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近年の農業・農村と天気予報の利用



             お天気・思いつくまま(9)

        ☆近年の農業・農村と天気予報の利用

 東北地方はいうまでもなく何度も冷害に見舞われてきた。主作物の稲などは収穫皆無になることさえあった。それで冷害に対処するための耐冷性品種の開発、危険分散のための早・中・晩生の品種を組み合わせた栽培、低温がきたときの水管理技術、病害虫防除対策等の確立に力を入れてきた。
 しかし、1970年以降米余りが問題になる中で、自主流通米=うまい米として高く売れるが寒さに弱いササニシキに作付けが集中するようになり、栽培不適の高冷地にまで栽培されるようになった。そこに80年から三年連続の低温が襲った。当然、ササニシキは大きな被害を受けた。
 また低温に対応するための深水管理については、重要だとわかっていても、やれなくなっていた。朝早くマイクロバスに乗って土建の現場に行って働き、夜遅く帰って来ざるを得なくなっていたからである。また、稲刈りを後らせて登熟をよくし、少しでも収量を上げることが考えられるが、早く出稼ぎにいかないと安全操業の働き場所に行けなくなるので、そんなことはできない。
 これでは80年から続いた低温に対応できず、三年続きの不作という結果になった(注1)。

 それから10年過ぎの93年、今度は「百年に一度」と言われるような夏期低温が東北を襲った。当然のことながらこれは大きな被害を与えた。それでも冷害に対応するための「基本技術」をまもった農家は収穫皆無などにならずにすんだと言われた。しかし、基本技術をまともにまもった農家は少なかった。諸物価は上昇しているのに米価は17年前と同じ水準に据え置かれるなかで若者は農業をやろうとせず農外に流出、冷害対策などとる労力はなくなっていたからである。しかも東北の米どころでいえばまだササニシキ中心だった。当然、決定的な打撃を受けた(注2)。
 どんなことがあろうともうまい米ササニシキは売れる、ササニシキで生きていけると豪語する農家もいた東北南部三県の場合などはその自信を喪失、若者の農業離れはさらに拍車をかけられた。
 ちょうどその同じ年にガットウルグァイラウンド締結、米の輸入開始を始めとする農産物輸入自由化の本格化である。これは若者の農業就業の意欲を決定的に喪失させ、農業労働力の高齢化、減少を加速化させた。そして耕作放棄は急速に進展した。

 93年の大冷害、ガットウルグァイラウンド締結からもう四半世紀となる。
 この間、天気予報の情報収集・伝達システムの高度化はさらに大きく進み、その精度は飛躍的に高まったと言われている。私のような素人でもそれは理解できる。
 ところが、こうした天気予報を活用する人が農村部から今いなくなりつつある。農地もなくなりつつある。何ともったいないことだろう。
 こんなことで本当にいいのだろうか。何か悲しくなってしまう。

 もう一方で、天気予報をまったく利用しなくともすむ「植物工場」なるものが未来の農業というような囃子文句で喧伝されてきた。でも、前にも書いたがこれは社会の進歩に逆行していると私は考えている(注4)。
 いうまでもなく農業は太陽エネルギー=気象をいかに利用して農作物をいかに多くしかも安定してつくっていくかを課題としている。
 そのなかに、太陽エネルギーにいかに影響されないで農作物をいかに多くしかも安定してつくっていくかという課題も含まれている。地上に届く太陽エネルギーは不変ではなく変動するものであり、ある年には太陽エネルギーの到達が少なくて異常低温となって農作物が障害を受けたり、逆に異常高温となって水不足になり生育が阻害されたりするので、それをいかに回避し、農作物を安定して収穫するかも課題となるのである。そしてその課題の解決には天気予報の存在は不可欠である。そしてその天気予報の確度とその情報伝達の速度はきわめて重要となる。ということもあって、これまで天気予報の確度とその伝達の速度を高めるために努力が続けられ、先に述べたように大きな成果をあげてきた。
 ところが、最近その成果が農作物生産のある分野で利用されなくなりつつある。太陽エネルギーを利用せず、化石燃料エネルギーや原子力エネルギーのみに依存して温度と光を作り出し、野菜等の農作物を生産する「植物工場」なるものを先頭とする施設栽培の経営では、天気予報などはまったく不必要なのである。生産物の市況を判断するために天気予報を利用することはあろうが、生産面においてはまったく利用しないのである(注3)。また同じ言葉を繰り返したい、本当にそれでいいのだろうかと。

 天気予報と農業、もう一度改めて自然と人間の共同である農業の原点に立ち返り、両者を再結合させ、ともに発展させていく、こんなことはもう夢物語なのだろうか。

 もう一つ、農業にとっての大きな問題は、地球温暖化による近年の気候の変化だ。
 東北、北海道といえば冷害、低温障害にどう対応するかだったが、近年の夏の異常高温は異常ではなくなりつつあり、東北でも高温障害対策を考えなければならなくなっているようだからである。冷害からの脱却、これが東北の長年にわたる課題だったのだが、それが昔話になってしまう、しかもそれは人間の手による地球環境の破壊によるもの、こんなことでいいのだろうか。
 当面は高音障害に強い稲作・農業の確立に東北など北の地域でも努めると同時に、これまでの伝統を引き継いでさらにに低温障害に強い農業の確立にも努め、さらに地球温暖化を食い止める課題にわが国はもちろんのこと全世界挙げて緊急に取り組むようにさせていく必要があるのではなかろうか。事態は切迫しているのだ。

(注)
1.11年8月10日掲載・本稿第二部「転作麦・豆とソバの花」
  11年8月12日掲載・本稿第二部「八〇年冷害」参照
2.11年12月23日掲載・本稿第三部「ササニシキの凋落」(3段落)参照
3.このことについては本稿の下記掲載記事で触れたので詳しくはそれを参照願いたい。
  13年1月10日掲載・本稿第五部「植物工場と資源環境問題」


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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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