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「飲み放題」と若者の意識



            戦後昭和の酒と村・街そして私(17)

           ☆「飲み放題」から考える若者の意識

 80年代になってからではなかったろうか、飲み放題なるコースを設ける料理屋・飲み屋が出てきた。一定の料金を出せば一定の時間内に一定の料理を提供し、酒に関しては希望する量だけ飲むことができるというのである。これには驚いた。果たしてそれで店の収支が成り立つだろうかと。
 同時に、私がそういう店に入ったらどうするか、ただなのだからと思いっきり飲むことにするかどうしようかとも考えた。
 さらに、昔の酒不足の時代の人はもしも飲み放題の店があったならとうしたろうか、とくに私の子ども時代に近所にいた「呑み助」(注1)の人だったならどうしただろうかという疑問をもった。

 まず、呑み助のいたころ、貧しくてみんな酒などなかなか飲めない時代に今のような飲み放題の店があったなら、多くの人は飲める限り飲んだのではなかろうか。とくに呑み助はそうしたろう。その貧しさゆえにめったに行けないだろうが、いったん飲みに入ったら、このときとばかりに、支払った料金以上にいかに飲むかと時間ぎりぎりまで、身体の受け付ける限界まで飲み、べろんべろんになって帰ったのではなかろうか。
 呑み助だけではない、かつては労賃に比較して酒が高価だったので、多くの人がこのときとばかりに飲んだのではなかろうか。とくに戦中戦後にこんな店ができたならば酒不足でめったにしかもわずかしか飲めなかった人たちはきっと喜んでその店に押しかけ、時間と身体の許す限り思いっきりがつがつと飲んだのではなかろうか。私も金のなかった学生時代など当然そうしたろう。
 もちろん「一定の料金」が庶民に支払えるような金額であればの話だが。また、飲み屋の収支があえばの話でもある。しかし、飲み放題で引き合うような料金を設定すれば当時の労賃と酒の価格からしてかなりの高額にならざるを得ない。「養老の滝」でも店の裏にあってただで酒を補給してくれれば別だが(注1)、かつては酒は相対的に高価、それに対応して料金を高くすればいかに飲み放題といえども客は来ないし、だからといって安くすれば赤字、やろうとする店が出てくるはずはなかった。実際にそんな店は見たことがなかった。
 ところが今は、あの当時と違って酒と労賃の相対価格は大きく違ってきており、酒は相対的に安くなっている。だから少々安くても無理してまで飲む必要もない。こういう人が多いのではなかろうか。もちろんなかには普段よりたくさん飲む人もいるだろうが。逆にそもそもあまり飲めない人もいる。とすれば、飲み放題にしても飲み屋は成り立つ。ということで飲み放題の店ができるようになったのだろう。
 実際に私の研究室のメンバーといっしょに飲み放題の店に行ってもとくに多く飲むわけでもなし、私もふだんと変わりない。学生や院生諸君もそうだ。私の若いころ=酒が高かったころとは大違いだ。がつがつしなくなった。
 と思っていたが、必ずしもそうではなかった。前に述べた(注2)ことを繰り返して申し訳ないのだが、東北の地方紙『河北新報』(2018年10月5日)によると、「飲食店でいわゆる『飲み放題』を利用すると、普段の飲酒に比べて飲む量が男子学生で1.8倍、女子学生で1.7倍に増える」のだそうである。酒が高価だった時代でも、相対的に安くなった時代でも、お金のないことでは共通している若者はただとなると飲みたがる、酒に卑しいことはみな同じ、「呑み助根性」はいつの時代にも、男女を超えて、とくに若者にあるようである。学生時代の私も人並みだったのだ、これで安心した。人間のさもしい根性は変わらないようである。
 それでも店の経営が成り立つのは、行きつけの小さな居酒屋の亭主Aさんによると「原価の安い酒しか飲ませない、料理は外国産等の安いものしか出さない、時間を制限することなどからだ」とのことである。

 本稿の前々回に登場してもらった農大時代の教え子OA君にこの話をしたら、こんなことを教えてくれた。
 「イタリアンレストランでバイトしていた時のことだが、宴会で飲み放題プランにしたお客さんからビールを頼まれてスタッフに伝えたところ、いつもより静かにビールサーバーからピッチャーにビールを注いでいた。気になってその理由をスタッフに確認すると、『飲み放題でビールをピッチャーで提供するさいには、サーバーから可能な限り静かに注ぎ、ビール中に含まれる泡(ビールの上にある泡ではなくビールの中に含まれる気泡)の量を多くする。それで店側の採算が取れ、お客さんの満足度も高めることができるのだ』との答えが返ってきた。つまり、ビール中に含まれる泡が多いと、お客さんのお腹の中でその泡が膨らみ、すぐにお腹がいっぱいになってお客さんはあまり飲めなくなり、店側の利益を少しでも多くすることができるのだということだった」
 「先日、日本酒飲み放題のお店に行ったが、そこはセルフサービス(色々な銘柄の一升瓶が並んでいる冷蔵庫から自分でグラスに注ぐ)のため、酒の肴を味わうことや会話に集中できず、何とも味気がない感じだった、飲み放題にも工夫が必要なようです」。
 なるほどである、店の側はそれなりのさまざまな知恵を発揮しているようである。

 ちょっとここで脱線、さきほど「養老の滝」と言ったが、それを居酒屋チェーンの『養老乃滝』と間違えた人はいないだろうか。親孝行など言われなくなり(私たちの幼いころは学校の修身教育や教育勅語で親孝行という言葉を叩き込まれ、「養老の滝」の話は親孝行の一例として本や昔話などで教わり、親孝行は日常用語、「養老の滝」は常識だったのだが)、酒が貴重品でなくなっている時代なのでちょっと不安になった、それが私の杞憂であることを祈るのみである。

 もう一つ脱線、前節で述べたように若い人たちが宴会や二次会に出たがらないのは、酒が好きでなくなったからではなく、人付き合いがいやだからなのだということを、安ければ若い人たちも飲むということが示しているのではなのろうか。人付き合いよりもスマホに向かって顔を見ないで会話したり、ゲームをしていたりした方がいい、でも酒が安く飲めるならみんなの顔を見るのもがまんしてもいいということなのだろうか。
 「経済性」だけは発達しているようであり、若者が「飲み放題」でたくさん飲むのは『エコ飲みー』という『エコノミー(経済合理主義)症候群』のなかの症候の一つなのだろうか。もしもそうだとしたら、人間の社会はこれからどうなっていくのだろうか。

 さて、話を戻そう。
 それにしても、酒が飲み放題とは。かつては考えられなかったことだった。世の中変わったものだ。きっといい世の中になったのだろう。
 だけど、とも考える、「飲み放題」などというのは神々に捧げられて大事にされてきた酒に対して、酒造り(その原料の米麦等の生産も含む)にたずさわる人々に対して申し訳ないと。
 競争の世の中、価格破壊の世の中(もちろん酒に価格破壊が起きているわけではないようだが)、酒が神棚から引きずり降ろされてこうなるのも当たり前と言われるかもしれないが、労働が正当に評価されないそんな世の中で本当にいいのだろうか。
 こんなことを考えるのは年寄りになったからなのだろうか、酒好きだからなのだろうか。若い人たちの酒に対する考え方と違ってきているからなのだろうか。

 飲み放題に加えてバイキングなどの「食べ放題」の店やホテルがある。食べ放題、飽食などは飢えていた時代のあこがれだった。だからそうなったのは喜ぶべきことかもしれない。飽食の時代、輸入食糧依存時代、派遣社員時代等々からしてこれは成り立つのだろうが、それはそれとしてである。
 それでも、貧困のためにまともにご飯が食べられない子どもたちが最近増えているとのこと、やはり喜んでばかりいるわけにはいかないのだが。

(注)
1.ここで言う「呑み助」とは、私の生まれた山形内陸の一地域でかつて使われていた言葉で、「地域行事や実行組合の集まり、結婚式や葬式、年忌法要などの何か飲み会があると、必ず酒がなくなるまで居座ってへべれけになるまで飲み、人がまったく変わってしまってみんなにさまざま迷惑をかける人」のことを言っており、貧しい農家の人に多かった。このことに関しては本稿の下記掲載記事を参照されたい。
  18.年10月1日掲載・本稿第十部「☆村の呑み助」(1段落)
2.18.年10月1日掲載・    同  上      (追記)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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