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子どものころ聞いた天気俚諺



            お天気・思いつくまま(2)

          ☆子どものころ聞いた天気俚諺

 私の幼いころ、今から4分の3世紀も前の話である。ある夏の日のこと、田んぼで働いている父が大きな声で祖父と母に声をかけた。
 「そろそろ あがらっしゃいは(そろそろ あがってくださいな)、
  こくぞうさんさ 雲 かがたがら(虚空蔵山に 雲が かかったから)」
 田畑の仕事を終わらせることを「(田畑から)あがる」と私の生まれた地域では言うのだが、田の草を取っていた祖父と母はその声を聴いて曲げていた腰を伸ばし、西の山を見る。山形盆地の西側に連なる白(しら)鷹(たか)丘陵の最高峰白鷹山(994㍍、虚空蔵山とも言っていた)の頂上にたしかにうっすらと霧がかかってきている。すぐに帰り支度をはじめ、母はあぜ道で遊んでいた私たち子どもを連れて家路を急ぐ。途中で雨がぽつりぽつり降ってくる。まさに父の言ったとおりだ、「虚空蔵山に雲がかかると雨が降る」、あの山には雨の神様がいるのだという言い伝えはやはり当たっている(注1)などと思いながら私たちは家に向かって走り出す。父と祖父は後片付けをしてその後を追う。家に着いた頃はびしょぬれだが、身体はまだ冷えていない、濡れた服を脱ぎ、手拭いで身体を拭き、着替えていろりの火のまわりにみんな集まり、祖母の出してくれた熱いお茶を飲む。そんなことが何度かあったものだった。

 晩春もしくは晩秋の夕方、風も雲もまったくなくて空が高く見え、空気が澄んでいる感じがするときがある。すると祖父か父が言う、「明日は霜が降るな」、晩春であればすぐ野菜の苗床に菰をかけ、霜に直接当たらないようにして保護する作業にとりかかる。翌朝、父や祖父が言った通り、庭や畑は霜で真っ白、晴れあがった空に昇る朝日に当たってきらきら光り、寒さと朝陽の暖かさとを肌でいっしょに感じる。秋であれば、もうすぐ雪だなと季節の変わり目を改めて実感したものだった。

 子どものころに聞いたこうした天気の予測に関する言い伝えは他にもたくさんあった。
 もっともよく聞いたのが「夕焼けの次の日は晴れ」だった。幼かったころ、雨の日は外で友だちといっしょに遊べないので明日も晴れであってほしい、それで夕焼けになるとうれしかった。それでもやはり願いたくなる、それでみんなで声を合わせて叫ぶ、「あーした天気になあれ」。
 それをさらに確かめるためにやるのが下駄占いだ。「あーした天気になあれ」と叫びながら履いている下駄の片方を足からポーンと遠く放り投げる。そのまま表が出たら晴れ、ひっくりかえって裏が出たら雨だ。裏になったら悲劇である。表であればそこまで片足でケンケンしながら行って足を鼻緒に突っ込めばいいだけなのだが、裏であれば表に戻して履くのが大変、ついつい裸足になってしまい、足の裏に土がついてしまう。家に帰ったら怒られるし、明日は雨の予言、泣きっ面に蜂である。それでも夕焼けの方を信じて気を取り直し、みんなと家路に向かう。こんなことも何度もあったものだった。

 まだ幼いころ、私より10歳年上だった叔父が夜遅く便所に行ったとき(その昔は外便所だった)家の外から私を呼ぶ。
 「きれいだがら 外さ出でみろ」
 その声に誘われてこわごわ出てみる(その昔の夜の外は真っ暗、怖かった)と、何と外は昼のように明るい。見上げてみると、雲一つない空に明るいお月様、何ということ、それを囲んでまん丸の虹がかかっているではないか。夜の虹、まんまるい虹、青黒い空、昼の虹に付き物の雲も霧も雨もまったくなし、怖くなるほどきれいである。いっしょにそれを見ながらM叔父は私に教える。
 「こういうようにお月様さ虹がかがっど、必ず次の日は天気悪ぐなるんだ」
 本当にそうだった、翌日は雨になった。

 それと同じことがお日さまについても言われていた。「お天道様が暈(かさ)をかぶると雨になる」、ところがなぜかそれを見ることはなく、友だちから聞くだけ、悔しい思いをしていたのだが、中学に入ったばかりの頃、何か蒸し暑さを感じる初夏の日に、うすぼんやりとした薄い雲に包まれた太陽を囲んでこれまたうすぼんやりした丸い虹がかかっていた。やはり翌日は雨だった。
 これはまさに天気予報だった。

 こうした短期予報ばかりではなく、豊作だとか不作だとかの予知、今でいえば長期予報もあった。
 たとえば夏の夕方の遠雷だ。そのことについてはかなり前に書いた(注2)のだが、蛙の声が遠くから波のようにうねって聞こえる真っ暗な外に出ると、遠くの空がピカッ、ピカッと光り、遠い山並みが光のなかに一瞬黒く浮き出る。不思議に思って何かと聞くと祖父が教えてくれる。
 「らいさまが(雷様が)稲さ(稲に)つつのましぇさ(乳飲ませに)来たんだ、こどす(今年)は豊作だな」
 雷鳴も聞こえず、雷雲も見えないようなかなり遠いところで雷雨になっているのだろう。だから稲妻だけが遠くに見えるのである。星がたくさん光っているのだから天気はいい。このように雷が鳴るということは、雷雨が遠くで水を供給してくれ、それがこちらにも流れてきて恩恵を与えてくれるということである。それを稲に乳を飲ませに来ているとたとえて言うのだろう。一方雷雨は暑い夏を示すもの、冷害等の心配はなさそうだ。そして今年はうれしい豊作になるのである。
 だからだろう、「雷の多い年は豊作」と言われている地域も多かったようだ。
 東北では、「雪の少ない年は不作」などと言われている地域もあった。地域によっては神社等の古木の幹のある場所以上に雪が降れば豊作、それ以下であれば不作などと言い伝えられているところもあった。雪が多く降れば春夏の水は豊富、干ばつの心配はないということからなのだろうか。
 それらは昔からの経験則にもとづく言い伝えだった。

 他に私の記憶しているこうした言い伝えの予報には「朝焼け(朝てっかり)は雨」、「煙がまっすぐ上がると晴れ、たなびけば雨」、「遠くの音がよく聞こえると雨」、「燕が低く飛ぶと雨」、「ネコが顔を洗うと雨」、「アマガエルが鳴くと雨」などがあるが、他にもあったはずなのに思い出せない。
 いうまでもなく、全国各地にそれぞれの地域の自然的社会的条件を反映したこうしたさまざまな俚諺があった。こうした経験にもとづく長期・短期の予報にもとづき、作業や生活の計画を立て、子どもたちは遊びの計画を立てたものだった。とりわけ農業は天候に左右されるし、外仕事が多いのでましてや予報は重要だった。
  しかし、こうしたいわゆる天気俚諺は経験と伝承にもとづくものであり、正確なものもあればきわめて不正確なものもあった。当たる場合もあるけれども当たらない場合の方が多かった。また、予測などまったくできないことの方が多かった。
 やはり気まぐれな天気の神様のなさること、その神様にこちら下界の望みをかなえてくれるように祈るしかなかった。

 私たち子どももそれがわかるようになってくる。だからやはり祈った。明日は楽しい遠足、祖母か母から白いぼろきれをもらい、へのへのもへじの顔の「てるてる坊主」をつくって縁側の物干し竿にぶらさげ、「明日天気にしておくれ」と祈ったものだった。
 農家は農家で、予測できない旱魃や長雨、冷たい夏などになれば、神仏に祈った。それしかなかった。田植えの終わった日は苗を一束神棚に供えで、無事田植えを終わらせてもらった御礼をし、これからの好天と無事な稲の生長、豊作を祈った。私の生まれた地域では干ばつのとき「雨たもれ」をして虚空蔵尊に祈った(注3)。
 対策を立てて若干でも被害を避けられるようにせめて予知だけでもしてくれと、神様に占いをしてもらったりもした。

 お天気はまさに自然の力、天の神様の思し召し次第、人間の力ではどうしようもないものだった。
 神の力によるものだからこそ、神の国の日本は元寇(文永・弘安の役)の時に神風が吹いて勝てたのだ、そう私たちは信じさせられていた。子どもだけならいいが、大人もそうだった。そして日本は神国、太平洋戦争もいざとなれば神様が予測もなしに突然大風を吹かせて米英を撃滅してくれる、だから日本は必ず勝つと信じ込んでいた。そして神風よ吹いてくれ、神風を早く吹かせてくれと神様にみんな真剣に祈ったものだった。
 しかし、神風など吹かなかった。

 祈っても天気だけはどうしようもないことはみんなわかっていた。天気の神様は気まぐれだった。たまたまいろんなやり方で教えてくれ、予告してくれることがあるが、その予告をいかに読み解き、いかに対応していくかを考えると同時に、神仏に、天地に祈るしかなかった。無駄かもしれないと思ってもそれしかなかった。

(注)
1.この第一節のここまでの部分は、下記に掲載したものの一部を再録したものである。
  コラムJAcom農業協同組合新聞・www.jacom.or.jp/column/ 酒井惇一「昔の農村・今の世の中」、2018年5.月24日掲載記事『お天道さまにはかなわない』
2.11年1月24日掲載・本稿第一部「農のやすらぎ」(2段落)参照
3.10年12月8日掲載・本稿第一部「雨たもれ」(1段落)参照
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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