるから、身体ににいいからと私たち子どもに飲ませてくれるのだが、ちょっと渋いが甘く、甘い飲み物などなかった戦中戦後のころは本当においしく感じたものだった(あまり渋い時には砂糖を入れてくれた)。
 いつだったか、3~4歳だった弟が私たちといっしょにそのぶどう液を飲んだら顔が赤くなり、祖母たちはぶどう液がどうやらぶどう酒になってしまったようだと笑っていたから、発酵し始めていたらしい。それで山ぶどう液にしてから酒をつくることができることを私は知ったのだが、祖母は意図的にもぶどう酒をつくっていたようなのである。ただし、どのようにしてつくったのか、見たことがない。米櫃の後ろに一升瓶に入った山ぶどう酒(私たち子どもは飲めないものだったから酒なのだろうと思っていた)がおいてあったことは覚えているが。

 言うまでもなく、この自家用としての山ぶどう酒づくりも酒税法違反で摘発されてしまう。実際に、本当の山奥まで、あの山中の曲がりくねった細いでこぼこ道をジープで何時間もかけてお役人がやって来て罰金を取っていく。大昔からやってきたことなのに、自分の家で飲むだけなのに、売ってもいないのに罰金をとられる、こんなバカな話はないと税務署に文句を言うが、法的にはどうしようもないといわれる。
 それなら合法的にぶどう酒をつくろう。工場をつくり、いわゆるワインをつくって自分たちが飲むと同時に販売もしよう。出稼ぎ解消にも一役買うのではないか。ということで日本の山ぶどうがワインにも適することを見つけ、品種の選抜改良を行い、栽培技術を確立する等々の研究をして山ぶどう主体のワイン工場をつくったのが山形県庄内地方の山村・朝日村(現・鶴岡市)の農協だった。このことについては本稿第二部で詳しく述べている(注6)が、その後さきほど述べた岩手県葛巻町でも山ぶどうワインに取り組むなどの動きが出てきた(注4)。こうした動きが広まってほしいものだ。

(注)
1.13年2月21日掲載・本稿第五部「☆麦どぶろく、大麦、麦わら細工」(1段落)参照
2.岩手県北上山地の川井村(現・宮古市)の農家は麦に米を若干入れて造っていた。   11年3月30日掲載・本稿第一部「☆どぶろくから酒、ビールへ」(1段落)参照。
3.13年2月21日掲載・本稿第五部「☆五穀・雑穀、ヒエ、アワ、キビ」(4段落)参照
4.16年3月21日掲載・本稿第八部「☆アケビ、山ぶどう、バライチゴ」(5段落)参照
5.        同     上                   (4段落)参照
6.11年7月22日掲載・本稿第二部「☆山菜の栽培植物化」参照

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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