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竜巻、つむじ風、かまいたち



             お天気・思いつくまま(5)

           ☆竜巻、つむじ風、かまいたち

 黒い大蛇が身をくねらせながら空に向かって昇っているような「竜巻」、何もかも吸い上げてしまう竜巻、子ども向けの本や友だちの話などで知り、怖いものということは知っていたが、遠い世界のものとも思っていた。
 ところが、小学二年(1943年)ころ(だと思うのだが)読んだ子ども向けの雑誌に書いてあった記事は竜巻の印象を若干変えた。その誌名は覚えていないが、いずれにせよ借りた本、しかも3~4年前発行の古本(注1)だった。そのなかに、何と、ある町に空からいろんな魚が降ってきた、竜巻が海から吸い上げた魚を運んできて天から落としてくれたのだというのである。そして多くの人が上を見上げ、空から降ってくる魚を見ている挿し絵が描かれており、その斜め上にまた、竜巻が渦を巻きながら柱のように海から立ち昇っている小さな絵も書いてあった。驚いた、竜巻が海から魚を巻き上げて陸に落としてくれるなんてまったく考えもしていなかった。蛇のようにとぐろをまいて海から立ち昇る巨大な力をもつ竜巻の絵も怖かったが、怖さよりも意地汚さの方が勝(まさ)った。竜巻が降らせてくれる魚を拾って食べたい。そういう竜巻の恩恵を受ける地域の人たちがうらやましいと思ったのである。魚のとれない内陸部に住み、ましてや戦時中の食料統制時代のこと、めったに魚など食べられない私にとってはただで魚を降らせてくれる竜巻の通り道に住む人がうらやましい、そう感じたのである。

 なぜかわからないが、このような大きな竜巻は海で発生するもの、だから私など内陸に住む者は見られないものだと子どものころ思っていた。
 でも、地上の砂土や枯れ葉などを巻き込んで渦を巻いて立ち昇る風、いわゆる「つむじ風」(これを山形語で何と呼んでいたか、いくら考えても思い出せない、年は取りたくないものだ)は何度か見ていた。たとえば学校の秋の運動会のよく晴れた日、突然グランドに砂埃が舞い、それが絵で見る竜巻のようにぐるぐる回りながらグランドを走り回り、いろんなものを巻き上げるのである。こんなことが秋になると私の家の前の道路でも起きることが何回もあったので私は慣れていたが、家内は見たことがなかったらしく、私の生家に来たときに初めて見たという。1960年代前半のある年の秋.、小学生だった私の弟の運動会を見に行ったとき、突然大きなつむじ風がグランド中を走り回り、借り物競走のコースの途中に置かれた紙など軽いものがみんなぐるぐる空に舞い上がってしまうなど、大騒ぎになったというのである。かなり驚いたらしく、家内は今でもそのときのことを思い出して話す。でも私たちは慣れたものだった。

 私より一歳下の妹が小学校の低学年のころ、家の前の道路で遊んでいたときに、足のくるぶしのところにけがをした。皮膚が半月のようなきれいな形(直径一㌢くらい)にばっかり割れたのである。その傷は真っ赤な血の色をしていたが、血は流れない。そのときいっしょにいたのが私と祖母だった。その傷の直前、祖母が瀬戸物の茶碗のこわれたのをゴミ箱に投げ捨てたばかりのときだったが、三人ともその傷を見てびっくり、そのうち妹が泣き出した(痛みではなく、驚きで泣いたようである)。そこまでは覚えているが、その後どうしたのか、どう治療したのか、なぜかまったく覚えていない。ともかく祖母があわてていたこと、医者にいかなかった(当時はこの程度の傷では行かなかった)ことは覚えているが。
 夕方、両親や祖父が畑仕事から帰ってきたとき、祖母が妹の傷をこう説明していた、「『かまいたち』のようだ」と。
 「かまいたち」、聞いたことがあった。さきほど言ったつむじ風にあったときに、突然皮膚が裂けて、鋭どい鎌で切ったような、鎌の刃の形をした(半月のような形と言った方がわかるだろうか)切り傷ができることがある、誰も何もしていないのにである、とするとこれはきっとイタチのような魔獣の仕業だろう、ということから「かまいたち」という名前がついたのだそうだが、たしかに妹の傷はそういう形をしていた。言われてみればそうかもしれない、それにしても不思議だった、あのときつむじ風など吹いていたろうか、そんな天気ではなかったはず、「かまいたち」など起きるわけはないのだがと。祖母以外みんなそう思ったようだが、真相はいまだにわからない。
 まあそれはそれとして、「かまいたち」は実際にあるのだそうである。もちろんイタチのせいではなく、小さな旋風の中心に生じた真空に人体が触れたときにできるのだそうである。これは全国各地にみられる現象とのことだが、最近は「かまいたち」の話などまったく聞いたことはない。言葉も聞かなくなった。
 なぜなのだろうか。つむじ風は今も起きているのにである。運動会のテントを吹き飛ばしたとか、けがをさせた等々の被害をもたらしたというニュースが流れることからしてつむじ風がなくなったわけではなし、かまいたちの被害などとるにたらない軽傷の話だからニュースにならないだけで実際にはあるのだろうか。それとも靴下をはくようになったなどの服装や栄養などの変化で「かまいたち」などにならなくなっているのだろうか。よくわからない。
 なくなればなくなったでけっこうなのだが、この「かまいたち」という言葉、現象等々は子どもたちに伝えていきたいものだ。怪談や昔話としてでもいいし、日本いたちが絶滅したという話とからめてでもいいから。

 さて、このつむじ風と竜巻、規模の大小の差があるだけで同じものとかつて私は考えていたが、これは違うものだった。風の渦巻きという点では同じだが、つむじ風は晴れた日に強い日差しで地面が暖められることで発生するものだが、竜巻は発達した積乱雲によって発生するものとのことである。
 それからもう一つ、竜巻は海で発生するものと子どものころ考えていたが、これも誤りて陸上でも発生することが大きくなるにしたがってわかってきた(発達した積乱雲によって竜巻は発生するのだから当然のことだったのだが)。アメリカのトルネードのように広い平原地帯などでも起きる、砂漠地帯でも起きることなどを知るようになったのである。そして人家に大きな被害を及ぼすことも知った。
 しかし、それは平原地帯や砂漠地帯でのこと、日本のような起伏の激しい、繁茂する緑の草木に覆われているところでは起きないものなのだろうとかなりの期間信じていた。つむじ風の被害は聞いたことはあっても、竜巻の発生とかそれによる被害のニュースを聞いたことがなく、天気予報で竜巻の予報なども聞いたことはなかったからである(私の注意力欠如、知識不足のせいなのかもしれないが)。

 ところが、いつのころからか、テレビの天気予報などで竜巻発生の予報を聞くようになった。さらにニュースや新聞で国内での竜巻の発生と被害を知らせるようになった。しかし、身近な問題として受け止めることもなく、どこか遠いところの話という感じで、ただ聞き流す程度だった。
 その私の認識を変えたのは、06年11月に北海道常呂郡佐呂間町の国道333号線(注2)で起きた竜巻のニュースだった。

 前に述べたように、私は99年から06年3月まで網走に住んでいた。その間、家内の運転でオホーツク海沿岸の紋別まで行ったときの帰り、遠軽から美幌までの近道としてこの国道333号線を通ったことがある。そのときに佐呂間町を通るのだが、けっこうな山の中を延々と走る。景色はよかったが、運転する家内はかなり疲れたようだった。それを解決するためなのだろう、途中にトンネル工事をやっているところがあった。その遠軽側の山道が終わって佐呂間町の平坦になったところ、そこを竜巻が通過したとのことなのである。そしてその道路に面して建っているプレハブの建物・トンネル工事事務所が竜巻で吹き飛ばされ、9人が死亡したという。この建物には記憶がないのだが、333号線は私たち夫婦にとっては忘れられない道路の一つだった。そして佐呂間町、サロマ湖は私たちのなじみの場所でもあった。そこを竜巻が襲う、猛吹雪ならまだしも、考えもしなかった。しかもその被害の映像はすさまじいものだった。
 その半年前に私たちは網走を去っていたのだが、感じとしては近所が竜巻に遭ったよう、かなりショックだった。縁遠い話と思っていた竜巻、それは身近な存在だった。

 そのころからではなかったろうか、ときどき国内で発生した竜巻が地上から渦を巻いて細長く雲へと延び、それが動くさまを、あるいはその被害を撮った生々しい映像がテレビのニュースなどで見られるようになったのは。
 もちろんテレビなどで紹介されるアメリカなどの大竜巻とはその規模、迫力はまるきり違う。しかしそれは遠い国の話、緊迫感、実感はない。家内などは何であんな竜巻の来るところに住んでいるのだろうなどという。それに対して私は言う、あんな大地震や大津波の来る日本になぜ日本人は住んでいるのだろうとアメリカの竜巻地帯の人が言ったらどう返事するのかと。そう言われてみればそうかもしれないと家内は笑うが。
 それはそれとして、昔からほんとにこんな竜巻が日本のあちこちで起きていたのかと不思議に思う。もしかして以前は竜巻とは考えず単なる突風として扱っていたから少なく思えたのか。それとも地球温暖化による気象の変化で近年竜巻が増えているからなのか。あるいはスマホでどこでもいつでもだれでも簡単に写せて見せられる時代になったので竜巻が増えたように思われるだけなのだろうか。私にはわからないが、いずれにせよ被害は困ったものだ。でも、一度は直接自分の目で竜巻を見てみたい、ただしその被害はなしで、などとも思ってしまう。好奇心の強さはまだ残っているよう、これまた困ったものだ。

(注)
1.今のように本が出版されておらず、しかも高価であった当時は、月刊誌であっても何年も所蔵しておくのが普通、子ども社会ではそうした本をお互いに貸したり借りたりして読むのが普通だった。このへんの事情については本稿の下記掲載記事に書いてあるので参照願いたい。
  11年2月22日掲載・本稿第一部「のらくろ・活動写真・石盤」(1~4段落)
2.北海道旭川市から上川、遠軽を経て北見市の北端に至る一般国道。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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