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かつての村の結婚式



            村の結婚その昔(6)

           ☆かつての村の結婚式

 朝ご飯のとき、「今日は○○さんの家で『むがさり』だ」などという話がでる。「むがさり」=「むかさり」とは、結婚式・花嫁を意味する山形語だが、その日は近所のどこの家でも何となくあわただしい。戸主の祖父もしくは父はむかさりの祝いの席に客としてお呼ばれがあるし、母か祖母のいずれかがその家の台所の手伝いを頼まれているので行かなければならないからだ。なお、父は謡が上手ということで「高砂や」などの謡を頼まれているときがある。なお、結婚式は一般に農繁期を避けて挙げられるので、田畑仕事にはそれほど影響なく、母か祖母のいずれかが家で留守番をする。
 神社の祭りほどではもちろんないが、華やかな非日常、近所中何となく浮き立っている感じがし、私たち子どもも何か気持ちがせわしい。
 そしてその嫁入りの家に行ってみる。縁側は全部開かれ、外から見えるようになっている。隣近所の人たちが掃除をしたり、台所支度をしたりして忙しく立ち働いている。母か祖母がどこかにいるはずなのだが、見つからない。そのうち集まってきた私たち子どもは花嫁行列を待つ間何か遊びをしようということになり、やがて遊びに夢中になってもう結婚式のことなど忘れている。

 そのうち、遠くから大人の叫び声がしてくる。
 「むがっさりよう、むがっさりよう」
 共通語で言うと「花嫁だよう」、「結婚式だよう」となるが、前触れの人の声だ。あわてて子どもたちは数十メートル離れた四つ角のところに走っていく。そこには牛車が二~三台止まっており、そこの荷台に乗ってきた花嫁が降りてくる(当時は車などなく、遠くから嫁に来るときは牛車に乗って、外から見えないように覆ってきたものだった)。文金高島田(と言うのだろうか)に白い角隠しをつけ、きらびやかな衣裳を着た花嫁、その手をとって仲人夫人がいっしょに歩き始める。その前には提灯をもった男の人が二人、「むがっさりよう」、「むがっさりよう」と大きな掛け声をかけながら歩く(この触れ声が何とも調子がいいので、式の後の数日は子どもの間で流行ったものだった)。その後ろには両親とか親戚とかがついて歩く。さらにその後ろには長持ちや箪笥を担いだ人が歩く。そのうち誰かが「長持ち唄」を唄い始めたような記憶もあるのだが、確信はない。
 近所の人たちが「むがっさりよう」の声を聞きつけてみんな外に出てくる。私たち子どもも遊びをやめ、「むがさりが来た」、「見さんぐべ(見に行こう)」などと言いながら、遊んでいた所から走ってきてこの花嫁行列を見る。そして子どもたちはむがさりをする家に歩きながらついて行く。
 婚家に到着した花嫁は、仲人とともに、裏の台所口に行く。そこに立ち止まり、家の中にいる近所の人すら祝い・お迎えの謡いを受ける(私の父も頼まれてその謡の役をやっていたが、紋付き羽織袴姿だった、なおこの役割をする人は後で述べる結婚式の盃事のときの謡の役目もした)。台所で手伝いで働いていた近所の女性も手を休め、それを見守る。それから花嫁は家の中に入り、座敷の方に向かう。
 花嫁が表玄関の正面の入り口からではなく台所口から入る。家内はその光景を見たときものすごくいやな気持ちになったというが、私はそんなものなのだろうと思ってとくに何も感じなかった、男と女の違いなのだろう(注)。
 それはそれとして、それから花嫁は仏壇の前に行って先祖にお参りをする。
 その後、ふすまを外して広くしてある座敷の奥の正面に新郎新婦、両脇に仲人夫妻が座る。その向かって右側に花婿側の親族、左側に花嫁側の親族がコの字に座る。当時のことだから男はみんな紋付き袴、女は黒留袖(未婚女性は色留袖)だった。

 それから夫婦の契りを固めるいわゆる三々九度の盃事が始まる。
 新郎新婦が大中小の三重(みつがさね)の盃で、それぞれの盃を三回ずつ合計九回やり取りするのだが、その盃に酒を注ぐのは幼い男女の子ども(雄蝶、雌蝶と呼ばれた)で、私の記憶では次のような順序でなされる(もしかすると記憶違いがあるかもしれないが、そのときはお許し願いたい)。
 まず、雄蝶と雌蝶をかたどった折り紙をつけた銚子を雄蝶が持ち、三段に重ねられた朱塗りの小中大の盃を載せた朱塗りのお膳を雌蝶が持って部屋に入り、雌蝶は新婦の前に雄蝶は新郎の前に座る。
 続いて、謡いが唄われる。
   「処は高砂の 尾上の松も……(後略)……」
 たしかのような文句から始まったと思う。「高砂」という言葉が出てくるが、よく私たちが聞く「高砂や この浦船に 帆を上げて」だと思って父に聞いたら違うとのこと、それでこの歌詞は印象に残っている。
 それが終ると盃事である。まず、朱塗りの小中大の盃のうち、一番上の小さな杯を仲人が取り、新郎に渡す。そこに雄蝶が酒を注ぎ、新郎がそれを三度に分けて飲み干す。続いて泣こうと背は新郎からその盃を受け取り、隣の新婦に渡す。そこに雌蝶が酒を注ぎ、新婦も同様に三度に分けて飲み干す。その盃を今度は新郎に渡す。そこにまた雄蝶が酒を注ぎ、新郎が飲む。それが終ったら盃を返し、仲人が三つ重ねのお膳の一番下に入れる。だから三つ重ねの一番上の盃は真ん中の大きさの盃となる。
 これで一度目の盃事がすみ、続いてまた謡である。
    「四海波静かにて……(後略)……」
 この「四海波静か」は最初もしくは最後の方がいいのではないかといつも思っていたので、この歌詞の最初も印象に残っている。
 続いて二度目の盃事となるが、今度は新婦の側から先に中の大きさの盃に酒を注いでもらって飲み、それを新郎に渡し、新郎が飲み干したら今度は新婦に戻す。つまり一度目の時の逆となる。飲み干した盃は一番下におかれ、一番上がもっとも大きな盃となる。
 そして三度目の盃に移るが、その前にまた謡である(ただし、この謡の詞は記憶にないのでパソコンで調べたものである)。
    「永き命を汲みて知る……(後略)……」
 この三度目のもっとも大きな盃で、一番最初と同じく新郎から新婦へ、新婦から新郎へと盃が渡される。
 最後に、その盃が朱塗りのお膳に戻されると、上から大中小と盃が積み重ねられる。不安定な感じだが、上に向かって盃が広がる、末広がりでめでたいということからなのだろう、などと子ども心に考えたものだった。
 これでめでたく固めの盃はお開きとなり、雄蝶雌蝶は別室に引き上げる。その最後のときに謡をうたったかどうか、それがどうしても思い出せない。

 続いて、新婦がさきほどの盃事で使った銚子を持って、新郎の両親や親類との間で親子盃、親類盃を取り交わす。それから、新郎が同じく新婦の両親、親戚に酒を注ぐ。
 最後に両家の親族の紹介があり、私の記憶ではこれで式はお開きとなる。

 続いて祝宴となるわけだが、これについては次節で述べることにしてちょっとここで脱線、今言った雄蝶雌蝶だが、私も近所の結婚式でこの雄蝶の役割を頼まれ、何度かやらされたことがある。
 最後にやったのは小学一年の時、学校を早退してやったことがあることからして、数え七歳以下の子どもがその役割を果たすのだろう。家にある子ども用の紋付き袴を着せられ(雌蝶は振袖姿、頭にリボンだった)、白足袋をはいて、仲人の言うままに花婿、花嫁に酒を注ぐのだが、間違えないように、こぼさないようにと緊張したものだった。三々九度が終れば雄蝶雌蝶の私たちはお役ごめん、別室に引き上げる。するとそこには私たちのお膳=食事が準備されており、それをごちそうになる。めったに食べられない料理を食べられ、それにお土産もくれる、これはうれしかった(といってもそのころは戦争まっただなか、料理は質量ともに落ちていたなかでの話だが)。

(注)
 本稿の下記掲載記事ですでに述べたところたが、当時は農村ばかりではなく都会でも同じだった。
 10年12月20日掲載・本稿第一部「花嫁の涙」

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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