Entries

次三男・女子労働力の流出



            高度経済成長前夜の東北(3)

            ☆次三男・女子労働力の流出

 1950年代の朝鮮戦争特需から始まる好景気などで日本経済は55(昭和30)年頃に第二次大戦前並みの水準にまで回復した。それに対応して労働力の需要が少しずつ拡大し、農家の次三男や若い女性の就業機会も増えてきた。それで学校を卒業したらすぐに大都会で就職できるようになった。しかし当時の交通事情からしてまた都市に不慣れな中学を出たばかりの子どもが一人で大都会に出て行くのは大変である。これをより円滑に進めようとして1954年に始まったのが集団就職列車であった。もちろん、高卒者などがとくにそうだが、この列車を利用しないで個人的に都市の就職先へと向かったものも数多くいた。そして中高卒者はやがて「金の卵」ともてはやされるようになった。高度経済成長を支える労働力として重視されたのである。
 こうして農村部の次三男や若い女性の口減らしは今までと違って容易にできるようになってきた。

 ちょうどその頃、当時トップクラスの流行歌手だった春日八郎は、村はずれの『別れの一本杉』の「石の地蔵さん」のところでなげく若者を次のように歌った。
  「泣けた泣けた、こらえきれずに 泣けたっけ
   あの娘(こ)と別れた 哀しさに………」
 守屋浩も『僕は泣いちっち』で歌った。
  「僕の恋人 東京へ行っちっち
   僕の気持ちを知りながら………
   僕は泣いちっち 横向いて泣いちっち 」
 さらに藤島桓夫はリンゴ畑で『お月さん今晩は』とお月さまに口説く若者を歌った。
  「可愛いあの娘は 俺らを見捨てて
   都へ行っちゃった」
 まさにこれらの歌のとおりその頃から村に若い女性がいなくなり始めた。流出先は、最近の映画『三丁目の夕日』の堀北真希のような零細工場の女工か、食堂や理髪店などの住み込みの店員であった。よくて『東京のバスガール』だった。
  「紺の制服 身につけて………
   発車オーライ
   明るく明るく 走るのよ」
 コロムビア・ローズが明るくも何ともない短調のメロディでバスガールをもてはやした。

 女性がいなくなっては男性だってたまらない。
 しかも彼女らはなかなか帰ってこない。かつてであれば都市に働きに出た女性の一部は帰ってきた。年季奉公が多かったからだ。そして村や町の青年と結婚した。しかし当時は年季奉公のような前近代的雇用関係から近代的な雇用関係に移行しつつあり、簡単に首切れなくなっていた。だから村に帰らない。娘たちも帰ろうとしない。
 男もいつまでも淋しさを嘆きながら待っているわけにもいかない。そこで守屋浩が続けて歌う。
  「淋しい夜はいやだよ
   僕もいこう
   あの娘の住んでる東京へ」
 そしてやがて、後に「俺らの心の駅」となる『ああ上野駅』に到着する。
 ところが、『愛ちゃんはお嫁に』の歌詞のように彼女はもう「太郎の嫁に」なっていたりする。
 もちろんうまくいけばふたたび恋人としてつきあい、あるいは新しい恋人と出会う可能性もある。そして結婚できれば、島倉千代子の歌のように『東京だよ、おっ母さん』と、映画『ふるさとの唄 お母さんの東京見物』の三橋美智也のようにお袋をおんぶして皇居の二重橋を案内して親孝行をすることができる。
 それで若い男性も大工・左官、運転手、工員などとして都会に出ていくようになる。

 この若者流出は、戦後の一時期縮まった都市と農村の地域格差、農工間の所得格差が再び徐々に拡大してきたこと、それで都市生活が農村に住む若者のあこがれの的となってきたことで、拍車をかけられた。
 とくに女性は東京にあこがれた。当時は、地方にないものが東京にはたくさんあったからである。当時の日本人のあこがれはアメリカ的生活だったが、このアメリカ的生活に近づきつつあった華やかな東京は古いむらに住む女性にとっては魅力あふれるものだった。しかし当時の東京は遠かったし、交通費も高かった。簡単に遊びに行けない。そこで何かあると家出となる。東京タワーのできたころ、農村部からの家出女性の保護に上野や新宿の交番が大変だというようなニュースも流れたものだった。
 守屋浩のさきほどの歌はなげいている(註)。
  「なんで なんで なんで
   どうして どうして どうして 
   東京が そんなにいいんだろう」
 しかし止められなかった。みんなみんな東京に出て行った。

 もちろん、家と農業の継承を当然のこととして宿命として受け止めていた当時の長男は家に残った。ところがそうした義務のない女性はどんどん出ていく。村には就職口もないから、また口減らしの必要性からも出て行く。そして中卒・高卒の女子は一人もむらに残らないという地域すら生まれるようになった。
 こうしたなかで農村における未婚男女の数のバランスは徐々に崩れていき、60年代末頃から農村に嫁不足という言葉がはやりはじめるようになった。
 さらにこうした次三男、若い女性の都市への流出は農業労働力の不足問題を引き起こした。農業年雇いになる若者が見られなくなり、農業日雇いで雇われるものも少なくなったからである。もちろん耕耘機、除草剤の普及などで次三男の労働力はかなり要らなくなっていた。しかし、手作業の残る田植え、稲刈り等の作業ではまだかなりの労力を必要としていたのである。
 そうした問題はあっても、1950年代後半から始まりつつあった高度経済成長は農村部の次三男や女子の労働力を吸収し、これまで農村がかかえてきた次三男問題、いわゆる農村過剰人口問題を解決した。かつては家からむらから出たいと思っても出られないものもいたが、そうしたことはなくなった。つまり好むと好まざるとにかかわらず農業に従事し、農村に在住せざるを得なかった時代は過ぎた。まさに職業選択の自由、居住の自由が実質的に保証されるようになったのである。
 しかし、その逆にふるさとから出たくないと思っても出ざるを得ないもの、農業をやりたくともやれなくなって村から出て行かなければならない人口もつくりだすようになった。たとえば下層の農家のなかには長男が他出し、老夫婦のみ家に残るものも出てきた。とくに山間部などがそうだった。農村部の高齢化がもう始まったのである。そして畑の耕作放棄、植林もしくは放置による林野化も始まっていた。
 やがてそれが本格化し、これまで考えられなかった過疎化、耕作放棄、農業の衰退が進むことになる。このことについては本稿の第三、四部で詳しく述べる。

(註)前々回と今回紹介したいくつかの流行歌は私たち世代にはなじみ深いのだが、なかには若い人たちが知らないものもあるかもしれないので、参考までに歌手、作詞・作曲者、発表年(映画については監督、主演、公開年)等を紹介しておく。
 ・裏町人生      歌:上原敏・結城道子 作詞:島田磐也 作曲:阿部武雄 1937年
 ・星の流れに     歌:菊地章子 作詩: 清水みのる 作曲:利根一郎 1947年
 ・別れの一本杉    歌:三橋美智也 作詞:高野公男 作曲:船村徹 1955年
 ・僕は泣いちっち   歌:守屋浩 作詞・作曲:浜口庫之助  1959年
 ・お月さん今晩は   歌:藤島桓夫 作詞:松村又一 作曲:遠藤実 1957年
 ・映画『ALWAYS 三丁目の夕日』  監督: 山崎貴 主演:吉岡秀隆・薬師丸ひろ子・堀北真希 2010年
 ・東京のバスガール  歌:コロムビア・ローズ 作詞:丘灯至夫 作曲:上原げんと 1957年
 ・ああ上野駅     歌:井沢八郎 作詞:関口義明 作曲:荒井英一 1964年
 ・愛ちゃんはお嫁に  歌:鈴木三重子 作詞:原俊雄 作曲:村沢良介 1956年
 ・東京だよおっ母さん 歌:島倉千代子 作詞:野村俊夫 作曲:船村徹 1957年
 ・映画『ふるさとの唄 お母さんの東京見物』  監督:村山新治 主演:三橋美智也・三益愛子 1957年

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

訪問者

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

酒井惇一

Author:酒井惇一
元・東北大学農学部教授
元・東京農業大学生物産業学部教授
現・東北大学名誉教授

 本稿は、昭和初期から現在までの4分の3世紀にわたる東北の農業・農村の変化の過程を、私が農家の子どもとして体験し、考えたこと、また農業経営研究者となってからの調査研究で見、聞き、感じたことを中心に、記録したものである。

QRコード

QR