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消したくない「ポツンと一軒家」の灯

 


        「日本で一番最後に電灯のついた村」にまつわる話(6)

           ☆消したくない「ポツンと一軒家」の灯

 『ポツンと一軒家』というテレビ番組がある。かなりの人気のようだが、私も偶然見てから病みつきになり、チャンネルを回すようになった(物忘れが激しくなって見るのを忘れることがしばしばあるが)。
 一年くらい前になるだろうか、ある晩、それを見ようと思ってチャンネルを合わせた。そしたら、車が通れる道もないような山の中の地域に建つ一軒家が出てきた(後で考えてみると、この番組の前にある『ナニコレ珍百景』の番組の一場面だったのかもしれないのだが、よくわからない)。そこには都市から移住してきたという30歳代の人が住んでいた。買い物に行くのに歩いて1時間以上かかると言う。テレビ局の番組担当者が驚いてこう言った。
  「不便でしょう、大変ですね」
 そしたら、何でそんな質問をするのかというような不思議そうな顔をしながら彼はこう答えた。
  「とくにそんなことを感じません。東京にいるときは毎日朝晩それぞれ一時間通勤電車で通っていたのだから、あまり変わりありませんよ」

 なるほど、そう言われてみればそうかもしれない。
 満員電車の人いきれのなかで身動きもできずにもまれながら片道1時間も立っているのとくらべたら、さわやかな緑を眺めながら、新鮮な空気を吸いながら、鳥の声や木々のささやきを聞きながら歩く1時間は楽なものだ。どれだけ健康的か、人間的か。
 都会の人間も時にはそこから抜け出したくなるのだろう、たまにピクニックや登山をする。しかしそれも大変だ、お金をたくさん使って満員電車や道路渋滞にまきこまれ、疲れがとれるどこかかえってたまる。
 一体どっちが幸せなのだろう。

 NK君の生家のある葛巻町T集落の場合は小学校まで歩くと普通の道路で1時間、山の中の近道を通っても45分かかるという(注1)。これは片道の時間、子どもの足で往復約2時間、これが通学時間である、ただただ驚き、一瞬呆然とし、続いてあまりのことに笑ってしまうしかなかった。こんな不便なところ、子どもにはかわいそうである。
 しかし、NK君のお父さんたち、敗戦前後生まれの世代までは、歩いて通っていた。とくにつらいとも何とも思わなかった、そんなものだと思っていたという。
 集落の子どもたち、同級・上級・下級生といっしょに行き帰りにおしゃべりしたり、何か動物を見つけていたずらしたり、道ばたの葉っぱを採って何かつくったり、この葉っぱには触るな、この実は食べられるぞと教えたり教わったり、あるときは歌ったり、競走したり、かくれんぼをしたり、たまにはけんかしたり、みんなと悪さをしたり、道草をくったりしながら通う、これも楽しかったという。

 この話を聞いたとき、ふと最近の東京の夜9時ころの電車のなかを思い出した。
 通勤帰りの客といっしょにたくさんの子どもたちが乗っている。塾帰りなのか、何かのお稽古事の帰りなのかよくわからない。立っている者もいれば座っている者もいる。電車の外も見ずに、友だちとおしゃべりもせずに、スマホに向かっているか問題集(だろうと思う)をひろげている。電車から降りたらバス乗り換えだろう。バスを降りてまた歩いて家にたどりつく。学校が終わって家につくまでどれくらいかかるのだろうか。もう夜中になっている、夜道は大丈夫だろうか。食事はどうしているのだろうか。これで楽しいのだろうか。余計なお世話かもしれないがついついそんなことを考えてしまう。

 昔の山村の子どもたちにとって通学時間は近所の友だちとの遊び時間であり、年上から年下までいっしょに協力して過ごす時間、生きる知恵を学ぶ時間だった。今の大都会の子どもたちにとって通学時間は、学習時間の延長であり、一人遊びの時間である。どっちが人間的なのか。子どもにとってどっちが楽しいだろうか。生きる知恵をどっちが得ているか。
 乗り物は楽、歩くのは大変、歩かされる子どもはかわいそうだ、こういう先入観でものごとを見るのは間違いなのではなかろうか。

 だからといって、山村の暮らしはすべていいとか、山村の子どもは歩かせるべきだなどというつもりはもちろんない。受験勉強や部活をする時間、家にいて本を読んだり、テレビを見たりする時間、家族といっしょに過ごす時間はもっとあっていい。そのためにバス路線を走らせ、あるいはスクールバスを走らせる等、公的に支援をしなければならないことはいうまでもない。
 ましてや山村の道路には危険もある。都市にはない獣害、自然災害等に遭う危険性がある(最近はイノシシやクマが街の中を散歩する時代、都市と山村はあまり変わりはなくなっているようだが)。しかも今は車社会、農山村でも都市と同じような事件は起きる。過疎化で人の目が昔より少なくなったからなおのこと危険だ。笛を吹いても人がいないので助けにきてもらえない。スマホを持たせても連絡できない場所もある。なおのこと公的な支援が必要となる。

 NK君の子ども時代、1980年代にはさすがに小学校への徒歩通学はなくなっていた。朝一本だけ通る路線バスに集落の子どもたちが全員(10人)乗って通い、帰りは親から自家用車で迎えに来てもらっていた。車が来るまでは校庭でサッカーやドッジボールなどをして遊び、同じ方角の子どもが居合わせたらいっしょに乗って帰った(注2)。
 でも、親が忙しいときなどたまに歩いて帰らなければならないことがあり、そのときには兄弟や帰りの方向が同じ生徒といっしょに帰った(その途中でカモシカに遭遇したこともあったという)。

 車社会の進展が子どもたちの通学時間を減らしたのだが、いうまでもなくこれは非常にいいことである。しかし、学校を卒業した若者はその車に乗って大都会に出て行ってしまった。そして帰って来なかった。
 それから40年、かつて20戸あったT集落は現在15戸になっており、10戸になるのはもうすぐだという。学校に通っている子どもはたった1人になってしまった。若い人たちもいない。やがて通学する子どもは1人もいなくなってしまうだろう。
 
 NK君に聞くと、前回述べた葛巻町毛頭沢(けとのさわ)分校は89年に廃校になったとのことだ。毛頭沢(けとのさわ)から東に一山超えた隣の吉ヶ沢小学校は1学年1人、計6人にまで生徒数が減ってしまったので今年度で廃校だそうである。

 やがて農山村で子どもたちの通学手段など心配することはなくなるのかもしれない。家がなくなり、子どもがいなくなっているからだ。
 農林業では食っていけない、かつてあった誘致企業もみんな海外に行ってしまった、山間地などに来てくれる企業などない。まともな働き口もない上に公共交通機関はない、医者はいない、近くには買い物ができる店もないとくるものだから若者はだれも地域に残らない、当然子どもはできない、一方働き口もなくて残された年寄りはぽつりぽつりと欠けていく、そのうち集落は「ポツンと一軒家」になり、電灯が一つポツンとついているだけになり、それもやがては消えていく。苦労してようやくつくようになった電灯が見えなくなる。何千年、何百年の歴史が、蓄積された文化が草木に埋もれ、電灯とともに消えていく。日本人の故郷がなくなっていく。人が住まなかった大昔に還っていく。
 何とかこの動きに歯止めをかけることはできないだろうか。

 せめて「ポツンと一軒家」がなくなる前に、この集落にどのような人が住み、どのような暮らしをしていたのか、そもそもいつごろから集落が始まり、何戸の農家がどういう農林産物をどのような土地でどのようにつくっていたのか、どのような食べ物を食べ、どのような住まいに住んでいたのか、独特の地域語、昔話や唄、踊り、民芸品、道具、行事等々があったのか、それがどのように変化し、なぜどのようにして消滅していったのか、それを調べて残しておく必要があるのではなかろうか。 「ポツンと数軒家」も同じこと、「ポツンと一軒家」になる前にやっておく必要があろう。といってもその昔を知る人は少なくなっており、もう遅いのかもしれないが。

 もちろん、「ポツンと一軒家」のなかには、集落が解体して一軒家になったのではないところもある。その昔信仰でつくられたところ、山村に住みたくて一軒家をつくったところ、多種多様であり、それはそれとしておもしろいと私は思うのだが、そもそもテレビ番組『ポツンと一軒家』の人気はどこから来るのだろうか。

 都市に住む人々の場合、なぜあんな山の中に一軒だけ残っているのか、寂しくないのか、どういう変わり者が住んでいるのか、こんな好奇心、物珍しさ、変わり者見たさからだけ見ているのではないと思う。
 できたら農山村に住みたい、塵埃にまみれた都市から緑豊かな山村で誰にもわずらわされることなくゆったり生きてみたい、そんなあこがれ、願望が心のどこかにあるから見ている人もいるかもしれない。
 それに加えて、ほとんどの日本人のそもそものルーツが農山村にあることからもきているのではなかろうか。自分が、あるいは自分の二、三代前が農山村出身、その出身地の集落が一軒家になっていく、やがては消え去るだろう、自分のルーツがなくなる、そのなかで一人がんばっている、その姿を見てほっとしたいのではなかろうか。
 やがてその一軒家もなくなるかもしれない、自分はそれに対して何もすることはできない、せめてなくなる寸前の一軒家の姿だけでも目に焼き付けておきたい、せめて「ポツンと一軒家」の電灯だけでも消えずに残ってほしい、何も応援はできないけれど頑張ってほしい、そんな願いを込めて見ている。そんな人もいるのではなかろうか。

 いうまでもなく大都会は大都会で肥大化する中でさまざまな問題を抱えるようになっており、こっちはこっちで考えなければならないことは多々あるのだが。
 
 NK君がこんなことを言ったことがある。
 「大都会、電灯の数こそ数多あるかもしれませんが、精神的『ポツンと一軒家』になっている人々も多いかもしれないですね」。
 これに付け加える言葉はない。何ともさびしい世の中になったものだ。

(注)
1.当時は小学校と中学校は同じ場所にあったとのことである。
2.NK君の子どものころには中学校は小学校と別の場所に建てられており、歩けば一時間半くらいかかるところにあるが、路線バスで通学していたとのことである。

(第十部もかなり長くなったのでこれで閉じることにし、次回からは第十一部として書くことにする)。

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コメント

[C85] 第十部おつかれさまでした!

これからも楽しみにしています!
  • 2019-11-18 12:19
  • くもり
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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