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昭和と平成を考える



            「改元」の年に思うこと(3)

             ☆昭和と平成を考える

 今から10年くらい前ではなかったろうか、「昭和の懐古展」なる催しを見る機会があった。駄菓子屋、赤いポスト、メンコ(私たちは「パッタ」と呼んでいたが)、ブリキのおもちゃ等々、本当になつかしかった。
 それから2~3年してからと思うのだが、BSテレビを中心に昭和の時代を振り返ってなつかしむ番組が多くみられるようになった。「昭和偉人伝」(2013年~)、「昭和は輝いていた」(14年~)、「昭和歌謡ベストテン」(14年~)、「あなたが出会った昭和の名曲」(17年~)等、それぞれ毎週もしくは隔週放送されるようになり、今も続いている長寿番組となっている。他にも「ああなつかしの昭和の演芸」、「昭和のお宝フィルム発掘」、「なつかしの昭和メロディ」などがあり、昭和のテレビ番組の再放送もある。
 昭和が終わってからふた昔、昭和生まれのものにとってもうなつかしいと思うだけの時間が経過したからなのかもしれない。あるいは、最近の世の中、平成になってからの日本の社会が何かおかしい、そうしたことから昭和の時代をなつかしむようになったのかもしれない。
 それにしても何か奇妙である。昭和生まれで昭和の時代に50年以上も生きてきた私にとって、昭和が当たり前だったのに昭和がなつかしがられる、もう私も振り返られる過去の人間、なつかしがられる年代になったのかと何か変な気持になる。私も年をとってしまったものだ。古く錆びついたホーロー看板(今の若い人にわかるだろうか)と同じ、そういえばそんな人もいましたねえと回顧される側になってしまった(思い出されもしなくなっているのだろうが)。何とも奇妙な感じである。
 それはそれとして、私としては多くの人に昭和の時代を大いに回顧してもらいたい、なつかしんでもらいたい、そして私もなつかしみたい。そのためにも昭和の名がつけられているテレビ番組を見ることにしよう。
 と思ったのだが、そのなかにちょっと気になることがあった。

 私がこうした昭和回顧番組のなかで一番最初に気が付いたのはBSテレビ東京「昭和は輝いていた」(現在はBSジャパン「武田鉄矢の昭和は輝いていた」に変わっている)だった。そしてそのテーマが非常に気になった、本当に昭和は『輝いていた』と言っていいのだろうかと疑問になったのである。それで他の昭和回顧番組を探してみたらもっと気になる番組名があった。
 BS朝日の「昭和偉人伝」(13年から始まっていたのだが、14年まで私は気が付かなかった)である。その宣伝文句には「いまなお輝いて見え、私たちの心に深く刺さる『昭和』という時代を、偉人=時代を牽引したリーダーの後ろ姿から振り返る」とあったのだが、ここでも昭和は「いまなお『輝いて』見え」るとあるのである。
 もう一つ、かなり気になったのは「昭和偉人伝」の『偉人』という言葉だった。

 しかし、昭和の時代はすべて輝いていたわけではない。
 昭和の時代の最初の三分の一(1926~45年)は、おかみがいうことに続いてそれと同じ言葉を国民みんなが繰り返して唱え、また天皇陛下万歳を唱える「唱和」の年代だった。そして侵略戦争を起こし、一般庶民はもちろんのこと、外国の人たちにまで多くの被害を苦痛を与えた暗黒の時代でもあったことも忘れてはならないのである(注1)。
 そうした時代も輝いていたとみて、それを牽引した指導者を「偉人」として讃えて昭和を振り返っていいのだろうか。
 もちろん、戦後の昭和の半分(つまり昭和の真ん中の三分の一、1946~69年の時期)は平和と民主主義の「唱和」の時代であり、貧しかったけれども平和と民主主義の実現に取り組み、さらに貧困からの脱却、格差の是正を目指し、さまざまな文化の花を開かせた年代であり、そういう点では一般庶民も含めてみんな輝き、また輝かせた年代ということができるだろう。そうした流れをつくった庶民をとりあげずに『偉人』なるものだけを取り上げていいのだろうか。
 さらに昭和の最後の三分の一の時期(1970~89年)は国際化の「唱和」の時代であり、一方で大資本の巨大化・世界への進出が進み、他方で中小企業や地方とりわけ農山漁村の衰退がもたらされた時期であり、この時期を輝いていたとして一面的に見ていいのだろうか。
 こういう疑問をもったのだが、番組の実際の内容はそう心配したほどのものではなかった。

  『昭和偉人伝』、ここでいう昭和の偉人とは「国家壊滅の状態から未曾有の成長を遂げた類まれな時代を牽引したリーダー」(注2)ということで、戦前戦中の軍人や政治家など「国家壊滅の状態」に追い込んだ人物は対象外にしていた。ということは昭和の戦前戦中期は輝いた時代ではなく、したがって当時を牽引したリーダーは偉人として扱わないということを意味するのだろう。これで一安心した。
 それでも「偉人」という言葉にはひっかかる。そして偉人として取り上げた人物も本当に偉人と言っていいかどうか疑問がある。たとえば偉人としてとりあげた吉田、池田、佐藤、田中、後藤田、土光、松下、出光、中内などの政財界人、たしかに時代に一定の影響を及ぼしたが、辞書に書いてあるような偉人(=歴史に遺るような並外れて優れた人、すぐれた仕事をなしとげ多くの人から尊敬される人)と評価していいのかどうか、かなり疑問のあるところである。
 もう一つひっかかるのは(というより「おもしろいのは」というべきだろうが)、この番組で偉人として登場した人の大半は芸能人だということだ。もちろん私も名を知っている方であり、それなりの成果をあげた方である。しかし、その方たちを偉人と呼んでいいのかどうかわからない。偉人の拡大解釈のような気がするし、今まで偉人と言われてきた人たちがどう思うか聞いてみたいものだ。でもこれは戦前のように軍人や政治家が偉人などと言われるよりはいい世の中になった証拠だ、と私は思いたいのだが、どうだろうか。

 それから『昭和は輝いていた』の番組だが、前にも書いたように(注3)、これは戦争を起こした昭和の政治、経済、社会を褒め称える意味で「輝いていた昭和」と名付けたわけではなかった。美空ひばりとか江利チエミなどの昭和の時代の歌や歌手、作曲家、漫才師や落語家、スポーツ、ファッションからレストラン、子どもの遊びの話まで、昭和の歌謡、演芸、風俗等々を取り扱っており、その一つ一つが『輝いていた』と紹介していただけだった。司会の武田鉄矢の話もおもしろかった。
 それで私もときどき見るようになったのだが、自分の生きた時代を、自分の子ども時代や青春時代、家族といっしょに楽しんだころ、仕事に精を出して自分が輝いていた(?)ころ、仲間と飲んで歌ったころのことなどをこの番組はなつかしく思い起こさせるものだった。
 もちろんいろいろ苦しいこと等々あった。しかし、みんなで手をつないで民主主義を確立し、荒廃した日本経済を復活、発展させ、この番組で取り上げたような多様な文化をみんなで育て、つくりあげてきたことは、好き嫌いは別にして、やはりたいしたものであり、そういう意味では昭和の時代を生き抜き、支えてきた人たちは誇りに思っていいのではなかろうか。そしてそういう人たちはみんなそれぞれ輝いていたと言っていいのかもしれない。

 現政権が何とかして突き崩そうとしている平和主義の「戦後レジーム」、これをつくりだし、まもってきたのも戦後昭和を生きてきた私たちだった。そういう面でも昭和は輝いていたといっていいのかもしれない。そのためにいまだにアメリカといっしょになって海外で自由に戦争のできる国にできないでいるからである。

 ところが、平成の時代に入ってからは、グローバリズム・新自由主義の本格的展開、バブル狂乱とその崩壊・リーマンショック、リストラ・派遣・カローシ・ホームレス、アメリカ的な成果主義・『能力』主義・競争主義・早期退職制度の導入等による人間関係の激変、格差の極端な拡大、環境破壊も関連しての自然災害の多発、さらには東日本大震災と原発事故等々、暗いニュースが続いた。
 農業に関しては、米の輸入が解禁され、食糧管理制度は廃止される等々、食料自給・農業保護政策が放棄され(口先だけでも言わなくなり)、農地の荒廃、農村の崩壊が進み、村の家々の灯は消えてなくなる一方だった。
 さらに平成の時代は、戦争の苦い思い出が風化し、戦争法、秘密保護法等の制定で「兵制」が整えられた時代でもあった。そして自衛隊は日本の国民・国土を衛るジエイタイというよりはアメリカ軍のゴエイタイ(護衛隊)として整備強化され、次の新しい元号の時代に憲法改悪で一気に戦争への道に進むべく準備が進められてきた年代でもあったのである。

 こうなるとますます昭和が輝いていたように見える。そこから昭和をなつかしむ番組がひっそりとBSテレビで流され、かくれた長寿番組となっている、こういうことなのだろうか。もしもそうならちょっと悲しいのだが。
 あるいはだからこそ改めて、昭和の時代に何を得て何を失ったのか、そして平成はそこから何を学び、何を得て何を失ったのか、何を新しい元号の時代にひきつぐべきなのかを振り返ることが必要になっているのかもしれない。
 もうすぐ平成が終るという今、この1~2ヶ月くらいは平成の時期を懐かしくふりかえる記事や番組が多くなっているが、ぜひそうした視点から振り返ってもらいたいものだ。

 懐かしがるようになる年月の明治と昭和の事例から類推する法則性(もちろんそれはまったく個人的な非科学的な推測でしかないのだが)からすると、後25年もすれば「平成」をなつかしむ声が出ることになる。そのときに、平成に学んだことが新元号の時代に活かされ、たとえば原発は廃止、沖縄の基地はすべて撤去され、田畑や山野は豊かな緑に覆われ、子どもたちの明るい声が村や町にあふれ、平和を世界中で謳歌できるような世の中になっていてほしいものだ(私は年齢からしてそれをみんなといっしょに謳歌することはできないが)。

 懐かしがるついでに言わせてもらえば、私が1956年から99年まで学びかつ勤めていた東北大学農学部の敷地・建物(注4)は移転で一昨年なくなった。戦後昭和・平成とあった農学部はここになくなることになる(注5)。跡地には大型店舗やマンション、病院の建設が予定されているとのことである。私の母校はもうなくなって思い出の中に残るだけになってしまった。80年も生きていれば、しかも激動の時代だったことを考えればそうなるのも当たり前、ちょうど平成が終る直前の昨年解体、これも一区切りなのもしれないが、それにしてもやはりさびしい。

(注)
1.なお、本稿の下記掲載記事では、この昭和の最初の三分の一の時期をさらにその前半と後半の二つに分けて述べているので参照されたい。
  14年9月22日掲載・本稿第七部「『昭和は輝いていた』か?」(2段落)
2.BS朝日「昭和偉人伝」www.bs-asahi.co.jp/ijinden/
3.14年9月22日掲載・本稿第七部「『昭和は輝いていた』か?」(2~5段落)参照

4.私が東北大に入学したのは1954年なのだが、当時は最初の二年間は教養部で教養教育を受けることになっていた。その教養部は仙台市の南、旧陸軍幼年学校(戦後は旧制二高)の跡地にあり、私たちはそこに通い、56年から農学部に移って専門教育を受けたのである。
5.なお、農学部の敷地は戦前は旧制二高の敷地だったが、それも含めれば大正・昭和・平成とここに学び舎があったことになる。最近、文教施設が郊外に押し出され、商業施設・マンションなどが建設されているが、街に大学がなくなる、これが本来の都市の姿なのだろうか。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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