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宴会に対する意識の変化



            戦後昭和の酒と村・街そして私(16)

              ☆宴会に対する意識の変化

 重複して申し訳ないが、今から5年前に書いた本稿の一部をもう一度ここに掲載させていただきたい。
 「1950年代後半からから70年代前半にかけてのころ、私の若いころの話である。
 夏休みに入った日と年末休暇に入る直前の日の2回、研究室の教職員、院生、学生総動員で研究室の大掃除をする。これは年中行事である。朝早くから昼過ぎまでかかり、窓拭きから床の雑巾がけまでやってようやく完了、きれいになった部屋で、みんなゆっくり休む。碁将棋をしたり、雑談をしたり、しかしみんなそわそわしている。夕方から始まる暑気払い(冬は忘年会)、これが楽しみで、何か落ち着かないのである。何しろ当時は座敷に上がって宴会をするなどというのはめったにできないころ、ましてや金のない若い者などはそのときくらいしか行けない、待ちに待っていたその日なのである。
 夕方近くいよいよ出発、目的地まで三々五々歩いて料理屋に到着、座敷に案内され、座る順序を決める、やがてお膳が運ばれ、乾杯、それから差しつ差されつ、腹の減っている若者たちはまずめったに食べられない料理にぱくつく。
 宴たけなわになってきたころ、だれかが歌を歌おうといいだす。余興の時間である………(中略)………。その後はまた差しつ差されつ、座は乱れていく」(注1)
 「忘年会などの会費、これは職階によって違っていた。教授、助教授、助手、教務職員、院生、学生と格差をつけているのである。一種の累進課税だった。こうして金のない若い者に負担をかけないようにしてくれた」(注2)。
 それ以外に、花見(研究室への新入三年生の歓迎会を兼ねて)を近隣の桜の名所でやったり、秋には川原に行って芋煮会をやったりもしたのだが、これは省略しよう。

 70年代後半以降もこの研究室の伝統は基本的に引き継がれ、若干違ったのはかつてと違ってお酒など飲食代が相対的に安くなつたので宴会の会費の累進課税がなくなったこと、二次会が必ずなされるようになり、その支払いは教員が適宜負担すること、一次会・宴会での余興はなくなったこと(二次会の飲み屋にあるカラオケで歌うようになったため)ぐらいだった。飲食ともに豊かになった時代になったとはいえ院生・学生諸君は私たちの若いころと同じで飲食に飢えており、飲むとあまり食べない私のことを知って、私のお膳から料理の品々を持って行って食べるなどしていた。
 この年二回の大掃除が学生を含む研究室全員の義務であることもあったろうが、学生から教授まで全員忘年会と暑気払いには出席し、これは私の東北大定年まで続いた。そして学生や院生諸君たちはこれを(とくに二次会でバー・スナックに連れて行ってもらうのを)楽しみにしていた。

 大学だからちょっと特殊な社会、また私の研究室も特殊なのかもしれない、それでも会社や官庁でも基本的に同じで忘年会や新年会等々、いろんな機会にみんなで飲んで懇親を深め、また楽しんている、これは変わりない、と思っていた。
 こうして1999年(私の定年退職・農大への再就職の年)を迎えるのだが、前回述べたように学生たちの雰囲気は変わっていた。それで注意して見聞きしていると、どうも飲食に対する若い人たちの考え方が、世の中がかなり変わってきているらしいことに気が付いた。
 これは社会人も同じなのだろうか。この疑問を、知り合いの東京在住の女性、八〇年代末からこれまで二つの民間の会社に勤めた経験のあるキャリアウーマンOTさんに聞いてみた、会社での飲み会、若い人たちの飲み方に変化があったかどうかと。そしたら次のような返事が来た。

 「バブル全盛期のころ最初に勤めた会社では忘年会(または新年会のどちらか)は必ず実施されました。各部で月々積立をしていて、そのお金で実施されていました。あまり覚えてないのですが、全員が集まり、楽しんでいたように感じています。二次会にもほぼそのまま全員流れていったのではなかったかと記憶してます。その頃はスナックでした。慰安旅行には、結構和気あいあいで一年に一度は会社の保養施設等へ行っていました。そのための費用も積み立てていました。テニスをしたり、ゲーム大会があったりと楽しかった記憶があります。
 それから数年して新しく勤めた会社ではちょっと違っていました。参加しなければならないような雰囲気があり、協調性がないとか和を乱すとか言われて査定に響くのが嫌で参加したり、会社経費で飲み食いできるためと割り切って参加しているという人も多かったように思います。
 そのためか、開始時間に参加者が揃うということは少なく、1時間とか1時間半遅れてくる人が多かったです。できるだけ避けたいという気持ちがあるからなのかもしれません。もちろん、本当に仕事が長引いてしまっている人もいますが。
 乾杯のお酒も種々様々で、一体感がなくばらばらという感じです。ウーロン茶でとか、〇〇カクテルがいいで~すとか……少人数であればそれでも良いのですが、大勢の飲み会では時間短縮のためにも最初だけでももう少し周りと歩調を合わせるといった気遣いがあってもよいのでは?と思ってしまいます。
 二次会には参加したくない雰囲気を前面に出します。二次会のメンバー集めに苦労したことさえありました。
 送別会などは、たまに自費で開催される場合もあるのですが、そういったときに『お金がかかるのであれば出ません』とはっきり言う社員もみかけました。お世話になった人の送別会にもかかわらずこんな理由で出席しないなんて、本音がそうであっても別の理由で不参加にするというようなこともできないのかなあと呆気にとられることも最近ではありました。」

 この違いは、勤めた会社の性格の相違(変化)からきているのか、時代の変化=新しい若い世代の飲酒・飲み会に対する意識の変化からきているのか、どっちなのだろうか。私はその両面の時代の変化のせいではないかと思うのだが。

 酒の飲み方はそもそも年長者が若者に伝えるものだったと言われているが、かつての濃山村では長幼の序を重視するむら社会がたとえば村のさまざまな行事や若衆組などを通じて、かつての町の社会では同じく長幼の序を重視する徒弟奉公制度や街の諸行事を通じて、現代では企業や官庁における終身雇用・年功序列制度のもとで、酒の飲み方を年長者が若者に伝えてきた(と私は思っている)。
 ところが21世紀に入るころから大きく変わってきた。
 むら社会は農業保護政策の決定的な後退・農林業の衰退のもとで崩壊し、高齢者だけになって酒の飲み方を伝えるべき若者がいなくなってしまった。
 都市では、一方での企業におけるアメリカ的な成果主義・『能力』主義・競争主義、早期退職制度の導入、他方での家庭生活における核家族化・少子化・過保護化による長幼の序の意識の希薄化が進むなかで、いっしょにみんなで飲もうなどと言う仲間意識的な雰囲気もなくなり、先輩・後輩意識も弱まって、酒の飲み方を教える、学ぶなどという意識も弱まってきた。それがOTさんの言う今の会社の飲み会をめぐる雰囲気の違いとなって現れているのではなかろうか。
 それともう一つ、私たちの若いころと違うのは、多種多様な酒が安く飲めるようになり、職場の宴会でもなければ、飲み会費の積み立てでもしなければ飲めなかった時代ではなくなったこともあるのかもしれない。たとえば「飲み放題の店」などはかつては考えもしなかったが、飲むことが、飲み会がそれほど貴重でなくなる、それが若者の飲み会に対する考え方を変えたのだろうか。

(注)
1.14年8月4日掲載・本稿第七部「『箱根八里』の二種類の替え歌」(2段落)参照
2.        同        上            (6段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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