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戦後も残った照明の地域格差




          「日本で一番最後に電灯のついた村」にまつわる話(4)

              ☆戦後も残った照明の地域格差

 これまで取り上げてきた葛巻町毛頭沢(けとのさわ)集落だが、葛巻町出身のNK君に聞いたら、ここは町の北西部の山中にある既存の集落とその奥に入植した開拓地とからなり、その地域の子どもたちはみんな冬部小学校毛頭沢分校に通い、中学校になると家から歩いて冬部中学校に通っていた(冬季間は中学校近くの寮に寄宿)とのことであり、この集落全部がかつては無点灯地区だった。

 この集落の点灯に関するST君の疑問はもう一つあった。
 「江戸時代にすら『行灯』等があったのに昭和30年代にいろりでしか灯りをとれなかったのは、『ろうそく』等が貧しくて買えなかったと言うことなのだろうか、『いろり』からいきなり『電灯』というのはやや飛躍があるように思えるのだが」
 この問いに私は次のように答えた。

 そもそも江戸時代の一般の農家は囲炉裏に炊事・暖房・照明の三つの機能を持たせていたが、その照明ではいろりに面した人の顔や姿が見える程度で、とてもじゃないが不便だった。
 そこでやがて小皿に油を注ぎ、そこに芯を入れて外に垂らし、その芯に火をつけて灯りとするようになった。
 行灯は、この小皿(燈明皿、火皿、油皿などと呼んだようである)の周囲を立方形や円筒などの形の框に紙を貼って風のために火が吹き消されたりしないようにしたものであるが、一般庶民には高価で買えず、蝋燭も高価なので特別のとき(たとえば外出で提灯を使うとき)に使う程度だったようである。
 明治に入るとランプが使われ、農家など一般庶民も使うようになったが、貧しい農家や山間僻地などのなかにはランプを買えない家もあった。とくに岩手の山間部などでは高冷地からくる農業生産力の低さ、炭焼き中心、それに加えて名子制度というきわめて古い土地所有形態の残存等々のためにランプを買えないものがほとんどだった。
 一方、戦後、山間僻地に緊急入植させられた開拓農家の場合、補助融資は出ても最低限の食費すら賄えない程度なので、照明用のランプや油、蝋燭など高価でしかも交通不便で入手が難しい。緊急事態の時のために蝋燭と提灯をおく程度、木の根っこだけは開墾でたくさん出る、それを燃やした囲炉裏の火の明かりを照明に使うしかなかった。それを詩ったのが前に紹介した二葉石蔵君の詩だった。
 そしてそれが、後に述べるような戦後の民主化運動、地域格差是正の声の高まりによって、やがて囲炉裏の灯から電気の灯へと一挙に飛躍した、こういうことなのではなかろうか。

 こうST君に答えたのだが、それがどこまで正しいか確信はない。それでも、戦前から戦後にかけて私の生家にあったいろりの明かり、戦後の停電頻発に対応して生家で用いた蝋燭・油皿・ランプの明かりの生活の体験(本稿の第六部で詳しく述べているので参照されたい)(注1)などからして、私の説はほぼ間違っていないと思っている。

 こんな論議をしている過程で、またST君が面白い研究論文(注2)を見つけ出してきた。
 それによれば、1953(昭28)年、北上山地の東北部にある岩手県山根村(現久慈市)の総戸数380戸すべてに電気がまったく通じておらず、そこに近接している有芸(うげい)村(現岩泉町)は87%、山形村(現久慈市)は85%の戸数が未点灯だった(注3)とのことだった。前々回述べた「日本で一番最後に電灯がついた村」のある葛巻町は29%の未点灯だったからまだいい方だったのである。
 驚いた。戦後8年も過ぎ、都市ではテレビ放送が始まりつつあったのに、いまだ電灯やラジオの恩恵すら受けることのできない地域、家々がこんなにあったのである。こうした地域は、岩手ばかりでなく、全国各地の社会的経済的条件の悪い農山漁村の各所にあったのではなかろうか。

 当然のことながら住民はこんな状態から脱却したかった。人並みの生活をしたかった。しかし電信柱を建てて電線を引くお金がない。
 金のないのは町場の庶民でも同じだと言われるかもしれないが、都市部であれば人口が多く、家々が密集しているので、みんなで負担すれば一戸当たりの費用は安くなる。だから何とかひけるし、電力会社も採算がとれるからやろうとする。
 ところが山村となると集落は分散しており、家々もまばら、そこに電気を通すとなると電信柱をたくさん建て、電線もたくさん引かなければならない。にもかかわらず利用戸数は少ない。受益者負担となれば一戸あたりにすると莫大な金になる。当然そんな金は山間僻地にはない。
 電力会社が費用を出せばいいといっても、山間の不便な遠いところまで電信柱を立て、電線を引いても、つまり金をかけても、わずかな戸数からしか電気料金が得られない上に保守管理にも金がかかるので、やりたがらない。家屋密度の相対的に高い投資効率のいい集落にはもちろん積極的に配電しようとしたろうが。

 公共的性格をもつ電化が、利益を求める私的企業により担われているため、利益の得られそうもない地域では進まず、社会的文化的経済的な地域格差はさらに拡大されたのである。

 話は今のことになるが、いうまでもなく水道も公共的性格をもつもの、それが今国会の改正水道法で民営化が可能になったとのことだが、何でもかでも民営化=もうけの種化、世の中どうなっていくのだろうか。最近のことでいうと、私の住む宮城県は水道民営化の先頭を切ろうとしている。新自由主義の限界が世界的に明らかになりつつあるのにいまだに民営化は何でもいいこととして大企業にもうけの種をさらに供給しようとする、私たちの命の水まで提供する、時代逆行には困ったものである。
 それぱかりではない、大学入学共通テストで英語に民間試験を導入する、こんなところまでももうけの種として企業に提供するという、一体何を考えているのか、何をとち狂っているのか、トランプを見習っているだけなのか、よくわからない。
 まさに世も末、もうあきらめて年寄りは早く死ねということなのだろう。

 と、ここまで草稿を書いた19年10月下旬のことである、大学入学共通テストに導入しようとしている英語の民間試験に関わって、萩生田文相が受験生は「身の丈に合わせて」受験せよと発言したとのニュースが流れた。農山漁村のような交通不便な地域や貧乏な人の子どもには憲法二十六条のいう「その能力に応じてひとしく教育を受ける権利」はなく、その「身の丈」つまり身分にあうような教育しか受ける権利はないのだというのである。この考え方を敷衍すればその昔の毛頭沢(けとのさわ)集落のように遠距離のために学校に行けない子どもがいても当然ということになる。
 さすがにこの発言、この差別意識は世論の批判を浴び、撤回した。
 しかし、こういうことを言う人が文部科学大臣か、総理大臣の側近として権力を振るっているのかと思うとぞっとする。これからの子どもは、農山漁村は、そして日本はどうなるのだろうか、戦前からこれまで蓄積してきた民主主義はどこに行くのだろうか。暗澹たる思いになる。私たち昭和前半世代は一体何をしてきたのだろうか、責任は私たちにあるのだろうか。何かむなしい。。
 そんなことを考えていたら、文部省は民間試験の実施の延期を表明した。こうさせたのはまさに世論の力、何か光がみつけられたような気がする。ここに期待したいのだが--------。

(注)
1.13年11月7日掲載・本稿第六部「光源―火から電気へ―」参照
2.西野寿章「戦後の岩手県における山村地域の電化過程についての覚え書き」、『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)第19巻第4号、2017年3月。
3.一町村の戸数が非常に少ないが、昭和の大合併(1954年)以前の市町村の規模は全国どこでもきわめて小さかった。
4.西野寿章「前掲書」193~194頁。
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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