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昨年の流行語大賞と今年の憂鬱



            「改元」の年に思うこと(1)

 今年平成31(2019)年は「改元」の年で、4月1日に新しい元号が公表されるとのことである。この元号にかかわる問題については以前本稿に書いたことがある(注1)のだが、「改元」の年でもあることから、改めてそれに関連する所感を農業協同組合新聞のホームページJAcomのコラムに数回にわたり書かせていただいた(注2)。その内容を本稿の読者にも読んでいただきたく、本稿の流れや文体にあわせて一部削除し、また新たに付け加えて、ここに掲載させていただきたい(注3)。すでにJAcomで読んでいただいている方には重複して申し訳ないのだが、本章の最後の4節目〈4月15日〉と5節目〈4月22日〉に掲載を予定している「☆新元号から連想したこと」、「☆昭和高齢者の迎える令和の時代は?」は本稿で初めて公開するものなので、そこからでも読んでいただければ幸いである。

           ☆昨年の流行語大賞と今年の憂鬱

 昨18年の流行語大賞は「そだねー」だった。これが決まった時は本当にうれしかった。
 もちろん、「そだねー」の声を発した女子カーリングのチームが昨年の冬季オリンピックで銅メダルに輝いたときはそれ以上にうれしく、飛び上がって涙を流して喜んだのだが(注4)。何しろ私はこのチームの所在地である北海道東部の農漁村・常呂町(現北見市)に隣接する網走に99年から7年間住み、それ以降今までずっと常呂や農大オホーツクキャンパスのカーリングチームを応援してきたのである。その選手たちの代表が世界の桧舞台に立ったのだ。
 しかも彼女らの発した何ともやさしい北海道語「そだねえ」(「ねー」よりは「ねえ」の方がいいと思うのだが)、何ともほほえましい「もぐもぐタイム」、これが話題になった。そして大賞受賞、本当に心が和やかになった。
 しかし、どうしても気に食わない言葉も大賞のベストテンのなかに入っていた。

 いつだったかの土曜の朝食後、ゆっくり寝転んで新聞を見ているとき、点けっぱなしにしてあるテレビから突然でっかいキンキン声が耳に飛び込んできた。しかもその声で言う言葉がすさまじい、「ボーッとしてんじゃねえよ」ときたもんだ。びっくりしてテレビを見たら、頭のでっかい女の子の着ぐるみが意地悪そうな顔をして怒鳴っている。チコちゃんなる名前がついているらしい。その子が出演者の大人を耳障りな声で罵倒しているのである。
 私はすぐにテレビを消した。5歳児代表なのだそうだが、いくら何でもあの罵声はないだろう、しかも年長者に対してだ。年上の人にはそれなりの尊敬の念をもって接するようにと小さいころから教わってきた私には理解できなかった。朝っぱらからのあの声も耳障りだ。
 きっと多くの視聴者から批判の声が寄せられているのではなかろうか。いくら何でも子どもが大人に向かって言うべき言葉ではないからだ。日本語には尊敬語というものがあり、年上の人に対してはそれを使うというのが古来からの常識、それがどこに行ったのか。しかも国民からの受信料で運営されている公共放送がそんなことでいいのか。もちろん年長者には何も言うな、反論するななどというつもりはない、問題は言い方だ。こんな子どもが大きくなったら、「おまえいつまで生きてるつもりだ」などと私たち老人に言う現蔵相(注5)と同じように、年寄りを大事にしない人間になってしまうのではなかろうか。
 ところが批判はなかったようだ。それどころか大評判になった。そして流行語大賞のベストテンにまで選ばれた。私にはそれがわからない。そしてそれを喜んでいるNHKもわからない。世も末としか言いようがない、たしかに昨年は「平成の世」の末だったのだが。。

 昨年世界無形文化遺産になった秋田の男鹿の『ナマハゲ』に、「年寄りのこど大切にすね子はいねがー」、「年上の人のこど敬わねえ子はいねがー」とあの腹から出る太い声でチコちゃんなる子に注意してもらいたいものだ。ついでに、最近のNHKテレビ番組の内容の品のなくなったこと、政府べったり放送になっていること(一部にはいい番組もあるが)にも喝を入れてもらいたいものだ。
 「姥捨て山」などの日本昔話を聞かせてやるのもいいだろう。ついでに政治屋や高級官僚にも改めて聞かせてやりたいのだが。
 こんなことを言うのは自分が年寄りになったからなのだろうか。

 さらに嘆かわしいのは、「ご飯論法」なる言葉が流行語大賞のベストテンに入る世の中になっていることだ。安倍首相をはじめとする閣僚や高級官僚の得意とする「議論における言い逃れや論点のすり替えを表した言葉」を言うのだそうだが、国会での論戦などを聞いていると本当に腹が立つ。それをおかしいとも思わず、政府の出す法案をまともに審議もせず、居眠りしながら座っていて、賛成の起立や投票をするだけの与党議員に対してはなおのことだ。「ボーッとしてんじゃねえよ」と言いたくもなる。とすると、この言葉がベストテンに入るのもしかたがないのかもしれない。
 でも本当にそれでいいのだろうか。何とかしたいものだ。

 もう一つ、昨年末気になったのは「創作四字熟語」の優秀作品だ。
 「猛夏襲来(蒙古襲来)」、「台量発生(大量発生)」、「地震暗来(疑心暗鬼)」、まさに昨年にふさわしい言葉だったとは思うが、今年はこんな言葉が出ないような年であってほしいし、地球温暖化による異常気象や自然災害に対する取り組みが進む年であってもらいたいものだ。
 そして今年は、「金農感謝(勤労感謝)」や「娘軍奮銅(孤軍奮闘)」のような明るい言葉が、わが国の農業・農村の明るいニュースが、「流行語」や「創作四字熟語」となって日本中を飛び交うような年になってもらいたいものだ。

 言葉と言えば、最近気になるのは政府関係者が新年早々よく使った「不適切」という言葉である。
 もちろんこの言葉は近年使われるようになってはいた。辞典によると不適切とは「その場の状況や話題となっている事柄に対する配慮を欠いていること。また、そのさま」、「取り扱いや対処の仕方がまずかったりふさわしくなかったりする・こと(さま)」を言うのだそうだが、よく政府与党の代議士が「不適切な発言」をした、申し訳ないと謝るようになったのである。
 しかし、その発言が「配慮を欠いている」どころか意図的に傷つけている場合が多い。だからかつては暴言=「他人を傷つける意図で言い放つ乱暴な言葉」、もしくは失言=「言うべきでないことをうっかり言ってしまうこと」として批判され、政治生命を失った例がいくつかあった。しかしそれでは政権に傷がつく、だから「暴言」・「失言」に変わる少々やわらかい「不適切(=ふさわしくない)発言」という言葉に置き換えるようになったのだろう。
 しかしこれでは不適切という言葉がかわいそうだ、そう思っていたところ、昨年は思わぬところで「不適切」という言葉が使われた。
 国会における「裁量労働制」の審議において提示された調査資料に「不適切なデータ」が多数あったと厚生労働省が陳謝したのである。しかし、そのデータは「ねつ造」・「改竄」までされたきわめて杜撰なデータ、でたらめなデータだった。でも政府は「不適切」という言葉を使い続けた。
 それだけでは終わらなかった。今年に入ったら勤労統計でも「不適切な手法による調査」として「不適切」を使うようになった。
 しかしその内実は「配慮を欠いている、ふさわしくない調査手法」どころではなく、『手抜き調査』、『歪曲調査』、『不正調査』というのが正しい。それよりも法令に違反しているから『違法調査』、加えて反社会的であることから『不法調査』と呼ぶべきかもしれない。にもかかわらず、ここでも「不適切」という言葉を使う。国民の印象を何とか和らげようということなのだろうが、「不適切」と言う言葉にとっては不正とか手抜きとかの意味を勝手に付け加えられて大迷惑だ。
 と憤慨していたら、1月末から新聞では「不適切」という言葉に代わって「不正調査」という「正しい」言葉を使うようになった。新聞の側が事実に即してそう言い直したのか、政府が自ら正確な表現を使うことにしたのかよくわからないが、これでお役御免となった「不適切」は喜んでいることだろう。と思ったらその夜のNHKテレビのニュースは相変わらず政府の言う通りまだ真面目に「不適切」を使っていた。さすがに最近の国会論戦で明らかになってきた諸事実の前にNHKも使わなくなってきたが。

 ある言葉にその本来の意味とは違う内容を持たせて使って事の本質をごまかすことを現政権は一貫してやってきた(注6)のだが、最近の「政治家語」(「アベオトモダチ語」とでもいうべきか)、これは「誤用」、「誤解釈」どころか、国民を愚弄し、だますものでしかなく、どうしても許せない。
 このような政治家による日本語の間違った使い方というか、新解釈というか、新造語というべきなのか、またそれを日本語の乱れと言っていいのかわからないが、いずれにせよ小学校での英語教育よりも何よりも政治屋・高級官僚に対する国語教育こそ必要なのではなかろうか。

 わが国の農林水産統計をはじめとするさまざまな統計がいかに緻密であり、正確であるか、よく外国の研究者から称賛されたものだった。統計の担当者は手書き・そろばんの時代から地道にそれを継続してきた。それは国や自治体の施策の基礎としてばかりでなく、あらゆる分野で利活用されてきた。私も半世紀以上それを基礎に研究教育してきた。
 でも、今すぐ役に立つものではない、目立たないことから統計部門は人員削減の対象にされてきた。こうしたことも一因になっているのかもしれないが、政治によって統計が捻じ曲げられるなどという異常な事態になっている。これは政治の堕落、危機としか言いようがない。

 今年もまたこういう政治の腐敗堕落の話をしょっちゅう聞かされる憂鬱な年になるのだろうか。そして今年の流行語大賞のベストテンに「不適切調査」が入ることになるのだろうか。いやいや、政治の腐敗堕落にかかわるもっともっと不愉快な流行語がこれから飛び出すだろうから、その程度の言葉は落選してしまうかもしれないが。考えると憂鬱になってしまう。

 憂鬱と言えば、今年が改元の年になったことだ。
 前にも書いたが、元号は好きではない。そもそも天皇の交代に合わせてあるいは天皇の都合で元号をつけて年を数えるのがおかしい。しかも元号では通年換算が難しく、西暦換算も大変だ。だから私は使いたくない。と言っても、西暦を世界暦として使いたくもないのだが(注7)。さらに今年の場合は平成31年であると同時に新元号の〇〇元年になることも換算に不便だ。カレンダー、手帳を新たに印刷したり、手直ししたりするわけにも行かない。とくに秘密にする必要もないのに、伝統とか神事とか言って元号を隠し、神秘性を持たせ、皇室を崇拝させようとして国民に迷惑をかける、困ったものだ。
 もちろん、明治、大正、昭和で小さい頃から育ち、周囲もそう使ってきたので、元号の年代で言った方が時代のイメージがわかる場合がある。だから私も使う場合があるが、もうこれ以上混乱させてもらいたくない。
 でも、そんな愚痴を言っても始まらない。国民の多くは元号を当然のこととして受け止めているようだし、そしてみんな使ってもいるし、私だけが使わない、知らない、話が通じないというわけにもいかない。また、元号で時代に一つの区切り、めりはりをつけてみるのもいいかもしれない。いずれにせよ完全に無視するわけにはいかず、当面はその存在を前提にして生きていくよりほかないだろう。
 できればもう2年待って2021年元日から新元号にしてもらうと、西暦との換算がきわめて楽になる(20をプラスマイナスするだけで相手の下位二桁の数字が算出できる)のでよかったのだが。

 その元号で区切っていえぱ、日本は明治、大正、昭和と戦争をしてきた、しかし平成は自衛隊の海外派遣等いろいろありながらもともかく国が武力で他国民を殺すことはなかった。その点では「平成」=「平静」の年代だった(日本の農業・農村にとっては「弊衰(へいすい)」の年代=疲弊衰退させられた年代だったが)。
 新しい元号も平和憲法にふさわしいものであってほしいものだ(もちろん、日本の農業・農村の発展、食料自給の向上を願うような元号であってもいいが)。

 まあ西暦・元号換算に頭を悩ませるのもボケ防止に役立つかもしれない、今年もまた換算にいそしむことにしよう(私の息の根が止まらなければの話だが)。

(注)
1.12年4月6日掲載・本稿第四部「『世界の常識』と日本人」(3段落)、
  14年9月22日掲載・本稿第七部「『昭和は輝いていた』か?」参照
2.コラムJAcom農業協同組合新聞・www.jacom.or.jp/column/ 酒井惇一「昔の農村・今の世の中」2019年1月17・24・31日、2月7・14・21・28日掲載記事参照
3.コラムと本稿の内容の一部重複についてはJAcom編集部のご了解を得ているが、その間の事情については本稿もしくはJAcomコラムの下記の記事を見ていただきたい。
  18年5月14日掲載・本稿第九部「JAcomコラムへの執筆について」、
  前掲・コラムJAcom農業協同組合新聞・酒井「昔の農村・今の世の中」2018年4月26日掲載記事
4.18年3月19日掲載・本稿第九部「北見、野付牛、常呂、カーリング」参照
5.17年2月20日掲載・本稿第九部「『いつまで生きている』?」(3段落)参照
6.15年11月23日掲載・本稿第八部「最近の政治家用語」参照  
7.12年4月6日掲載・本稿第四部「『世界の常識』と日本人」(3段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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