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結婚は恋愛か見合いか



            村の結婚その昔(9)

          ☆結婚は恋愛か見合いか

 「男女七歳にして席を同じうせず」で小学三年から男女別学になるはずだったのに、私の場合は五年生のみ別学で後は大学まですべて共学で過ごしたという話を前にした(注1)が、戦後二年目の1947年、私の小六のときから男女共学が全国的な原則となった。でもクラスの中で男女が仲良く話したり遊んだりするなどということは当初まったくなかった。そんなことをしたらみんなからからかわれたり、いじめられたりするのが関の山、お互いに知らん顔だった。それでもみんな異性に対する関心はあった。あったからこそ、からかったのだが。
 ちょうどそんなころ「アベック」という言葉が流行った。若い男女の二人連れを言う英語だとのことだったが、実は大正時代末から使われていた和製フランス語だったらしい。私たちの幼い頃は戦中でカタカナ語は使用禁止・自粛で聞いたことはなかったのだが、ヤンキーの腕に腕をからませて歩くパンパンの姿からその「アベック」という言葉が復活したのかもしれない。ということからだろうか、私たち子どももアベックと聞くと何かふしだらな感じがしたものだった。そして悪童たちのなかには男女の二人連れが通ると「アベックだ、アベックがきた」などとはやし立てて怒らせたり、逃げ出させたりするものもいた。まだそんな時代だった。
 一方、新憲法が制定されて「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」するものであり、夫婦が同等の権利を有するものだなどということを中学校で48年に習った。もちろんこんなことを教わってもとくに何も感じなかったのだが、恋愛か見合いか、恋愛は自由であり恋愛結婚こそ望ましい等々新聞や雑誌等で論議されていることについては、ちょうど年頃になりかけの私たち、男女生徒それぞれ禁句であるようでいながらみんな関心があり、担任の先生にどう考えるか質問したりしたものだった。これに対する先生の答えは「どちらがいいとか悪いとかは一概に言えない、ただ恋愛結婚は恥ずかしいことではないし、見合いも悪いことでは決してない」ということだったような気がする。一方、冷やかしの対象でしかなく、なかなか進まなかったクラスのなかでの男女の交流を私たちの担任の先生の指導の下にさかんにし、学校全体の模範となったりしたこともあった(注2)。

 ちょうどそのころ大ヒットしていた歌に『青い山脈』があった。この歌は青森県弘前市出身で弘前や秋田県横手市の女学校や中学校(旧制)の教員をした経験のある小説家石坂洋二郎が戦後すぐの1947年に新聞に連載した小説『青い山脈』が映画化され(注3)、その主題歌として歌われたものだった。
  「若くあかるい 歌声に
   雪崩は消える 花も咲く
   青い山脈 雪割桜
   空のはて
   今日もわれらの 夢を呼ぶ

   古い上衣よ さようなら
   さみしい夢よ さようなら
   青い山脈 バラ色雲へ……後略……」(注4)
 雪崩(=戦争の時代)は終わった、雪を割って花を咲かせよう、「古い上衣(=世の中)よ さようなら」、新しい世の中を若い「われら」でつくろう、そんな風に呼びかけているような明るい歌だった。映画・小説の内容はまさしくその通り、地方の町を舞台に、そこに残る古い因習を旧制の高校と女学校の生徒が中心となって打ち破って変えていくというストーリー、映画は、そして歌は大ヒットした。

 ついでに言うと、私がこの映画を見たのはかなり後からで、石坂洋二郎原作の映画では『山の彼方に』(注5)が先だった。前にも触れたのだが(注6)、中学三年の時(1950年)父がこの映画を見てこいと映画代をくれたのである。第一部、第二部に分かれていて、第一部はすでに上映が終っており、だから私は第二部の方、つまり後半部分を見たことになるが、第一部のストーリーはわかるようになっていて十分に理解できた(後に第一部も見たが)。感激した、ちょうど同じ世代の、ほぼ同じ時期の、しかも学校の生徒の話が中心、そこに明るい男女関係あり、恋あり、軍隊式懲罰に団結して闘う話あり、それらがユーモアを散りばめながら描かれていて、まさに若い私たちにぴったりの映画だった。映画の主題歌、後に読んだ原作の小説もよかった。

 この二作、今読んでも、今観てもおもしろいし、勉強にもなる。今の若い方にも楽しんでいただけると思う。まだごらんになっていない方は私にだまされたと思ってぜひ試していただきたい(ともに再映画化されているが、やはり最初の作品がいい)。
 それはそれとして、「恋愛」というものに対する戦前戦中の考え方、世間の見方は戦後のこうした映画や小説の影響もあり、かなり変わってきた。

 もう一つ、「恋愛」に関する世の中の雰囲気を変えたものに、1952年から54年にかけてNHKラジオで放送された連続ドラマ『君の名は』(注7)があったのではなかろうか。東京大空襲のなかで偶然出会った見知らぬ男女・真知子と春樹の数寄屋橋での約束から始まる恋愛ドラマであり、この放送時間になると銭湯とくに女湯がガラガラになったといわれるほどの人気を博したことからして、これが世の中のこれまでの偏見をなくしたような気がするのだが。

 農村部に関して言うと、1953年に『家の光』に連載された佐々木邦の小説『おばこワルツ』があったのではなかろうか(注6)。山形県庄内地方の農村の恋愛が、戦後の解放された明るい雰囲気を反映して、ユーモアたっぷりに書かれていたのだが、『家の光』は当時ほとんどの農家が購読していた雑誌であり、本が農村部にはまだ少ない時代であったので多くの人が読んだと思われ、かなりの影響力があったと思われるからである。

 しかし、現実はまだまだだった。そのころはまだ恋愛などというのは小説や映画で見るものであこがれでしかなく、見合い結婚が都市でも農村でもほとんどだった。

 ちょっとここで脱線させてもらう。
 さきほど『君の名は』の話を出したが、その放送年次を確認するためにパソコンで「君の名は」を検索してみた。そしたら何と、目的とするNHKラジオドラマの「君の名は」は出てこない。出てくるのはすべて新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』(注8)に関する記事だった。やむをえず「君の名は NHKラジオ」で検索してみたら、さすがに出てきた。
 これには驚いた、「。」を後ろにつけていない「君の名は」と書いて検索しているのに、パソコンはご親切に「君の名は。」だろうと推測してくれているのである。
 もう一つ驚いたのは、もはや世の中は「君の名は」の時代ではなく、「君の名は。」の時代になっているということだ。
 変わったものだ。しかし、ここまで大きく変わっていいのだろうか。こんなことを言うのは年寄りの何とやらなのだろうか。
 もちろん、「君の名は。」の映画、小説を評価しないわけではない。私は映画も小説も見ており、見ていない人には見るように推奨しているくらいだ。
 でも「君の名は」を検索しているのに「君の名は。」関連のことしか検索させてくれないパソコンにはどうしても納得できない。時間がたてば忘れ去られる、「君の名は。」の方の検索が多いし、新しい、だからこれはやむをえないのだが、一気にこう新しいものに変わる、古いものが見えないような片隅に追いやられる、これにはどうしてもついていけない。何かすべて一律化させられているみたいで、怖い感じすらする。言うまでもなくこれは意図的なものでなくてパソコンの検索プログラムのせい、なのにこんなふうに感じるのは、権力や金力などで意図的にそうさぜられたらどうなるかと考えると恐ろしくなってしまうからなのだろう。でもこれは考え過ぎ、時代についていけなくなった年寄りの単なる妄想でしかない、のであれば幸いなのだが。

(注)
1.17年10月2日掲載・本稿第九部「戦中戦後の男女共学と私たちの小中学校」参照。
2.11年2月23日掲載・本稿第一部「新制中学への通学と叩き売り」(1~2段落)、
  17年10月2日掲載・本稿第九部「戦中戦後の男女共学と私たちの小中学校」(9段落)参照
3.原作:石坂洋次郎、監督:今井正、主演:原節子・池部良、配給:東宝、1949(昭24)年。なお、正と続の2編となっている。原作は新潮文庫で1952(昭27)年に発行されている。
  その後1957・63・75・88年の四回映画化されているが、やはり最初の白黒の映画がもっともいいと私は思っている。
4.歌:藤山一郎、作詞:西條八十、作曲:服部良一、1949(昭24)年
2.原作:石坂洋次郎、監督:千葉泰樹、主演:池部良・角梨枝子、制作・配給:新東宝・藤本プロ、1950(昭25)年。なお、映画は第一部『林檎の頬』と第二部『魚の接吻』の二編に分かれている。主題歌『山の彼方に』は、歌:藤山一郎、作詞:西条八十、作曲:服部良一で、『青い山脈』の主題歌と同様にヒットした。原作は1954(昭29)年に新潮文庫で発行されている。
  その後、1960年に再映画化されている。
6.11年2月25日掲載・本稿第一部「抑圧からの開放感」(3段落)参照
7.1953(昭28)年に三部作にして映画化され、大ヒットしている。また、1991(平3)年にはNHKの朝の連続テレビ小説としても放送された。
8.原作・脚本・監督:新海誠、制作:コミックス・ウェーブ・フィルム製作会社、配給:東宝、2016年。
  新海誠「小説 君の名は。」、角川文庫、2016年。


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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