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医療費と保険料



            高齢化と医薬の今昔(3)

             ☆医療費と保険料

 前回述べたように手術は無事終わった、問題はその費用の支払いだった、などと言わなくともいい。保険があるからだ。とはいっても、今回の手術にあたって家内はそれなりのお金を準備していった。手術が終わって待合室に戻り、会計をしてきた家内が笑いながら言う、こんな金額でいいのかなと。短時間ではあれ、あれだけの手術をやったのにである。もちろんこれを10倍すれば、つまり無保険であれば、それなりの金額にはなるが、後期高齢者のためその一割ですむ。4年前に2ヶ月入院したときも、昨年手術で入院したときも、まともに全額払っていたらわが家の家計はかなり切り詰めなければならなかったと家内は国民健康保険と現在の制度に感謝していた。私の現役時代に給料から差し引かれる共済保険料は高い、病院にはほとんど通っていないのになどと家内が冗談交じりに言っていたこともあったのだが、それを何十年も払ってきたかいがあったともいう。これは私たちばかりではないだろう。国民皆保険であるためにみんなその恩恵を受けている。
 この保険制度のできる前は、貧乏人は医者に治療をしてもらいたくともできなかった。そのためにいかに悲しい辛い思いをしたかについては前にも述べた(注1)が、戦後の民主化はそうした問題を解決してきた。とりわけ、国民みんなが相互扶助の精神に基づいて保険料を出し合い,安心して医療が受けられるようにする国民皆保険体制の確立は大きな役割を果たした。それが現在の長寿社会の一つの背景になっており、私もそれでここまで生きてこられたのである。
 ところがそれでは困ると思っている人もいるようだ。

  いつごろからだったろうか、もちろん後期高齢者になってからだが、毎年「後期高齢者医療費連合」なるところから「医療費のお知らせ」なるものが郵便で届く。中をあけると、最近6ヶ月の間にどこの病院で診察を受け、いつどれだけの医療費を使っているか、そのうち自己負担額はどのくらいかが書いてある書類が入っている。何のためにこんなものを送ってよこすのか、こちらは税金申告のさいに必要となるかもしれないと思って受領証を保管しているのにと思って、送る趣旨をみてみると「医療機関からの請求内容に間違いがないか確認し、制度の健全な運営を図る」ため、「請求誤りや不正な請求発見のため」だとある。
 しかし、と考える、もしも確認してくれというのなら「医療費のお知らせ」ではなくて「医療費確認のご協力のお願い」だろうと。そして全員でなくてもよく、抽出調査でもよいはずである。
 そんな疑問をもって見ていると、末尾にこんなことが付け加えてあった、「自分がかかった病院や病気を確認し、健康管理に活用してください」と。これまた頭にくる。
 わざわざこんなお知らせが来なくとも、みんな自分の病気や病院は知っているし、老人の場合はなおのこと何とか健康で生きたいと努力し、健康管理はそれなりにしているのだ、だから医者にもかかるのだ、よけいなお世話だと言いたくなる。物忘れが多くなる年齢なので忘れないように知らせるためなのかもしれないが、もらったのすら忘れるお年頃、そんなことをしても無駄というものだろう。
 また、医療費控除の申告手続で医療費の明細書として使用することができるから利用してくれとも書いてある。しかし、一年すべての明細書ではなく、何ヶ月間かのものでしかないので、結局は医療機関や薬局の明細書が必要となり、それほど役に立たない。結局は利用しないで終わってしまう。

 なぜこんな「お知らせ」なるものに金を使うのだろう、これは無駄金ではないか。これだけおまえには金がかかってるんだぞ、医者にそんなにかかるな、もしもかかりたければもっと保険料を出せと言わんばかりである。

 そもそも「後期高齢者医療費連合」なる組織がどういう仕事をするところかよくわからない。パソコンで検索してみたら、後期高齢者医療制度は各都道府県の広域連合と市区町村とが連携して事務を行うものであり、広域連合は後期高齢者医療にかかわる財政運営、資格の認定、被保険者証等の交付、保険料の決定、医療給付の審査・支払い等を行い、市町村は後期高齢者医療にかかわる各種届出の受付や被保険者証等の引き渡し等の窓口業務、保険料の徴収を行うのだということである。でも、今述べた広域連合なるものの仕事は都道府県でやればいいことだし、なぜ別個に連合なるものを組織するのかがよくわからない。高級官僚の天下り場所としてつくったのではないか、何かしているということを示すために先ほど述べたような「医療費のお知らせ」などを出しているだけなのではないかなどとついつい考えてしまう。これも年寄りになった証拠、年寄りのひがみ根性からくるのかもしれないが。

 こんなひがみっぽいことを言いたくなるのも、高齢者は保険で優遇されている、それで若い世代は将来大変な思いをすることになる、こんな宣伝をして世代間対立をあおり、保険料を引き上げようとしているからだ。
 最近も経団連は経済構造改革に関する提言なるものを発表し、そのなかで社会保障 制度を「改革(=改悪)」しろと言っている。世代間の公平性を計るために(という言い方で若者に不安と不満を抱かせながら)高齢者の費用負担を増やす、75歳以上の患者負担を1割から2割へ引き上げ、介護保険の利用者負担が2割となる人を増やすなどして医療・介護の給付範囲を切り縮める等々、高齢者の「健康で文化的な生活」の維持を困難にしょうとしているのである。
 そればかりではない、これまでの社会保障政策を大幅に改悪しようとしている。

 アメリカに留学した経験のある人は異口同音に言う、「アメリカで病気になったら飛行機を使って往復してでも日本に帰って病院にかかった方がいい」と。いかに日本の国民皆保険制度がすばらしいものかを示すものといえよう。アメリカでもこうした問題を解決すべく、前のオバマ政権の時に国民皆保険を実現しようとしたが、保険会社や保守派の反対等でうまく進まないでいる。それどころかアメリカの保険会社は日本への進出を困難にしている日本の国民皆保険制度を弱体化させようとしている。それに対応するかのごとく、保険などに左右されず高価な薬や丁寧な診察治療をやってもらえるように自由診療にせよなどと言う人も一部にいるようだ。当然それはお金持ちだが、内外のとくに日本進出をねらうアメリカの巨大保険会社の強い要求でもある。こうしたお金持ちの仲間の一人であるトランプ大統領と「お友だち」であることを誇り、アメリカのいうことには何でもしたがう安倍政権のこと、褒められたくて自由診療にする、そんな危険性が十分にある(注2)。そんなことになる前に、みんなにあまり迷惑をかけなくともすむうちに、この世から去りたいものだ。

 それはそれとして、ときどき感じるのは、医院で払う診察料に対して薬代が高いことだ。手術とか入院とかの時は別にして、病院の診察費はかなり安い。内科医院で診察を受けるだけなら110円(初診のときは別)、薬の調剤をしてもらえば190円だが、その薬を実際に調剤してもらう薬局に支払う薬代、これはかなり高い。保険が適用されていてもだ。私などはまだいい方で、前に書いたように馬に食わせるほどの何種類もの大量の薬をもらっていく人がかなりおり、びっくりするほどお金を払っている人もいる。医者から直接薬をもらったころは待合室がかなり混んでおり、もらっている薬の量や支払っている細かい金額などは目や耳に入らなかったので、そんなことはあまり気にならなかったのだが。薬局から薬をもらうようになってからそんなことが気になるようになった。
 それはいつごろだったろうか。医院から直接ではなく「薬局」なるところから薬をもらうようになってからだったと思うのだが。また、お薬手帳なるものをもつようになったのはいつごろからだったのだろうか。
 「薬屋」の看板があまり見られなくなり、かわりに「薬局」なるものの看板があちこちで見られるようになり、もう一方でドラッグストアなる巨大な薬屋が出現したのはいつごろからだったのだろうか。長い間生きているといろんなことがあるものだが、ともかく大きく変わった。そんなこともふと気になった。そこで次回は薬屋、薬局についてその昔を思い起こしてみることにしたい。

(注)
1.その一例が下記の本稿掲載記事に書いてあるので参照していただきたい。
  10年12月4日掲載・本稿第一部「戦後東北農業の原点」(1段落)
2.保険制度改悪の問題に関しては本稿の下記掲載記事で詳しく述べているので参照されたい。
  12年9月21日掲載・本稿第四部「内外の富裕層のための医療の勧めと農山漁村」
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プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

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