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「方言」詩と地方差別



           「日本で一番最後に電灯のついた村」にまつわる話(2)

                ☆「方言」詩と地方差別

 前回紹介した二葉君の詩、これを見つけてくれたST君から次のような質問があった。
 「いい詩だけど、当時の教育は詩や作文のなかでいわゆる方言を使うことを許したのか」。
 もっともな質問である。いわゆる方言は汚いもの、間違っているものとして作文などではもちろん普通の会話のさいも学校内で使うことがかつては厳しく禁止されていたからである。
 そういうことからすると、前回述べた二葉君の詩などは訂正を迫られただろう。それどころか突き返されたかもしれない。作文や詩は教科書に書いてある模範例のような「きれいな」ものであるべきで、生活の不満やいやなこと、汚いことなど書くものではない、ましてや汚い言葉=方言を使うなどは言語道断とされていたからである。
 ところが前回紹介した二葉君の詩は高く評価され、本にまで掲載された。それは戦前から戦後にかけて展開された生活綴り方運動、北方教育運動(注1)の影響がこの学校の先生方にあったからではなかろうか。

 生活綴り方とは「自分自身の生活や、そのなかで見たり、聞いたり、感じたり、考えたりしたことを、事実に即して具体的に自分自身のことばで文章に表現する」(注2)綴り方を言うのだが、この『自分自身のことば』のなかには当然地域の言葉いわゆる方言も入る。しかし、他の地域の人にはいわゆる『標準語』でなければ伝えられないことがある。したがって綴り方は標準語で書くのが普通となる。とはいっても、地方にいる子どもたちは通常いわゆる『方言』で考えており、自分の気持ちや情景を方言でしか表現できないことがあり、地域独特のいい言葉もある。そのときには自分自身のことば=方言を使うことはこの運動では認められあるいは推奨されていた。ただしそうすると他地域の人がどうしてもわからない言葉が使われることもある。そのときにはその箇所に()もしくは注釈をつけ、それと同じ意味の共通語をそこに書いてわかるようにした。
 ただ、この二葉君の詩を掲載した『開拓の子ら』の冊子は県内向けを主にする出版物だったので、読者はみんなわかるものとしてとくに注釈などつけなかった、翻訳しなかったのではなかろうか。

 ところで今「標準語」・「方言」という言葉を使ったが、私はそれを『共通語』・『地域語』といつも書かせてもらっている。また各地の言葉は秋田弁とか薩摩弁とか「弁」という言葉をつけているが、これは秋田語とか薩摩語(あるいは鹿児島語)というように地域名の後に『語』をつけさせてもらっている。
 その理由は次のとおりである。
 いうまでもなくわが国には各地に長い歴史を通じて培われてきた多種多様の独特の言葉がある。そのなかには他地域の人々に理解してもらえない独自の言葉もあり、逆に自分にはわからない他地域の言葉がある。そのそれぞれの言葉で話しても相互に理解しあえない場合があるので、全国に共通する言葉、共通語が必要となる。それで形成されたのが今私たちが共通の言葉として使っている日本語なのだが、それは一般に「標準語」と称され、正しい言葉、きれいな言葉とされてきた。そして各地で伝統的に使われている独自の言葉は「方言」と呼ばれ、それは標準語がなまった「標準以下の言葉」、間違った言葉、汚い言葉とされてきた。しかし、各地の独特の言葉=「方言」なるものは標準語がなまったわけでも、間違って使われてきたものでもなく、単に違っているだけなのにである。そもそも標準語なるものは地域語の後に人為的につくられたものなのである。にもかかわらず、地方(そのほとんどは農山漁村だが)の言葉は汚いものとして中央=東京の人々は嗤い、学校では子どもが「方言」を使うと先生に怒られ、共通語の使用が強制されてきた。ここには地域格差どころか差別があった。
 この標準語の「強制」=方言の「矯正」については前にも述べた(注3)ので省略するが、とくに沖縄と東北でひどかった。「矯正」という言葉は非行少年に対してよく使われていることからすると沖縄や東北の子どもたちは非行少年扱いだったようである。アイヌ民族の子どもたちの場合などは民族の言語を奪われてさえきたのだが。

 東北地方の言葉、地域によってかなり違うが、大体わかる。でも、ほとんどわからない言葉もある。それは津軽語だ。とくにお酒の席で津軽語で話されるとまったくわからない。でもあの津軽語の響きは、津軽三味線の響きとともに私は好きである。いつだったか、もう何十年も前のことだが、たまたまテレビをつけたら、高木恭三さん(注4)が自分の詩を詠んでいる映像が出てきた。何という詩だったのか覚えていない、わからない単語も多々ある、でもそのイントネーション、言葉の響きは私の胸を締め付けた。そのうち私の目がうるみはじめ、涙が頬をつたってきた。
 津軽語だけではない、東北地方の言葉だからではない、それぞれの地域語にそれぞれのよさがあり、歴史と文化がこめられている、それが心をうつのではなかろうか、そんなことも考えさせられた。

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を岩手県出身の女優・ 長岡輝子さんが自分の言葉=岩手の言葉で朗読したのを聞いたことがある。心に染み入った。
 日本国憲法の前文を方言=各地の言葉で読む、こういう試みもあり、そのうちのいくつかの地域の翻訳を聞いたことがあったが、とっても楽しく、説得力抜群だった。もっと別のいい表現が、ふさわしい言葉が地域にあるのにと翻訳に不満をもった方も、なかにはおられるかもしれないが。

 いうまでもなく各地の独特の言葉も日本人のつくりだしたものである。とすれば地域の言葉も日本の言葉である。一方、言葉は文化の基礎である。とすれば地域の言葉は地域の文化であると同時に日本の文化でもある。
 その地域の言葉を卑下し、禁止することは、地域のそして日本の文化、伝統の否定であり、その豊かな発展を阻害するものである。そして地域語を抹殺してしまい、「標準」なる一つの型にはめることは豊かな日本語を貧しいものにする。
 そして地方を差別をすることにもなる。実際にそうしてきた。
 こうした問題を引き起こす一因が「標準語」、「方言」、「弁」と言う言葉にあるのではなかろうか。だから私はその言葉を使いたくない。それで「共通語」、「地域語」、「(地域名)語」という言葉を勝手に使わせてもらっているのだが、そのことをいちいち説明しなくとも言葉の意味は通用するし、わかってもらえるので、安心して使っている。

 こうした学校教育における地方差別、もう一つ、驚くべきことがあった。言葉の問題どころではなかった。次回述べることにするが、地方には小学校教育を受けることができない地域さえあったのである。。
 
(注)
1.17年8月7日掲載・本稿第九部「山村の貧困と修学旅行(付記)」参照。
2.「生活綴り方運動)とは、コトバンクkotobank.jp/word/ 生活綴方運動、「日本大百科全書(ニッボニカ)の解説」より引用
3.17年10月16日掲載・本稿第九部「「授業進展度と『言葉』の地域差」参照。
4。津軽語での詩を多数創作し、その詩はその朗読と共に高い評価を得た。代表作「まるめろ」は海外でも翻訳されているとのことである。

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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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