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最近の「異常気象」と「災異説」



            お天気・思いつくまま(10)

          ☆最近の「異常気象」と「災異説」

 また家内の話から始めて申し訳ないが(私の最近の人付き合いが、視野がいかに狭まってきているかがおわかりになろう)、家内は夏になると「暑い、暑い」と大騒ぎし、「夏は一番嫌いな季節」とぼやく。その家内が冬になると「寒い、寒い」と騒ぎ立て、「私は夏の方が好きだ」と言う。まったく矛盾しているのだが、本人は前に言ったことは忘れており、何の矛盾も感じない。
 これに対して私は「夏は暑いのが当たり前、冬は寒いのが当たり前」と言う。すると、「あなたは寒い雪国育ちだし、全国一の最高気温の記録を長いこと保持していた暑い山形生まれだから、暑さ寒さに鈍感になっているだけなのだ」と悪口を言って、鬱憤を晴らす。
 そうかもしれないけれども、暑くなければ米はとれないし、雪が降らなければ水不足になる、豊かな日本の農林水産、「豊葦原瑞穂の国」は豊かな四季によって維持されているもの、感謝こそすれ、悪口を言ってはならない。
 こう言うと、それは理屈、暑いのは暑い、寒いのは寒いのだ、身体がおかしくなる、とがんばる。
 そんなことが毎年繰り返されてきたのだが、今年の夏にはまいった。
 各地で最高気温の記録更新が報告されるようになった7月末から、仙台も急に暑くなってきた。ところが何と、それと同時に家内の頼りにしているクーラーが故障で動かなくなった。一方、道路を挟んでお向かいのアパートの各室のクーラーが一斉に屋外に騒音と温風を放出する、家内は暑い暑い、具合が悪いと大騒ぎである。
 何とか七夕の最終日にクーラーを新しいものと交換し、これから家内の愚痴を聞かなくてすむようになった、と思ったとたん、九州、中四国に台風襲来、全国各地で集中的な豪雨、雷雨のニュースが続いた。同時に仙台はそれから連日雨と低温が続き、急に涼しくなった。せっかく新しいクーラーが来たのにである。まったく皮肉である。家内は寒いとまで言う。そしてぼやく、日本の気象はこのごろおかしくなっているのではないかと。

 そう言われてみれば、この夏は、ニュースや天気予報で「記録的な暑さ」とか最高気温の「記録更新」、「記録的豪雨」などの言葉がしょっちゅう出た。これまでの記録を破るような、あるいは記録に値するようなことが最近起きているのだろうか。日本の気象がいや世界の気象がそんなにおかしくなっているのだろうか。
 などと思っているところに先日、「記録的短時間大雨情報」が、たしか三重県だと思うのだが、発令されたとのニュースである。三重県は、日本で最高の年間雨量を「誇る」尾鷲市があるところ、そこで「記録的」とは、また記録を更新するのかと驚いた。そこで「記録的短時間大雨情報」をネットで検索してみた。そしたら何と「大雨警報発表中に数年に一回程度しか起こらないような一時間に100㍉前後の猛烈な雨が観測された場合に気象台から発表される情報」とのこと、思ったよりたいしたことはない(といってもこの情報の発せられた地域は大変、やはりこの情報は流した方がいいのだが)ので安心したが、それにしてもこういう情報、警報をよく聞くようになった。今言った大雨から大雪、暴風、洪水、竜巻等の「注意報」・「警報」・「特別警報」、雷、霜、乾燥、低温、高温等の「注意報」等々、よくもまあこれだけの情報を流してくれるものと驚くばかりである。
 この他に気象庁管轄の自然災害には地震・噴火・津波関連の予報・警報がある。気象庁も大変だ。

 それにしてもこうした予報・注意報、警報が最近多すぎる。しかも「特別警報」も多い。それだけ気象が、地球がおかしくなっているのだろうか。そしてそれは例の地球温暖化、人間のなした技なのか。
 いや、気象学の発達、世界的な気象観測網の構築、コンピューターの性能向上による数値予報インフラの整備、情報収集・伝達システムの高度化で、今までなかった情報まで提供できるようになり、またみんなにわかりやすく危険度を知らせられるようにしようとしただけ、地球環境がおかしくなったからではないのかもしれない。
 しかし、最近の各地での最高気温更新などを見ると、やはり異常なのではないかと考えてしまう。
 いや、そもそも記録は破られるためにあるもの、スポーツなどは毎年のように更新されているではないか、そんなに騒ぐことはないと言われるかもしれない。
 しかし、人間は自らを鍛えるなかでつまり自らを意識的に変えることで記録を更新しているのであり、意識をもたない地球や太陽と比較するのはおかしい。
 いや、人間が気象をきちんと記録するようになってからまだ200年にもならず、その程度の短期間の記録なのだから更新があってもおかしくはない、こうも言えるかもしれない。
 それにしても、1933年7月に山形市で記録された40.8度の日本記録は、2007年8月の岐阜県多治見で40.9度を記録するまで94年、一世紀近くもかかっている。しかるに今回は、その07年からわすが12年の間に7回も記録が更新され、現在は18年7月に埼玉県熊谷で記録した41.1度が最高記録となっている(注1)。
 やはり何かちょっとおかしいのではなかろうか。

 台風や集中豪雨、長雨による水害、地崩れ・山崩れの警報や注意報、その実際に起きた現場の状況等のニュースがたくさん流される。さらに8年前の大地震を始めとする地震、そして津波、それに連動するような噴火による被害も出ている。わが家は今のところ大丈夫だけれどこれからどうなることやら、日本はやはり災害列島、困ったものだと家内はぼやく。
 その通りである。そもそも日本の国土は複雑な地殻変動とアジアモンスーン気象とによって形成されたものであり、地震、噴火、津波、台風、大雨等が多発するのはやむを得ない。これは日本の宿命なのである。しかもそれはわが国の誇るべき多様で豊かな地形地勢を形作っているのであり、感謝しなければならないものですらある(注2)。
 となると、こうした気象、地殻変動による被害をいかに少なくしていくか、被害が起きてしまったらいかにそこから回復していくかがわが国の重要な課題となる。その課題のうちの前者の達成のためにつくられているのが気象庁であり、この活動が被害軽減に大きな役割を果たしていることはいうまでもない。天気予報などはその典型であり、地震・噴火・津波予報等においてはまだまだなところはもちろんあるが、これからも大いに期待したいものである。当然のことながら政府はこの充実整備にさらに力を入れる必要があろう。
 同時に、気象変動、地殻変動による災害があっても被害ができるだけ出ないような対策を講じ、もしも被害が出てしまったらその復旧復興に万全の対策を講じていくことが必要となる。これも日本の宿命(もちろん日本ばかりではないが)である、この点ではたとえば東日本大震災の復興などにはかなり不満なのだが。

 こんな話をすると家内はまたぼやく、そうかもしれないが、それにしても最近はやはり世の中おかしい、猛暑、ゲリラ豪雨、竜巻、落雷、猛吹雪で人が死んだりもする、台風は繰り返し直撃するし、さらには東日本大地震・大津波、熊本や北海道の地震とくる、木曽御岳・口永良部島噴火等々、最近はやはり何か異常ではないかと。

 これに対して私は次のように応じる。
 それは特別警報とか、緊急避難命令とか、記録的、観測史上初めてとか、さらには「注意して下さい」「速やかに全員避難して下さい」とか、ちょっと驚かせるような緊迫した言い方をして注意を喚起するように最近なったことからそう感じるのではないか。
 加えて、自分の住んでいる地域から何百㌔も離れた地域の災害が全国に詳しく報道されるようになったから災害がしょっちゅう起きるようになったと感じてしまうということもあるのではないか。情報網の発達していない昔は知らなかったことが知らされるようになったので、増えたように思えるだけではないか。さらに、報道機関によってだけでなく、一般人がスマホ等で撮った気象被害等の映像をテレビ等の報道機関が全国に放映してくれる時代、生々しい被害状況等の映像が今までより以上に数多く詳しく見られるようになったことから、災害が身近に感じられ、増えているように感じられるだけなのではないかと。

 そう言いながらも、家内と同じように私もやはり異常なのではないかと考えてしまう。
 つい先日も「過去最大級」といわれる台風が首都圏を襲って大きな被害をもたらしている(注3)ときなどは、「失政を行えば 天地即応し 災厄をもたらす」という言葉を思い浮かべてしまった。悪い政治を行うと、天地の神々はすぐにそれに反応し、災害を引き起こす、なるほど、最近のわが国の政治は本当におかしいし、異常でさえある、これが災害を引き起こし、増大させているのではなかろうかと。
 たとえば、石油・石炭エネルギー依存を進めて地球温暖化を引き起こし、それが問題だとわかってもやめようと努力しない政治経済に神は即応し、近年のさまざまな異常気象を人間に与えているのではなかろうか。
 また、都市の異常な肥大化を進めている政治経済に対して天地の神々はヒートアイランドなど新たな気象災害で即応しているのだろう。
 さらに、開発などしてはならない地域や資源を開発(たとえば、ここには家を建ててはならないという昔からの言い伝えを無視して地盤の弱い地帯での宅地開発)している政財界に対しては地滑りや陥没などの災害を増幅することで、熱帯雨林などの開発を進めていることに対しては地球温暖化とそれにともなう気象災害等を与えて、怒りを表していると思われるのだが。
 もう一つ言えば、本来してはならない原発の建設がある。これに対して天地の神々は、津波による被害に放射能汚染という災厄をつけ加えた(一般庶民にそのツケを負わせるのはどうかと思うが)。
 やはり近年の災害は失政に対する神の怒りのせい、異常なのは当然なのではなかろうか。

 ここまで書いてふと考えた、さきほど言った「失政を行えば 天地即応し 災厄をもたらす」という文言だが、いつ頃だれに聞いたのだったか、あるいは何の本で読んたのか、そもそも誰が言った言葉だったのかと。ところがまったく思い出せない。そこでパソコンで検索してみた。しかしそれに関しては何も出てこない。
 困ったときの神頼み、ではなくて私の後輩研究者のST君・NK君頼み(これまで何度となく本稿に登場して助けてもらっている)、早速二人にメールして聞いてみた。そしたら、NK君は「聞いたことがあるような気もするが、定かではない」とのこと、やはり若い人は知らないのだろうか。と思ったら、ST君は「誰が言った言葉なのかはわからない、いろいろ調べたが特定できなかった。ただ、こうした考えは『災異説』といわれるものだと思われる」とのことだった。 
 「災異説」、早速これを検索してみたら、Wikipediaでは「意志をもった天が自然災害や異常現象を起こして人に忠告を与えるという儒教の思想」、goo国語辞書では「中国古代の思想の一つ。国家の政治が乱れると天は何らかの災異現象を起こして地上の統治者を責め、罰を下すという思想」とあった。
 この二つの説明の基本は同じだが、前者は地上の統治者に「忠告を与える」、後者は「罰を与える」、ここに大きな違いがある。どちらが正しいのか私にはわからないが、私はこれまで後者のように解釈してきた。大体において権力者は忠告ぐらいでは何も感じないもの、私としてはやはり「罰を与える」でいいのだろうと思っているからだろう。
 しかし、災害によって被害を受けるのは一般庶民であり、支配者はとくに痛みを感じない、だから罰など与えられたなどと思わないかもしれない。困ったものである。

 安倍内閣はまだ続きそうである。きっとこれからも異常気象、地震・噴火をはじめとする「災異」(=非常の災害、天災地変)は続くだろう。最近の天変地異、これとこれまでの政治経済とのかかわりのことなど今の権力者はまったく考えていないし、憲法改悪に狂奔し、お金持ち優遇、アメリカべったりの政治をこれまで以上に強力に推進いくだけだろうからだ。しかもトランプ旋風はいまだにやまず、それに追随していこうとしているのだからなおのことだ。
 「日々是好日」、なかなかそうはいかず、これからも憂鬱な日々を送らなければならないようだ。あまり年寄りをいじめてもらいたくないのだが。困ったものだ。
(注)
1.一方、最低気温の方は旭川のマイナス41.0度が第一位で1902年以来変わっていない(私の知る限りでだが)。最高気温は上昇しているのとくらべるとこれもおかしい。
2.12年10月25日掲載・本稿第五部「緑豊かな日本の土地と自然災害」参照。
3.2019年9月9日に襲った台風15号。

(追記)
 この記事を掲載した19年10月7日から5日経った12日から13日にかけて東日本太平洋側を台風19号が襲った。大雨特別警報をはじめさまざまな警報が出され、その予測通り各地に甚大な被害を与えた。私の住んでいる宮城県もすさまじい雨と風に襲われた。夜中何度も携帯電話の警報音が鳴り響いた。テレビは避難を呼びかけていた。そのせいもあって人的被害はかなり少なくてすんだのではなかろうか。もちろん被害はすさまじかった。阿武隈川沿いにある家内の実家の周囲も水浸し、床下浸水の被害を受けたという。堤防の整備等で数十年もこんな被害はなかったのだが。
 あるテレビの解説で、海面水温の上昇つまり地球温暖化がこうした大きな被害を与える台風の原因となっているという。ところが各国の政財界はまともに温暖化対策に取り組んでいない。わが国の環境相などは「気候変動対策はセクシーにやらなければ」などという始末である。それに対する天の怒りがこうした形をとって現れているのだろうか。しかし、被害を受けるのは一般庶民で、政財界のお偉方は何の痛痒も感じない。
 また同じ言葉を繰り返さざるを得なくなってしまう、「困ったものだ」。この後に付け加えたい、「天に代わってみんなの力で、何とかしようよ」。    (19年10月13日記)
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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