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明治・大正を考える



            「改元」の年に思うこと(2)

             ☆明治・大正を考える

 昨18年の10月23日、明治150年記念式典が政府主催で開かれた。
 「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」ため、「平成のその先の時代に向け、明治の人々に倣い、未来を切り開いていく」ためなのだそうである。

 昨年のNHK大河ドラマは『西郷どん』だった。よくもまあNHKは飽きもせず何度も何度も大河ドラマに西郷など薩長土肥の明治の志士なるものを出すもの、NHKは明治の「大物」がよほど好きらしい。
 好きと言えば安倍首相も明治が好きらしい。昨年の夏、安倍総理は鹿児島で大河ドラマ『西郷どん』のように「しっかり薩摩藩、長州藩で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」と発言したそうである。自分が長州人だからだろうが、これにはちょっと唖然とした。そして、薩長軍の武力侵攻で殺傷された東北人の血をひくものとして本当にいやな気持になった。
 それだけではない、この明治薩長政府が始めた侵略戦争と他国支配の道を、古き「良き」時代への道を、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識」して、アメリカの言うことを聞きながら再び切り開いていきたい、その意識を高揚するために『明治150年記念式典』を開いたこと、これまた本当に腹が立った。

 そういうと、そんなに目くじらを立てなくともいいだろう、時代の節目として100年、150年を記念することはあってもいいではないかと言われるかもしれない。
 たしかにそうかもしれない。しかし、とやはり言いたくなる。それならなぜ大正100年記念式典を開かなかったのかと。今から7年前(2012年)に開くべきだったのにである。元号や皇室崇拝に大騒ぎをする政治家のなかから大正100年の話は出なかったのだろうが、これはおかしいではないか。明治は150年だけでなく100年のときも記念式典をやっているのにである。
 そう言うと、大正は短かったし、明治の維新や日清・日露戦争などのような「皇威発揚」で取り立てて言うべきこともなかったのだからまあいいではないかと言われるかもしれない。
 しかし大正は、関東大震災とか第一次大戦とかいろいろあったけれども、普通選挙実現運動など明治以来の藩閥・財閥・地主政治に反対する民主主義的な運動が展開され、「赤い鳥運動」など社会・文化の面でも自由主義的な思潮が横溢し、日本に童謡や児童文学を誕生させ、大正ロマンという言葉まで生み出すなど日本の文化の新たな夜明けをつくった年代だった。そして、戦後昭和の民主主義の確立、多様な文化の開花の基礎をつくった年代だったのである(注1)。
 しかも、大正時代に生まれた人たちは昭和の戦中期に成人期を迎え、戦争の被害をもっとも強く受けた犠牲者だった。戦場で命を失った男性、戦傷で一生苦しんだ男性、結婚後短い期間で夫を戦地に失った女性、男不足で結婚できなかった女性、子どもを戦争で失った女性、飢えで苦しんだ人々等々、ほとんどが大正生まれだったのである。
 こうした大正世代の人たちを思い、また大正期の政治文化等々の運動の成果を見直すことこそ必要だったのではなかろうか。
 しかし、大正100年記念式典をやったのは岐阜県恵那市にあるテーマパーク日本大正村だけだったそうだ。政府は大正を完全に無視し、明治を礼賛する式典は行った。ここにやはり何かの意図を感じるのだが、私の考え過ぎだろうか。

 幸いなことに(と私は思うのだが)、「明治150年記念」には安倍首相の意図したような盛り上がりはなかった。天皇も式典に出席しなかった。NHK大河ドラマ『西郷どん』の視聴率もあがらなかったらしい。

 昭和100年まであと7年、この式典はどうするのだろうか。戦後昭和につくられた戦後レジーム(安倍首相はこれがおきらいのようだ、でも彼の好きな日米安保体制も戦後レジームなんだけど)を憲法改悪で破壊し、それを祝うことのてきる昭和100年記念式典を迎えたい、そしてできればこの式典を自分で仕切りたい、それをやるためにも今年の参院選挙をはじめとする各種選挙に勝ちたい、そんな夢を安倍首相は見ているのではなかろうか。
 その夢を幻として終わらせる年に今年をしたいと私は思っているのだが。

 1960年代後半、「明治は遠くなりにけり」という言葉がはやった。これは1968(昭43)年が明治100年にあたり、政府主催の記念式典等が開かれるということからなのだが、たしかに100年は遠い昔である。とりわけ明治生まれの人にとっては、明治が終って60年、感慨深いものがあったろう。
 と思っていたのだが、この「遠くなりにけり」の言葉は中村草田男という人のつくった『降る雪や 明治は遠く なりにけり』という俳句からきたものとのこと、しかもこの句は1936(昭11)年、私の生まれた年につくられたものだという。
 この句からすると、明治の前の大正は15年で終わったのだから、25年{=(大正の15年)+(昭和の11年)もすると、つまり四半世紀も過ぎると、「遠くなった」、「なつかしい」と感じるものらしい。子どものころの私にとっては、明治は祖父母の生まれた年代、大正は父母の生まれた年代、それでともに親しみを感じながらも遠く遠く感じていたのだが。

 氏名・生年月日を書かされる欄のある書類がある。その生年月日の前には明治・大正・昭和などの元号が書いてあり、該当するものを○で囲むようになっている。やがてこの元号に平成が加わり、明治が見られなくなってきた。それから10年くらいしてではなかったろうか、ある書類の元号の欄には大正もなくなっていた(注2)。明治どころか大正も遠くなってしまったのである。
 考えて見たら昭和もそうなりつつあるのかもしれない。私たちも年をとったものだ、古代の遺物になりつつあるのかもしれない、家内と二人でそう言って思わず苦笑いしたものだった。
 そうこうしているうちに、大正生まれの私の父も母も、大学のときの恩師も、近所の人たちもいなくなってしまった。本当に「大正は遠くなりにけり」になってしまった。でもなぜか世間ではその言葉は聞かれなかった。

 さきほど述べた俳句のように四半世紀も過ぎると「なつかしい」と感じるものということからすると、大正については昭和25(1950)年前後から、昭和については平成25(2013)年ころから「○○は遠くなりにけり」という言葉が聞かれるようになっていいはずである。
 実際に、昭和については数年前からなつかしむ声が出てきている。BSテレビの『昭和は輝いていた』(この番組名の是非は別にして)をはじめとして昭和をなつかしむ番組が放映されるなどはその典型だ。まさに四半世紀過ぎころにこの動きが出てきているのである。これは偶然ではないのかもしれない。
 ところが、大正をなつかしむ言葉については大正が終って四半世紀の昭和25(1950)年前後には聞かれなかった(私の記憶ではだが)。
 これは当然のことだろうと思う。当時、大正元年生まれはまだ40歳、15年生まれはまだ25歳、自分の生まれたころを懐かしむ年齢にはまだなっておらず、ましてや当時は戦後の混乱の真っただ中、餓死するかしないかで目の前のことしか考えられなかった状況の中で、昔をなつかしむなどという精神的経済的ゆとりはなかったはず、だから「大正は遠くなりにけり」などと詠嘆する言葉など出てくるわけはなかった。
 だからそれはしかたがなかったのだが、その後もずっと「大正は遠くなりにけり」と言ってくれる人はおらず(これは私の思い過ごし、知識不足であればいいのだが)、大正100年も祝ってくれなかった。
 これでは「大正」がかわいそうだ。日本に童謡や児童文学を新たに誕生させて私たち昭和の子どもたちを喜ばせ、大正ロマンという言葉まで生み出すなど日本の文化の新たな夜明けをつくってくれた大正時代をもっと語るべきではないか(注2)。などと考えるのは、両親や恩師、先輩研究者をはじめ多くの大正生まれの方々にお世話になった昭和生まれの私のノスタルジア(今はこんな言葉は使わないか)でしかないのだろうか。

 といっても昭和生まれの私には大正をなつかしんで語るだけの知識はないし、そもそもその能力もない。山形県の銀山温泉(注3)で「大正ロマン」の一端に触れ、昔をなつかしむくらいしかできない(残念ながら岐阜の「大正村」には行ったことがなく、体調からして行けそうもないのが残念である)。しかし、大正生まれの方々から教わったことや大正につながる昭和の初期のことについてはまだ若干語れそうである。これまでもそれをこのブログに書かせてもらってきたが、これからも続けていきたいと思っている。

(注)
1.本稿の下記掲載記事で私の体験から大正を語っているので参照されたい。
  14年7月.28日掲載・本稿本稿第七部「農村青年の同人誌―大正から昭和へ―」
  14年8月4日掲載・本稿本稿第七部「『箱根八里』の二種類の替え歌」
2.14年9月22日掲載・本稿第七部「『昭和は輝いていた』か?」(1段落)参照
3.ご存じでない方はぜひパソコンで検索して知っていただきたい。なお、銀山温泉に関する私の思い出は本稿の下記掲載記事に書いてあるので参照願いたい。
  11年1月5日掲載・本稿第一部「湯治・里帰り」(1~4段落)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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