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天気予報と戦後の農業・農村



            お天気・思いつくまま(8)

          ☆天気予報と戦後の農業・農村

 家内は朝起きるのが早く、起きてまず顔を洗いに行き、洗濯機をまわす。それから玄関に行き、新聞をとってきて居間のテープルに座りゆっくり見る(私はまだ布団のなかである)。まず一面を見て、それから天気予報の欄を見る。洗濯物を二階のベランダに乾すか、家の中にするかを判断するため、今日一日の行動をどうするかを考える参考にするためである。もちろん玄関に新聞を取りに行ったときに空を見るが、その後どう変わるかわからないからである。外出の予定があるときなどはなおのこと一生懸命見ている。その他いろいろと行動予定をたてているようだ。それから、東北楽天の野球試合が前の日にあればその結果を見(結果は前夜わかっているのだが、勝っていればじっくり読み、負けたときには早々と切り上げる)、他の欄に移る。
 それに対して私はあまり新聞の天気予報は見ない。朝食のときにテレビの天気予報を見るだけだ。それもあんまりまともに見ない。外出の予定があるか、庭仕事や片付け方をする予定でいるときは見るが。それでも見忘れて、出かけるときに家内に今日の予報はどうだっけと聞いて、服装や雨具の準備等を考える。
 もう外勤をやめた私と内勤をずっと続けている家内との違いなのだろう。

 いつごろからだったろうか、農家がまともに気象庁の天気予報を仕事の参考にするために見るようになったのは。1950年代に入ってからではなかったかと思うのだが。
 このころにはラジオがかなり普及していたし、新聞も翌日配達地域はなくなりつつあって、遅くではあってもその日の新聞を見ることができるようになっていたからである。目的意識的に見聞きしようとしなくとも、ラジオや新聞を見聞きしていれば自動的に否応なしに目に耳に飛び込んでくる。とすると参考にはするようになる。
 たとえばゆったりした古関祐而作曲のテーマ曲にのせて送られるNHKラジオ第一放送の番組『昼の憩い』(注1)だ。お昼にゆっくり休んでいる農家の人々に日本各地の農村の話題と同時に地域の農作物の生育状況やこれからの天候、注意事項などを伝える。
 何と言っても農業は「おてんとさま次第」、お天道さまのご意向で収量は大きく左右され、お天道様のご機嫌をうかがいながら仕事をやらなければならないもの、といってもご意向、ごきげんを直接うかがうことはできない。 そうなるとやはり天気予報は聞いてしまう。

 やがて、天気予報の精度が高まり、長期予報、台風予報、地域の天気予報の内容も充実してきた。それで、これまでの経験とカンに加えて、天気予報を参考にするようになってきた。
 たとえば低温により農作物が被害を受ける危険性があるという「低温注意報」が流される。冷害におびやかされてきた東北や山間部の農家にとってはこれは大きな問題だ。早速水稲については深水管理の準備をする。
 「霜注意報」で、気温が下がって霜が発生し、農作物が被害を受ける恐れがあるとの予報が出る。そういえば夕空と空気の雰囲気がそうだ、早速野菜の幼苗を稲わらや菰で覆って霜が直接当たらないようにしたり、夜中に畑で焚火をしたりして霜がおりないようにしたりしてそなえる。
 「強風注意報」がでたら、野菜や果樹の支柱を補強したり、早めに収穫をしたりする。たとえ予報通りに強風が吹かなかったとしても、それならそれでもうけもの、それにこしたことはないと考えるようにもなる。
 こうして徐々に天気予報を利用するようになり、その効果をみんな認めるようになってきた。

 台風や洪水の予報、これも聞くようになった。戦後全国各地で何度も台風で大きな被害を受け、それが全国ニュースで流されたので、その怖さを知っているからだ。予報が若干違っても備えあれば憂いなし、台風のコースが予報から外れたらそれにこしたことはない。もちろん、台風がまともに来れば、予報があったとしても手の打ちようがない。それでもその時間帯には外出を避けるようにしたり、家の補修をしたり、玄関の戸や縁側の雨戸に板を打ち付けて飛ばされないようにする等々で、人的物的被害を減少させることができるようになった。
 こうしたなかで天気予報に対する信用度が高まり、農家ももちろん利用するようになった。そしてそれは気象に大きく左右される農業の生産力を高めた。

 もちろん、いかに「天気予報」が正確になっても、それに対応する「技術」が確立していなければ何にもならない。しかし、いかに優れた技術を確立しても、その技術の実践に必要な資材を導入する「資力」がなければならない。さらに、その技術を現場で適用する「労働力」がなければならない。
 一つの例でそれを簡単に説明してみよう。
 夏期の異常な寒冷による冷害の予報がいかに正確になっても、それに対応する技術(たとえば深水管理)が確立していなければどうしようもない。
 しかし、いかに優れた深水管理技術が確立しても、その水を確保して田んぼにいれるための貯水池や用排水路が整備され、また漏水しないような水田になっていなければならない。
 たとえそうした物的基板が整備されていてもそれを活用して実際に深水管理をする人がいなければならない。

 つまり、正確な天気予報、それに対応する的確な技術の確立、その技術の現場での適用に必要な資材の存在、その技術と資材を活用し得る労働力の存在、という四つの条件がそろってはじめて効果的な気象対応ができ、農作物の質量が向上するのである。

 戦後のわが国は、国民的課題となった食糧増産を達成すべく、そのための努力を展開してきた。そして、天気予報の精度向上とその広報、冷害回避を始めとする増収技術の確立、灌漑排水施設の整備、土地改良に努め、生産費を償えるような価格補償を始めとして農家が安心して農業に励むことのできる政策を、十分不十分は別として、展開してきた。
 それも一因となって、60年代後半にはそれまで無理だろうと思われていた主食の米の自給率100㌫を超過達成するまでになった。
 しかし、そのころを頂点としてわが国の農業生産は全体として衰退の方向をたどるようになった。天気予報の精度や伝達速度は日進月歩で進歩してきたにもかかわらずである。
 それを東北地方を襲った80年代前半と93年の異常寒冷気象と稲作被害を例にして次回見てみよう。

(注)
 1949年『農家のいこい』として放送開始、52年から『昼の憩い』となって現在にいたっているが、この番組と放送開始のころの農業・農村とのかかわりについて本稿の下記掲載記事に書いてあるので参照していただきたい。
 11年3月29日掲載・本稿第一部「地域格差是正の進展」(5段落)

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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